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文学と尺八☆『源氏物語』

尺八の日本到来は西暦600年頃。

唐代の宮廷の燕饗楽で使われたという楽器が雅楽として日本に伝わった。

本来尺八はそれぞれが十二律の各々に応ずるように作られた十二本一組の縦笛でありました。

絵画に描かれた古代尺八は、古くは平安時代の舞楽、雑楽、散楽などの様子が描かれた巻物である『信西古楽図』があります。



そして平安時代の文学と言えば、かの有名な『源氏物語』。

源氏物語. 卷三 紫式部 中央公論社


その『源氏物語』に、古代尺八が登場します。


さて、どのように物語に登場するのか、

まずは『源氏物語』ざっとご紹介。

平安中期の代表的物語文学 作者は紫式部。11世紀初め完成。全54帖。前半は光源氏を主人公に当時の貴族の華やかな生活を、後半はその子薫大将のひたむきな恋を描く。確かな構想と精緻な心理的手法により、藤原氏全盛時代の貴族社会を虚構化しつつ人間性の真実を描き出した名作。

旺文社日本史事典 三訂版


主人公光源氏の一生とその一族たちのさまざまの人生を70年余にわたって構成し、王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実を優艶(ゆうえん)に、かつ克明に描き尽くしている。これ以前の物語作品とはまったく異質の卓越した文学的達成は、まさに文学史上の奇跡ともいうべき観がある。以後の物語文学史に限らず、日本文化史の展開に規範的意義をもち続けた古典として仰がれるが、日本人にとっての遺産であるのみならず、世界的にも最高の文学としての評価をかちえている。 [秋山 虔]

小学館 日本大百科全書



日本文学史上最高傑作とされる『源氏物語』。


その54帖の中の6帖目にあたる「末摘花」に尺八が登場します。


末摘花すえつむはなとは紅花の異名のこと。


なつかしき花ともなしに何に此のすゑつむ花を袖にふれけん
「すゑつむ花」は染料にする紅花の異名で、茎の末にある房の先に咲く小さな花を摘むところから此の名があると云ふ。こゝでは鼻の先の赤い姫君に擬したのである。心は「別に可憐と云ふほどの女でもないのに、どうして自分は此の鼻の先の紅い人に手を触れたのであらう」の意。

谷崎潤一郎 著『源氏物語』巻24
国立国会図書館蔵



『全訳 源氏物語』與謝野晶子訳
角川文庫



「末摘花」の簡単なあらすじ。

幼なじみの大輔だゆう命婦みょうぶから、亡き常陸宮の一人娘が一人寂しく琴を唯一の友として暮らしているという噂を聞いた源氏は、憧れと好奇心を抱いて求愛した。親友でもありライバルでもある頭中将とうのちゅうじょう とも競い合って逢瀬を果たしたものの、彼女の対応の無反応ぶりには源氏を困惑させた。

不憫に思いながらも、多忙で彼女の家から足が遠のいていたが、ある雪の朝、思い立って彼女に会いに行った。初めて姫君を月明かりで見た光源氏は予想以上の醜さに驚く。鼻は長く折れ曲がり先が赤くなっていて、胴長の体に、服装もお婆さんのようだった。しかしながら源氏は零落した宮家の困窮ぶりに同情し、また彼女の素直な心根に見捨てられないものを感じて、彼女の暮らし向きへ援助を行こうと決心を固めた。

19歳を迎えた源氏は、二条の自宅で鼻の赤い女人の絵を描いたり、さらに自分の鼻にも赤い絵の具を塗って、末摘花とは対照的に美しく成長していく、身寄り無く引き取った少女、若紫と兄妹のように戯れるのだった。


