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托鉢の鐸の音が聞こえる☆上野にてコム活

チーーーーーーーン

チーーーーーーーン


と、鐸(鈴)の音が聞こえる。


近くに托鉢僧がいるらしい。


来るときには姿は見えなかったが、ここ上野駅前は、ものすごい人通りなので隠れていたか。

いや、目立つはずだが。

このまま虚無僧の格好で確認しに行くのもなんだし…、
来たばかりだから止めるのもなんだし…、


吹き続けてみるか…。


向こうも聞こえているだろうけど、どうなんだろう。


銀座で会ったニセ托鉢僧だったら、私と分かればこちらに来るだろうし。


アガリを考えなきゃ、尺八は家で吹いてればいいでしょ!


と、アドバイスをくれた人だ。


多分、別の托鉢僧だろう。

縄張りってもんがあるかもしれない。


お邪魔になってなければいいけど。


ま、いいか。


…と、自分に話しかけながら、気になりつつも、時々鐸の音が聞こえる中で尺八を吹く。



しかしここ上野駅前は、そんな心配よりも、車の騒音、電車の騒音、人の騒音で満ち溢れており、尺八の音色など掻き消されてしまう。

それはこどもの反応でよく分かる。

こどもたちは、駅前で突っ立って笛を吹いている人を見逃すわけがないが、喧騒や人通りで刺激が多すぎると、虚無僧など見えないし尺八の音も聞こえない。


でも、そんな中でも聞こえる人には聞こえるようだ。

雑踏喧騒をすり抜けて尺八の音はその人の耳に入る。

要は「聞こえる耳」を持っている人が通るかどうかなのだ。



そんなわけで、小一時間ほど吹いていたが、自分の音もよく聞こえない環境は、疲れるので早々に止めることにする。こういう場では、托鉢僧の鐸の音が最適だ。

ニセ托鉢僧が言うように、尺八やめて普化禅師のように鐸を振ろうかなと思うくらいだ。



編笠をしまい、すぐ角を曲がると、やはり居た。托鉢僧だ。


わりと大柄な人なのでとても目立つ。


ツツツと寄って、椀にチャリンと入れた。


目を瞑っていたのか、ぱっと私の目と合ってその托鉢僧はちょっと驚いた表情だった。

ニッコリ微笑んだちっこい人(私)がすぐ目の前で見上げているのだ。

無心になっていたらそりゃビックリする。
私も以前、目を瞑って吹いていて、ふと目を開けたら目の前に小銭を握りしめた拳骨があってのけぞってビックリしたことがある。時々お布施をしてくれるオジチャンが「今日はパチンコで負けちゃってよ〜、これだけしか無いのよ」と去っていたのでした。



さて、この托鉢僧、私の後ろ姿を見てバックから編笠や尺八のようなものがはみ出ていたのを見ただろうか。

なんだ、コイツだったのかと内心思っていたかも知れない。



その後、

久しぶりに上野のアメ横を歩いてみた。

ずいぶん多国籍な雰囲気になった気がする。



駅前で一番日本らしい格好しているのが托鉢僧だ。

日本や仏教の文化が、掻き消されないよう、托鉢僧さん、


頑張って!


古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