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コムジョの尺八歴史探訪📖

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尺八の歴史をマニアックに探究中✐ 虚無僧の実態を探ります!
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#普化禅師

尺八吹きの羅漢さま☆川越喜多院へ

日本三大羅漢の一つと言われる川越の喜多院にある五百羅漢の中に、尺八を吹いている羅漢さまがおられるとのこと。 塚本虚堂集『古典尺八及び三曲に関する小論集』に「珍しい石造の羅漢尺八吹奏像」として昭和46年の記事が掲載されています。 尺八研究家の神田可遊師に案内していただきました。 川越は小江戸と呼ばれ、江戸の情緒を今に残し、古き良き街並みがある観光客でいつでも賑わっている街。西武新宿線、JR線、東武東上線と三つの路線があり、大変便利です。 まずは、川越喜多院の南側にある、

ふるさとの美を求めて★竹内史光師インタビュー岐阜の巻

尺八寸の鳴る竹に竹内史光 こちらの記事は「月刊(民芸)、発行 岐阜民芸通信」。 この月刊民芸に関することは詳しくは分かりませんが、岐阜地域の月刊誌のようです。値段から推測するに昭和前半頃でしょうか。 竹内史光師のインタビューが掲載されており、門下の故藤川流光師に譲り受けたものです。なかなか貴重なものですので、こちらに掲載して史光師を偲びたいと思います。 まずは冒頭部分。 細かい事で恐縮ですが、最初のカッコが何故か逆になっています。 【進取の気性(気風)】既成概念にと

「虚鐸伝記」を読み解く 其の六 最終回! 虚無考案、新しい修行スタイル!

  いよいよ最終回です。       虚風が虚無に、 「なんじゃその怪しい格好は?!そちは気でも違ったか?」 と聞いている場面。            今回も、 以下、漢文が「虚鐸伝記」 かな文字入が「虚鐸伝記国字解」です。 その下に私の簡単な日本語訳。   遠方に行くときは手巾で裾を上げ脚絆をつけ、草鞋を履き、五尺四方の風呂敷で袱子と乾坤張を被い行李を包みます。         ここで言う手巾とは、裾を上げる為の紐の事。尻端折をするわけにもいかなかった為、紐で上げ

さらに詳しく!調布の虚無僧寺☆大光山三照院安楽寺について

「吹破る竹の音寒し 安楽寺 如月」 これは、虚無僧寺安楽寺の本尊、阿弥陀如来像の厨子の左扉に書かれていた句。阿弥陀如来像は1994年まで調布の大正寺本堂左側に現存していたと記録がある。 安楽寺については高橋空山が1937年(昭和12年)発行の『三曲』に「調査書」を投稿し、その後、1972年発行の山下彌十郎著「虚無僧 普化宗鈴法寺の研究」(多摩郷土研究の会)、1993年小川春夫氏の調査書と続いている。 その資料を元に、かつての虚無僧寺・安楽寺の詳細をここにまとめたいと思う。

明暗寺系創始文献「虚鐸伝記」を読み解く!其の一

普化尺八、虚無僧尺八の始まり創設のことが書いてある文献の一つが「虚鐸伝記」(漢文)と言われている。それに注解されたのが「虚鐸伝記国字解」(日本語、かな文字に解釈した本)。 そして、この文書は1900年初頭に、偽書であるという指摘がなされ、今ではそれが通説になっています。     『虚鐸伝記国字解』の偽書の可能性は栗原広太が「尺八史孝」大正7年(1918)の中で指摘し、断定したのは中塚竹禅「琴古流尺八史観」昭和54年(1979)。 理由は、虚鐸伝記の年代の記入が無く、著

関東系虚無僧寺院☆一月寺・鈴法寺の開創縁起を読み解く!

明暗寺系列の縁起本、『虚霊山明暗寺縁起』(1735)と『虚鐸伝記』(1795)によると、法燈国師とその門下の寄竹(のち虚竹)が普化尺八の元祖となっている。 ところが、関東系虚無僧寺院、一月寺・鈴法寺縁起には、寄竹の名前は一切無い。では誰が開祖なのか?! それは江戸中期の明和年間(1764-72)に宮地一閑がまとめ、文化10年(1813)開版された『尺八筆記』に書かれている。 今回は、その『尺八筆記』から開創縁起部分を抜粋し、読み解いていきます。 著者、 宮地一閑

普化禅師ってどんな人?☆やっぱり狂人?奇人?それとも偉人?

普化禅宗の「開祖」、普化禅師は、一体どんな人なのか?!     普化禅師のことは『臨済録』『祖堂集』『景徳伝灯録』等に書かれている。         『臨済録』は、中国唐代の禅僧で臨済宗開祖の臨済義玄の言行をまとめた語録。詳しくは『鎮州臨済慧照禅師語録』。 『景徳傳燈録』は、中国・北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。            以下、『景徳傳燈録』より臨済と普化のやりとりを読んでいきます。       【真面目(しんめんぼく)】本来

普化禅師ってどんな人?☆『明頭來明頭打 暗頭來暗頭打 四方八面來旋風打 虚空來連架打』を読み解く!

普化宗だとか、 明暗流だとか言ってるけど、 それって、どこから来てるの?   と、疑問をお持ちの方は一挙に解決。     まずは普化宗の名前の由来となっている、普化禅師のご紹介。      普化禅師、略歴。 生年月日不明。本名、不詳。住所不定。 中国、唐の時代に、鎮州という街にいた。 宣宗時代の大中年間(847~859年)、 盤山宝積禅師に師事。 西暦862年没。 夜は墓場で眠り、朝になれば街中に出て、鐸(鈴)を振りながら托鉢していたとのこと。

7×7=49

49という数字は1か7でしか割れない数字である。 よく耳にするのが49日の法要。亡くなった人は初七日を迎えてから7日ごとに、生前に犯した罪を閻魔様によって裁かれ、四十九日をもって来世の行き先が決定される。そして、49日間、遺族が喪に服す期間でもある。 仏教には七曜という感覚は無いのに、死んでからだけ7日間区切りというのが不思議だ。ま、死者においては7日間ごとに裁かれるわけだから、日曜日とは程遠い1週間ではある。 さて、 その話とは全く関係ないのですが…、 2020年の夏