光源氏は良いヤツなのか、悪いヤツなのか、判断に苦しむところです...。



さて、その尺八が出てくる箇所を読み解きます。


あらすじの中の「多忙で彼女の家から足が遠のいていた」頃にあたります。


校異源氏物語 巻一
芳賀博士記念会 編 
国立国会図書館蔵

原本は殆どひらがなで句読点も無し…。

物の音ども、常より耳かしがましくて、方々いどみつつ例の御遊びならず、大篳篥 (1) 、尺八 (2) の笛などの大声を吹きあげつつ、太鼓 (3) をさへ高欄のもとにまろばし寄せて、手づからうち鳴らし、遊びおはさうず (4) 。


  1. 【大篳篥】形の大きな篳篥。中国伝来の縦笛で、管は竹、舌は葦でできている。管には表七孔、裏二孔がある。音色は高く鋭く、悲哀の調子が強い。一条天皇のころにはすでに用いられなかった。

  2. 【尺八】通称古代尺八。もと唐代の縦笛で、唐尺で一尺八寸(唐時代の一尺は日本の曲尺の10分の8なので、30.3㎝(1尺)×1.8×0.8=43.6㎝ が基本の長さの尺八だった)。主に淡竹(はちく)の根元で作る。前面に五孔、背面に一孔。

  3. 【太鼓】奏楽や合図に使う太鼓である。一般に打物の楽器は地下(じげ)の者が受け持ち、庭上に置いて打つ。

  4. 【おはさうず】「おはしあふす(御座し合ふ)」の約。居合わせていらっしゃる。「ゐ合ふ」の敬語。主語は複数。


〈訳〉
左大臣の子息たちも、平生の楽器のほか大篳篥、尺八などの、大きいものから太い声をたてる物も混ぜて、大がかりの合奏の稽古をしていた。太鼓までも高欄の所へころがしてきて、そうした役のせぬことになっている公達が自身でたたいたりもしていた。

『全訳 源氏物語』與謝野晶子訳
角川文庫


古代尺八は儀式の時に大篳篥や弦楽器などと一緒に演奏されていたことが分かります。



詳しい前後の内容は、

「若者たちは、行幸の儀(天皇の外出)の催しを楽しみにしていて、一緒に集まって、その話をしたり、めいめいに舞などの稽古をしたりしている。さまざまな楽器の音が、いつもより騒がしいほどに誰にも負けるまいと競い合っているので、いつもの管弦の合奏とは様子が違います。大篳篥や尺八の笛なども大きな音で吹かれて、地下じげ(身分の低い役人)が叩いている太鼓までもを高欄の下に転がし寄せて、皇族たち自身で打ち鳴らして、合奏を楽しんでいる。」


 

太鼓を叩くのは身分の低い役人の役割だったんですね…。



「源氏物語絵巻」 国立国会図書館蔵


ここが高欄という場所。



やはり、いつの時代も若者は音楽が好きで、ドンシャンガシャガシャやってたのでしょうかね。


『新編日本古典文学全集20』 1994出版


『源氏物語』にでてくる古代の楽器。



「源氏物語絵巻」 国立国会図書館蔵


こちらは琵琶弾いてます。
優雅です…。



古代尺八は律令国家の衰退と共に無くなり、今は正倉院などに保管されているのみで、本物を拝見することもなかなか出来ないです。尺八演奏家の小濱明人氏が古代尺八を演奏されているそうで、一度聞いてみたいですねぇ。こちらも一節切みたいに密かに流行っていたりするのでしょうか。
雅楽に復活!とか、限定でも無いですかねぇ。



この源氏物語には、古代尺八の存在がとても分かりやすく描かれていると思います。

皇族自らも儀式の為とは言え楽器の演奏を楽しんでいたことが分かりました。て、ことは、女性もその辺に転がってたりした尺八吹いたのかな…。
紫式部も吹いてたりして。



何はともあれ、源氏物語はこの時代の貴重な史料ですね。



ま、

いつか、


そのうち、


おばあさんになってからでも、


源氏物語、


全部読んでみるかな(笑)



★こちらは以前Tumblrに書いたものをnoteに書き直した記事です。


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