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コムジョの尺八歴史探訪📖

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尺八の歴史をマニアックに探究中✐ 虚無僧の実態を探ります!
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#仙石騒動

千葉の虚無僧寺『探墓行』☆三畔山松見寺

虚無僧になった出石藩士 神谷転ゆかりの松見寺跡に行く。 『仙石騒動』を調べて其の六までシリーズが続きましたが、ようやく神谷転が虚無僧になり、看主となった松見寺にやってしました。 『仙石騒動』とはどういう騒動であったかはこちらから↓ まずは木更津駅から。  終点まで行ってみたい気持ちをぐっとこらえて横田駅で下車。 地図上で見てみると、久留里線終点の上総亀山駅といすみ鉄道の上総中野駅がつながる予定だったのでしょうか。 その森が一体どこか、電車の中から目をこらしておりま

『仙石騒動』其の六! 川柳、連歌、狂歌特集📖

天保の頃に起きた出石藩による御家騒動『仙石騒動』を探求する!シリーズ其の六です。 『仙石騒動』にまつわる史料は、国立公文書館の『出石紀聞』や、平戸藩の松浦静山が書いた随筆『甲子夜話』に見ることができますが…、 その中に沢山の川柳、連歌、狂歌、ちょんがれ等、風刺に満ちた作品も沢山残されており、「百千を以て算ふべし」で好奇の人が編集して二大冊となったとか。 今回は、川柳、連歌、狂歌をご紹介🎵 「尺八」の文字の入った句や、神谷転は勿論のこと、一月寺の愛璿もひそかに登場しますよ

虚無僧友鵞こと出石藩士、神谷転のお墓参りに行く。

ずっと続いています仙石騒動シリーズ其の五です! 今回は、目黒の住宅街にある天台宗のお寺永隆寺にある、神谷転のお墓参りに行きました。 出石藩の藩士であり、虚無僧友鵞となった神谷転は、裁許で勝利したにも関わらず、出石に帰ることなく虚無僧として亡くなります。 天保十四癸卯年(1843年) 善法院忠岳精雄義方居士 十月二十六日 棹石の右側面には、転の妻の戒名、没年月日。 謙敬院法譽貞将大姉、謙敬院者勝山候藩大須賀氏女来為義方君妻、 天保十三年壬寅四月十九日没。 葬干武州本郷

虚無僧友鵞が捕縛された日本橋横山町にやってきた。

天保五年(1834年)四月二十一日、ここ横山町二丁目で、虚無僧友鵞こと、神谷転は数人の捕り手にぐるりと囲まれた。 要は、指名手配中の虚無僧がお巡りさんに囲まれたのだ。 「奉行の組子等、友鵞を路頭に捕ふ」 とあります。 捕り手に囲まれた友鵞は叫びます。 まさに時代劇のワンシーンのようですが、 今回は虚無僧となった神谷転の足跡を辿っていきたいと思います。 時は遡ること文政の時代に始まる、但馬の出石藩で起こるお家騒動が発端。 出石藩の藩士であった神谷転は、天保5年(18

仙石騒動で暗躍の一月寺役僧、愛璿を追う!!!

町奉行に捕らえられた絶体絶命の虚無僧、友鵞こと神谷転は、一体どうやって救われたのか?! 『仙石騒動』シリーズまだ続いてます。 今回は、 一月寺役僧、愛璿の活躍ぶり、というか暗躍ぶりを解明! 幕末の虚無僧が一体何をやらかしたのか!? ちゃんと内容知りたい方は、 仙石騒動の年表書いてみたのでこちらをどうぞ↓ ささっと知りたい方はWikipediaもおすすめ♡ 非常に簡潔で分かりやすいです。 ついでに転が捕縛される場面の浮世絵などはこちら↓ さて、 まずは、虚無

『仙石騒動』年表と相関図にまとめてみた。

仙石左京が獄門になるまで… 『仙石騒動』とは、但馬出石藩(五万八千石)に起きた藩政改革を巡っての守旧派と改革派の対立事件、いわゆる御家騒動。 このややこしい(く感じる)お家騒動を年表で追うことにしました。 時は文政四年、仙石家九代当主仙石政美の治世下の頃。 1821年 仙石左京が大老兼勝手方掛りに任じられる。 →財政の立て直し。上米、生糸専売、領外商人の領内行商禁止などの政策などを進める。 1823年 対抗する守旧派が左京一派の追い落としをはかる。 →藩士らの不満を

虚無僧が登場する御家騒動『仙石騒動』のお話📖

仙石騒動とは、但馬(兵庫県)出石藩に起きた藩政改革を巡っての守旧派と改革派の対立事件。御家騒動として知られている。 お家騒動(御家騒動)とは、江戸時代の大名家における内紛。 世間に語り継がれる、一般的な仙石騒動情報は、超簡単に説明しますと、 ・・・と、「善」対「悪」、「忠」対「不忠」とはっきり描かれており、家老の左京が悪者、虚無僧友鵞が善者となっております。 やはり、絵になるのは虚無僧。 こちらが歌舞伎の『千石船帆影白浜』。 市川団十郎演じる神谷転です。  読み物