7ー6 さよなら悪意の娘
「くそっ。ナミ! マユやケイのときみたいに、あの子を悪意から目覚めさせること、できねーのかよ!?」
「…………ダメ……コノミは、最初からこうなるために作られてる……今までが奇跡みたいなものだったんだ……」
「シモカワ……こうなったら、もうおまえしか居ねえ……その子を……コノミを楽にしてやれ……!」
「シモカワくん。コノミはとっくに悪意として覚醒していたんだ。シモカワくんが家を出て会いに行く前に。自我どころか、ヒトのカタチを保っているのが不思議なくらいだったんだよ! だけど、コノミはコノミであり続けた。キミのために……キミのことが好きだからッ!」
ハヤトさんとナミさんの声が。どこか。遠くから聞こえてくる。
「コノミ」
「………………………………」
シモカワ「行こう。海はあっちだよ」
つとめて平和な口調で語りかける。
ふたりで過ごしたあの日常のように。
昼下がりの学校の教室で過ごした、のんびりとした時間のように。
コノミ「ウみ?」
シモカワ「ああ。二人で見に行こうって。コノミに海を見せてあげるって、約束したろ? それでここまで来たんじゃないか」
「…………シモカワ……? おまえなにを……」
「待って。コノミの悪意の増殖が収まった……シモカワくんの語りかけで……シモカワくんが話しかけることで、コノミの自我が戻ってきている……」
「もう海はすぐそこだよ」
「…………せんぱい…………ワタシは…………」
シモカワ「だいじようぶ。さ。いっしょに行こう」
コノミ「ワタシは…………いけません…………ここまでみたいです」
シモカワ「コノミ?」
コノミ「もう身体が、自分の言うこトをきかないんです。せんぱいに危害を加えないのがせイいっぱい。ふふふ。海まであと少しナのに」
シモカワ「……………………」
コノミ「せんぱいがひっしにたたかって、ここまでツれてきてくれたのに…………ワタシって、ほんとドんくさいしダメだ」
シモカワ「コノミはだめなんかじゃないっ」
「…………おねがいです。せんぱい。ワタシを斬ってください。センパイは、ワタシに殺されてもいいって言ってくれた。本当に嬉しかったんです。涙が出るほど。でも、ワタシの気持ちもかんがえて? せんぱいを傷つけてしまったら、ワタシは今度こそ、生まれてきたことを後悔するんです。せっかくセンパイが、希望をくれたのに」
「………………………………」
僕は無言で腕を払った。
ボウッと悲しくなるほど弱々しい炎がコノミの身体を裂いた。
コノミが微笑んだ。
「……せんぱい。ナにかお話してください。そシたらもうすこしだけがんばれそうですかラ」
シモカワ「…………もう少しなんて言っちゃだめだ。僕らは、これから、ずっと一緒に居るんだろ? 今日だけじゃない。海だって何度でも連れて行く。志賀島だけじゃない。能古島でもいいし、少し遠いけど、電車で糸島だって連れて行くよ」
言いながらコノミを斬る。
シモカワ「ほかにも、花火だって、祭りだって」
コノミ「うふふ。いいなあ。せんぱいとはなび、おまつり。ワタシ一度でいいから浴衣きてみたかったんですよう」
何度も何度も。
「ゆ、ゆかたなら、僕の姉ちゃんのがあるよ。お古だけど。きっとコノミに似合う。……にあうに……きまってるっ」
「でも、とくべツなこと、しなくてモ、いいんですよう。東和にかよっテ、教室でべんキょうして、シンジローせんぱイやかわはラせんぱいと、おしごトして、すごくすごくたのしい……大切な……時間」
シモカワ「そ、そうだ……夏休みが明けたら、忙しくなるっ。体育祭だってあるし、文化祭も、修学旅行も……」
コノミ「ああ…………たのしみだな…………」
シモカワ「コノミがてつだってくれたら、すごく助かる……だから、これからも、僕の仕事を……てつだって」
