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コムジョの尺八歴史探訪📖

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尺八の歴史をマニアックに探究中✐ 虚無僧の実態を探ります!
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#一節切

幽霊展と幡随院長兵衛の墓参り☆尺八ゆかりの台東区巡り👣

一節切を持った幽霊を見に行く👻 毎年8月の1ヶ月間のみ特別公開されている、落語中興の祖・三遊亭圓朝の収集した幽霊画展が全生庵にて行われているということで、尺八研究家の神田可遊氏に案内していただきました。 圓朝コレクションの中に、一節切を持った幽霊がいるとのこと! しかしながら、 なんと、今年はたまたま、竹思庵一静画の「一節切を持つ幽霊」展示無し! 一節切ファンの皆さま、ご注意ください。 いつもは展示されていたそうなので、今年は残念でした。 来年は展示されるといいで

1200年代の舞楽の口伝書『教訓抄』における尺八・短笛・猿ノ骨

平安時代、宮廷音楽で使われた雅楽尺八の滅亡後、尺八は六孔から五孔へと変化し、武士、僧侶、猿楽師、田楽師、琵琶法師、連歌師など様々な人々へと行き渡っていった。 そして、1200年代の頃は尺八は「短笛」と呼ばれていたことが、『教訓抄』という楽書に書かれている。 教訓抄とは、 まずは、 巻第四 「他家相伝舞曲物語」の目録 『蘇莫者』に、尺八が登場します。 『蘇莫者』といえば、聖徳太子です。 〈訳〉 聖徳太子が河内の亀瀬を通り、馬上で尺八を吹かれた時に、その音色を愛でて山

古代尺八のその後☆猿楽篇📖 『世子六十以後申楽談儀』

正倉院にある尺八は、 節が三本あり、前に五つ、後ろに一つの計六孔。 古代尺八、もしくは雅楽尺八と称されている。 その頃の尺八は、盛唐期の宴饗楽・讌楽用の楽器の一つとして我が国に伝えられ、これによって吹奏された音楽は当時の中国音楽・唐楽であり、其の演奏者は大陸からの渡来人や帰化人とその系統の楽人であった。 大陸から遠路はるばる日本にやってきて演奏していたということだ。 古代尺八は、前に投稿した紫式部の『源氏物語』にも登場します。 そして、伝えられた唐楽は仏教や外来文化を

博物館の尺八を見に行く。

愛知県浜松市の浜松市楽器博物館には、稲垣衣白蔵の尺八が展示されていると聞き、先日訪れてみた。 浜松にはかつての虚無僧寺、一月寺の末寺の普大寺があった街。 そして、楽器メーカーヤマハ発祥の地でもある。明治時代に山葉寅楠という人が日本初の国産ピアノを製造したことをきっかけに、浜松市はヤマハ、カワイ、ローランドなどの楽器メーカーが本社を置く世界的な楽器産業の集積地に成長したとのこと。 そして、この浜松市楽器博物館は、日本で唯一の公立の楽器博物館だそうだ。 普大寺の『探墓行』

文学と尺八📖『吉野拾遺』

尺八の音色で魚が躍り出てくる?!🐟🐟🐟 『吉野拾遺』とは、 南朝(吉野朝廷)関係の説話を収録した室町時代の説話集のこと。 訳 懐良親王は若い頃、尺八が上手であった。芳野川への外出時に吹いたところ、見慣れぬ魚がたくさん水から躍り出て、それは珍しく類いなき事だった。昔、妙音院殿が、熱田神宮で琵琶を弾いた時に、魚が陸に躍り出たと言い伝えがある。確かに同じような事だと感じます。尺八は以前から楽書に尺八と書いてある。昔、聖徳太子が生駒山にて尺八を吹いたら、百獣が走り出てきて頭を

7×7=49

49という数字は1か7でしか割れない数字である。 よく耳にするのが49日の法要。亡くなった人は初七日を迎えてから7日ごとに、生前に犯した罪を閻魔様によって裁かれ、四十九日をもって来世の行き先が決定される。そして、49日間、遺族が喪に服す期間でもある。 仏教には七曜という感覚は無いのに、死んでからだけ7日間区切りというのが不思議だ。ま、死者においては7日間ごとに裁かれるわけだから、日曜日とは程遠い1週間ではある。 さて、 その話とは全く関係ないのですが…、 2020年の夏

遊興系尺八奏者たち☆『四条河原遊楽図屏風』より

賀茂の河原は刑場であった。名のある武将も、名も無き民も、数しれぬ人々がここで首を打たれた。また葬う人のない死体もここに運ばれ捨てられた。 刑場の河原には世間から賤しめられている人々が小屋をかけてすんでいた。すなわち河原者であった。他にすむべきところがないからであった。 こうした河原者のなかに傀儡師や曲芸師や、その他見世物の芸人たちがいた。小屋をかけて興行をいとなむ。娯楽を求めて京の内外の人が見物に集まった。その中心が賀茂の四条河原であった。 上の解説と、画像は『日本美術全集

一休禅師と尺八

上記の一休さんの画像は、栗原信充画『肖像集』より。(国立国会図書館蔵蔵)。持っている棒のようなものは、尺八ではなさそうです😅 こちらも一休さん。 名古屋の虚無僧、牧原一路氏からいただいたものです。 アニメの一休さんとは程遠い(笑)貫禄のある僧侶の一休禅師です。(似た人知り合いに一人くらいいますよね) 写真の一節切は一休さんが吹いていたものとされるもので、京都府京田辺市にある臨済宗大徳寺派の寺院、酬恩庵の宝物殿にあるそうです。このお寺は、正応年間(1288年 - 129