6-3 この物語の道化たち
だだっ広い屋上には、男がひとり佇んでいた。
こっちに背を向け。まるで虚空を眺めているような姿勢で。
それがアリバの持ち主なんかじゃないことは、ひと目見ただけでわかった。そして、俺がハメられたということも。
「ハイ。終点ー」
「………おまえ…………カスガじゃないな」
「あははー。カスガだよー。アリバの戦士のー」
「……おまえは誰だって聞いてんだよ」
怒りがフツフツと湧いてきた。身体の奥の奥底で、得体のしれないスイッチが入ったような感覚。
「ハヤトの親友カスガだってー。だからおまえだって、まんまとダマされてここまでひとりで来たんだろー?」
「俺の友達の顔で、フザけたこと言ってんじゃねえ!」
思わず叫んだその声で、黒ずくめの男がゆっくり振り返った。
ビクッ!
ナミが身体をすくめた。猛獣にでも対面したように。
なんだ、コイツ……。
筋肉質な長身。長い銀髪。黒ずくめの衣装。とどめに黒いロングコート。真夏だってのに、冗談みたいなカッコウ。
なのに、その醸しだす殺気に、寒気すら感じる……。
何より目を引くのが、その男の右腕……金属の義手だ。
恐ろしく、不気味で、そして目が離せないほど美しい、鋼鉄の腕。
「おまえが……ハヤトだな」
男が口を開いた。悔しいが、聞き惚れるほどの美声だった。
俺より背が高く、俺よりスタイルがよく、俺より筋肉質で、俺より顔も声もいい。
認めたくはないが、自分の完全上位互換に出くわしたみたいな敗北感。
くそっ……こんな気持ちになるなんて、初めてだ……。
「……そーいうおまえは誰なんだよ」
「ホクト……この物語の道化だ」
「へっ……ご自分で道化を自称とは、スカした野郎だなっ。この『カスガモドキ』とツルんで、いったい何を企んでやがる!?」
カスガモドキ、と俺が呼んだ『ソイツ』は、突然魂が抜かれたようにその場に棒立ちになっていた。まるで人形みたいに。
「おいナミ! さっきからどうした? なんでしゃべらねえ? コイツの正体は? ステータスは!?」
ナミを振り返って驚いた。ナミは、幼子のように首を振りながら後ずさっている。触れただけで泣き出しそうなほど怯えた顔で。
「…………あ、あ、あ、あ、あ…………」
「な、ナミ? どうした! タブレット出せよ! コイツもどうせ悪意なんだろ!?」
ナミは答えない。ヘビの前のカエルのように、完全にのまれ、すくんでしまっている。
「震えているな。怖いのか?」
「……へっ。どうもそうらしい。ナミも女の子ってことだなっ……」
「ちがう。お前が、だ」
「……なにぃ!?」
その通りだった。俺の全身は、小刻みに震えていた。
歯を食いしばってそれを止めようとしたが出来なかった。
「……心配するな。今日は殺さない。お前に少し刺激を与えに来ただけだ。屈辱という、な」
ホクトが音もなく前に出てくる。
たったそれだけなのに、全身があわ立った。
「まあ、種に水をやりにきたようなものだな」
そう言って、無邪気に微笑む。
それは場違いなくらい魅力的な笑顔だった。
気がついたらホクトはすぐ目の前に立っていた。
体格ならヤノのほうがよっぽどデカい。物腰は落ち着いていて、暴力とは無縁。紳士的と言ってもいいくらいの風格だ。
なのに、恐ろしいほどの威圧感、圧迫感。
こいつ……イケメンの皮をかぶった人食いヒグマかなんかかよ……!?
「どうした? 俺は悪意。お前の敵だぞ。かかってこい」
「ナミ! コイツの属性は!? 必殺技は? どうしたってんだよ!」
ホクトから目をそらし、すがるようにナミを見た。
ナミは相変わらず言葉を失ったかのように首を振るだけだった。
「…………じきに、おまえの仲間たちがここに来る。おまえに刺激を与えるなら、何も『屈辱』じゃなくてもいい。目の前で仲間をやられる『悔しさ』でもな。たとえば、おまえの弟を叩きのめすなんて面白いかもしれん」
弟。叩きのめす。
その言葉で、瞬間的に、恐怖より怒りが勝った。
ホクトは【種】という言葉を使ったが、まさしく、俺の中にある怒りの種から、いきなり何かが芽吹いたようだった。
「てめええええええ!!!」
きいんっ。
だが、金属的な手応えとともに、俺のパンチはいともたやすく止められていた。鋼鉄の義手によって。
「……【レベル1 必殺パンチ】か」
ホクトがクククと含み笑いしながら言った。
「間の抜けた名のわりに、性能は悪くない。ハヤトの特性である『先読み勘』により、相手の動作の『起こり』にカウンター気味に当てている。だから、単純な見た目に反し、大きなダメージを相手に与える」
「なんだと?」
タブレットを見ながらナミがいつもやるような解説をするホクト。それも、俺自身が知らなかった分析までまじえて。
「くそっ!」
もう一度必殺パンチを繰り出す!
その打撃は簡単に義手によって受け止められた!
