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普化禅師ってどんな人?☆『明頭來明頭打 暗頭來暗頭打 四方八面來旋風打 虚空來連架打』を読み解く!

普化宗ふけしゅうだとか、

明暗流みょうあんりゅうだとか言ってるけど、

それって、どこから来てるの?

 

と、疑問をお持ちの方は一挙に解決。

 

 

まずは普化宗ふけしゅうの名前の由来となっている、普化禅師のご紹介。

  

 

普化禅師、略歴。


生年月日不明。本名、不詳。住所不定。

中国、唐の時代に、鎮州という街にいた。

宣宗せんそう時代の大中年間(847~859年)、

盤山宝積ばんざんほうしゃく禅師に師事。

西暦862年没。



夜は墓場で眠り、朝になれば街中に出て、鐸(鈴)を振りながら托鉢していたとのこと。

 

 


彼の言動は『臨済録りんざいろく』『祖堂集そどうしゅう』『景徳伝灯録けいとくでんとうろく』等に書かれている。



【臨済録】中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録。
【祖堂集】中国、禅宗史書の一つ
【景徳傳燈録】中国北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。



普化禅師
狩野元信 画 国会図書館所蔵


  

まずは、その普化禅師の法脈を辿ってみましょう。
仏教なので、お釈迦様がスタートです。

<法脈> 印度
(釈迦牟尼仏)
1.摩訶迦葉
2.阿難陀
3.商那和修
4.優婆毱多
5.堤多迦
6.弥遮迦
7.婆須密
8.仏陀難堤
9.伏駄密多
10.婆栗湿縛
11.富那夜奢
12.馬鳴
13.迦毘摩羅
14.那伽閼樹那
15.迦那提婆
16.羅睺羅多
17僧伽難堤
18.迦耶舎多
19.鳩摩羅多
20.闍夜多
21.婆修盤頭
22.摩拏羅
23.鶴勒耶
24.獅子菩提
25.婆舎斯多
26.不如密多
27.般若多羅
28.菩提達磨

 

 

そして菩提達磨が禅宗のスタート。
インドから中国に移動します。

 菩提達磨
2.大祖慧可
3.鑑智僧璨
4.大医道信
5.大満弘忍
6.大鑒慧能(南宗禅の祖)
7.南嶽懐譲―
8.馬祖道一9.盤山宝積ー10.鎮州普化
8.馬祖道ー9.百丈懐海―10.黄檗希運―11.臨済義玄

 

 

先ほどの紹介にもあったように鎮州は地名。

普化は盤山宝積ばんざんほうしゃく禅師に師事。

臨済は兄弟弟子とでもいうのでしょうか。

 


 

そして、虚無僧尺八にとっても重要な悟道。 

 


「達磨の四聖句」


  1. 教外別伝きょうげべつでん 経典を超越して以心伝心で法を伝える。

  2. 不立文字ふりゅうもんじ 文字の力を借りず(=理論ではなく)心眼を持って仏法の真底を見抜く。

  3. 直指人心ぢきしにんしん 人の心に分厚くこびりついている汚れ(人の世の諸善諸悪)を透過してその奥底にある人間の真の心(が完全に清らかなもの、何物も無いのと同じ様、即ち空、虚無であること)を直接に見抜く(人=自分自身)。

  4. 見性成仏けんしょうじょうぶつ こうして見極めた人の真の心が仏の心と同じ物である事が判れば則ちそれが成仏である(悟りを開いたこと)。

 

 

 

直指人心・見性成仏を分かりやすく言うと、人間が生まれながらに持っている仏性を直接に体得せよ。ということだそうな。

 

 

後世、普化宗徒(虚無僧)はこの「教外別伝・不立文字」を掲げて最初から経典を持たず、ひたすら一心に尺八を吹くことによって、仏法を得んとすること(吹禅)を本旨とした。ということです。



『臨済録撮要鈔』国会図書館所蔵


 

 

明頭來明頭打 

暗頭來暗頭打 

四方八面來旋風打 

虚空來連架打

 

 

みょうとうらいや、みょうとうた。
あんとうらいや、あんとうた。
しほうはちめんらいや、せんぷうた。
こくうらいや、れんかだ

 

 

 

これは普化が鐸を振りながら唱えていた「四打の偈しだのげ」というもの。


虚無僧に渡される本則にも、この四打の偈が書かれている。本則というのは、一定の修行をした虚無僧に寺から与えられる宗門の僧であるという証拠書類のこと。『探墓行』伊勢原神宮寺篇に写真がありますhttps://note.com/kataha_comjo/n/nf48dc7a9de48




以下「四打の偈しだのげ」の色々な解釈を読み解いていきたいと思います。

 

 


普化はいつも街中で鈴をふりながら、謎めいた呪文のような歌を唱えていた、
「明で来れば明で打ち、暗で来れば暗で打つ。四方八方から来ればつむじ風のように打ち、虚空から来れば殻竿で打つ」
臨済は侍者をつかわし、普化がそう唱えたところをひっ捕らまえて、こう問わせた。

「それのどれでもなく来た時は、如何する」。

普化は侍者を突き放して言う、「明日は大悲院でお斎(おとき・僧食の配給)がある」。

侍者が帰って一部始終を報告すると、臨済はいった、「だから前からこの男、只ものではないと思うておったのだ」。

小川 隆 著 
「臨済録-禅の語録のことばと思想-書物誕生 あたらしい古典入門」


 