「だが、まだまだ未熟だ。角度と体重の乗せ方が甘い」
俺の顔にドゴンッと大きな固いものがブチ当たった! ヤノよりも、今までの誰よりも、強大な力でふっ飛ばされ、俺は地面をゴロゴロ転がった。
「これが手本だ。ミネルヴァパンチ」
チュイインと機械的な音を出し、義手の指を閉じたり広げたりする。
「……筋電感知デバイス作動……アクチュエーター動力接続……」
わけのわからない独り言を聞きながら起き上がろうとするが、身体が動かねえ!
一発食らっただけでわかった。
コイツは今までの敵とまったくレベルが違う……! 違いすぎる!
「ちなみにミネルヴァというのはこの義手の名でな」
コンクリの床でブザマに転がる俺の目の前で、ホクトは悠長に言った。
「どうした? 待っててやるから、ドリンクでも飲んで回復しろ」
こんな…………こんな屈辱は生まれて初めてだった。
それでも、俺は、イモムシのような身体をなんとか動かし、ポケットからレッツプルを取り出し、飲み干した。すぐに身体を起こす。
「続きだ」
「………………………………」集中!!
【……【レベル2 集中】……」
「……!!?」
「集中して意識を研ぎ澄まし、己の肉体に眠る潜在能力を開放させる……お前の切り札だな」
すべてが見透かされる。なにもかもがコイツには通用しない。
そんな絶望から目を背けるように、俺は走りながら最後の集中!
パパンッ! コンセントレイトモード!
「食らいやがれええええっっっ!!!」
続けざまにパンチを放る!
しかし、ホクトはそよ風にでも吹かれるように、それをすべてかわした!
「まったくの欠陥ワザだな。そもそも、自分本来のチカラを完全に発揮させるのに、3ターンもかけるなど、非効率の極み」
「くそっ! くそっ!!」
「意識を研ぎ澄まして潜在能力を開放するというのなら、脳内麻薬でもコントロールして肉体の限界を越えるくらいの芸当はしてみせろ」
「だまれっ! おまえの喋り方はイチイチ頭に来るんだよッ!!」
左右のワンツー! さらにヤツの左足目がけてローキック!
意識を下にちらしたところで、身体を一気に右回転させ、胴回しの回転ゲリを見舞う!
ガッ!
ホクトは視線を動かしもせず、頭上の死角から襲った俺の右足のカカトを、義手で受け止めていた。
「【レベル3 ハヤトスペシャル】。こうして名を言うのも恥ずかしいワザだが、意外に高性能だ。ワンツーからのローキックというコンビネーションで相手にスキを作るのだが、おまえの『先読み勘』によって、トドメのケリを、敵の意識の外側から当てている。まわりから見れば、なぜ簡単に、大技の後ろまわし蹴りが当たるか、不思議だろうな」
ち、ちくしょう! なのにおまえには、まったく通用してねえじゃねーか!
「だが、惜しいな。コレも精度がいまひとつ。手本はこうだ!」
ホクトが、稲妻のように鋭いワンツー。
さらにハイキックをかましてくるコンビネーション。
とっさに上半身をガード。
防いだと思ったら、大蛇のように地を這う回転ゲリが俺の両足をズバンッと刈り取った! そしてトドメのパンチが俺を撃ち抜く!
「があっ!」
「……グランドスラム」
断ち切られそうな意識の中でその声を聞いた。
ダメだ……これまで戦った誰よりも強い……あのフユキ先生よりもだ。
そして……コイツがまだまだぜんぜん本気じゃないということもわかる。
絶望。絶対に越えられない壁……まさにコレを言うのだろう。
コイツにはあらゆることでかなわない。細胞レベルでそれを実感しているが、ナミの前でそんな情けない自分を認めるわけにはいかねえ……。
……ナミ。こんな俺を見て、ナミはどう思っている? 薄れゆく意識の中で、俺はそう考えて……
「……まあ、ナミからの借り物のアリバでは、その程度が限界か」
そのひと言が、暗転寸前だった俺の意識を繋ぎ止めた。
だが、身体のほうはまったく言うことを聞かない。
「…………落ちたか。モロいものだな」
指一本動かせず、意識だけがかろうじて残っている状態。いきなりナミが口を開いた。
「…………ホクト……なにしにきたの?」
「…………なに。お前だけに任せておいてはラチがあかんと思ってな」
「…………あ、あの方は、知ってるの?」
「俺は道化。舞台を盛り上げるため踊るのに、誰の指図も受けない」
「……勝手なことを! ハヤトに関しては、すべて私が一任されているはず!」
「フッ。駒がずいぶん偉そうではないか」
グッ。俺の身体が義手で持ち上げられた。
ゴミのように片手でぶら下げられている。相変わらず、耳以外は何も利かない。だが俺は、ナミとホクトの会話を、頭に刻むように聞き入っていた。
「……ハヤトにさわるな!」
「ほう。情でも移ったか?」
「………………………………」
「勘違いするなよ……おまえはエサだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「………………………………」
「なんだその眼は。俺とやり合う気か? ハヤトの治療でアリバを失っているお前に何ができる?」
「ホクトオオオォォォ!!」
叫びながら、ナミがホクトに突っ込んでいく。
情けないことに、俺はそれをただ、聞くことしか出来なかった……。
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