殻竿は麦や豆を打って脱穀する道具。


 

 

直訳を分かりやすく書かれたものだと思います。

  

 

 

 

「差別でくれば差別で受け、平等でくれば平等で受け、四方八方でくれば旋風(つむじかぜ)のように受け、虚空からくれば釣瓶(つるべ)打ちに受ける」

比奈宗源・訳註『臨済録』


 

釣瓶打ちとは、弓矢や火縄銃などにおいて、交代で続けざまに打つことをさす。                                 


 

明→差別、暗→平等 ときました。

 


賢い頭が来たならば、賢い頭を打ってやれ。愚かな頭が来たならば、愚かな頭を打ってやれ。四方八方来たならば、旋風のように打ってやれ。虚空が来たならば、棒をもって打ってやれ

梅原 猛 著「絶対自由の哲学」
『仏教の思想7 無の探求<中国禅>』

 

  

明→賢い頭、暗→愚かな頭。

ということはこれは対人間という事でしょうか。そして「虚空から」ではなく「虚空が来たならば」と訳されています。

 

  

頭をきかせてきたら頭を使ってやろう、バカになってきたらバカになってやろう、前後左右囲んできたらつむじ風になってやろう、空の彼方からきたら天に橋をかけてやろう。

何だかわかったようなわからないことになりますけれども、一つの解釈をすれば、相手の出方によって臨機応変に対応する。道元禅師が中国から帰られた時に「中国で何を学んで帰られたか」弟子が聞くと、「柔軟心」ということをお答えになったそうですが、私は、そういうような心でないかと思っておるのあります。

明暗四十一世児島豊明看主の一音成仏の中の一部
牧嶋志洞著「神宮寺虚無僧の吹禅生活」
神宮寺奉賛会『伊勢原神宮寺史』

 

天に橋をかけるときました。ロマンチック♡

 


そのころ、普化はいつも町のなかで鈴をふって歌っていた、

「明るい方からくれば明るい方でやっつけ、暗い方からくれば暗い方でやっつけ、四方八方からくれば、つむじ風のようにやっつけ、大空からくればからざお式にやっつける」と。

先生はそばつきの僧をやって、普化がそのように歌うのを見つけ次第、すぐにひっとらえて、「ぜんぜんどんなふうにも来ないときは、どうする」ときかせた。そばつきの僧は、いわれたとおりにした。

普化は相手をつきはなした、「あしたは、大悲院でふるまいがあるんだ」

そばつきの僧はもどって先生に報告した。

先生、「おれは前からこいつをくさいとにらんでいたのだ」

柳田聖山訳「臨済録」

 

  • からざお式・続けざまに反復連打するやり方。

  • ぜんぜんどんなふうにも来ない・内側より開く以外に開けようのない開けかた。

  • 大悲院・鎮州にあった小院。

  • おれは前からこいつを・相手を褒める言葉。

  


訳注<明るい方からくれば>原文「明頭」と「暗頭」は難解だが、さいごに「どんなふうにも来ないとき」というのに合わせて、副詞に解する。『祖堂集』は、明暗を朝と夜の意とするから解しやすいが、今は四方八方および大空の四つに区別するから、空中そのものは明でも暗でもない。『六祖壇経』の三十六対、および『神会録』に、「明暗は自ら去来するも虚空は本より動静無し、煩悩と菩提もその義また然り」というのが参考となる。(柳田)

 




「この言葉は、いつ、どこから、何が現われても、それに対して自由自在に受けとめて対応するという自由な境地を表わす」

武田鏡村著
『禅のことば 人生を豊かに生きるための120選』

 

 

  

答えはけっこう単純なものだった、なんてことはよくありますが、いやいや、考えれば考えるほど色々な解釈が生まれて来るわけです。

柳田氏によると「どこからも来なかったら」という問いと合わせて副詞と解するとのこと。しかも、その答えは全く関係の無い「明日はお斎があるよ」だって。はぐらかしもいいとこです。


外から何かが来る対処法ではなく、何も来ないときの対処法の方が、かえって難しそうです。




なぜ普化禅師は「柔軟であれ」「臨機応変に」というような意味の言葉を市中で唱えたのか。



虚無僧をしていると、この「四打の偈」がふと頭をよぎります。本当に外からは色々な人や言葉や出来事がやってくるけど、やっていることは同じことの繰返し。本当に虚空に向かって吹いているわけで、虚空との戦いのよう。でも自由なんだよと普化禅師は伝えたかったのか。それとも何も意味はないのか…。


さて、唐代に生きた普化禅師には弟子はいなかったので、普化宗という宗派は中国には無かった、にも関わらずおよそ1000年後に日本で普化宗が始まったのです。


臨済録りんざいろく』『景徳伝灯録けいとくでんとうろく』等には、さらに普化禅師の謎の行動が記されています。
一体どんな人物だっのか?!




続きはこちらです♪↓




参考文献

小川 隆 著 「臨済録-禅の語録のことばと思想-書物誕生 あたらしい古典入門」
朝比奈宗源・訳註『臨済録』
梅原 猛 著「絶対自由の哲学」 『仏教の思想7 無の探求<中国禅>』
神宮寺奉賛会『伊勢原神宮寺史』
柳田聖山訳「臨済録」
武田鏡村著『禅のことば 人生を豊かに生きるための120選』



この記事は、以前書いたTumblrのミニ講座「普化禅師ってどんな人?」に加筆して再投稿したものです。

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