何度も何度もなんどなんども。
僕は炎でコノミの身体を斬る。
コノミの姿がにじむ。のどがふるえる。
「……はい……ワタシ……どんクさいけど……グガガ……い、いっしょうけんめい、てつだいますカラ」
止まりそうになる自分の腕を、必死で動かし、コノミの身体を炎で裂く。
それが、コノミの望みだと……
楽にしてあげられるただひとつの方法なのだと。
弱い自分に無理やり言い聞かせて。
「………………………………」
「ワタシはせんぱいのとなりにいてもいいんですか?」
シモカワ「あたりまえじゃないか」
コノミ「デートしてくれますか?」
シモカワ「あ、ああ……する」
なんどもなんどもなんどもなんども。僕は。
「…………なんだよ、コレ……こんなの……残酷すぎるだろうがよッ……!」
「……………………………………」
ハヤトさんが地面を殴った。
ナミさんは泣いていた。
何度も斬って。なんども燃やして。ちくしょう。どうして僕はこんなにも無力なんだ。
「……………………………………」
「せんぱい……泣かないで」
コノミの指が僕の顔に触れる。
冷たい、氷のような細い指。
でも触れられた場所は熱く。
「…………ありがとう………………ワタシは人形でも道具でもありません…………だって、こんなにしあわせなんだから」
―― 生まれてきてよかった ――
……それがコノミの最後のことばだった。
◆
遠くに人垣ができているのをぼんやり眺めた。
赤色灯が回転している。
なにも考えられない。
これは現実なんだろうか。
アリバとか悪意とか。
なんだか、だれかが考えた、出来の悪い物語みたいだ。
僕とハヤトさんとナミさんとコノミは、騒ぎから離れ、金印ドッグの屋台がある松林に居た。
緩やかな朝の潮風が頬を撫でる。空はもう夏の朝の青みを帯びて。
「…………はい。逃走したM-002を発見・回収しました。すでに機能は停止、危険はありません…………はい。了解しました。お願いします……」
離れた松の木の間で、ナミさんがタブレットに話しかけているのを、僕とハヤトさんは、遠目に眺めていた。
ハヤトさんはひと言も口を開かなかった。
「…………もうすぐM-002……コノミを回収に処理班が来る」
「…………………………」
「…………ナミさん……教団って……なんなんですか…………」
僕はドロリとした瞳をナミさんに向ける。全身がダルくて、感情が痺れている。
「…………福岡市を守るために組織された機関」
「それは知ってます! コノミに聞きました! なんで、僕らの敵が、福岡市を守るとか言ってるんですか! だいたい、ナミさんって何者なんです!? 敵なんですか味方なんですか? そもそもアリバとか悪意ってなんなんだよ!? 答えろよ、ちくしょおおおおお!!」
ナミ「…………まだ言えない」
シモカワ「!!」
思わず僕の右手から怒りの炎が吹き出した。
スッとその腕をハヤトさんがつかんだ。
「…………もうわかってると思うけど、ボクは教団と関わりがある。だけど、ボクはハヤトとシモカワくんの味方だよ。そして、教団は敵。いつかそのときが来たら、ボクは全力で戦う。教団と。そしてこのロクでもないゲームを仕組んだ黒幕と」
「…………黒幕? 誰なんですかそれは!? ソイツがコノミをこんなふうにしたんですか!?」
地面に横たわるコノミの身体を見た。コノミはもう、動かない。
ナミ「それも言えない」
キッパリした口調に、怒りが暴発しそうになった。
「アンタまだそんなこと言うとかッッ!!」
ナミさんを激しくにらむ。
でもナミさんは、澄んだ、まっすぐな瞳でその視線を跳ね返した。
「なぜなら、それを話した瞬間、ボクたちはその相手と今すぐ戦わなくちゃいけなくなるから。
……けど、ボクたちはまだ弱い。今のままじゃ絶対に勝てない! だから、その先は言えないんだ」
ナミさんは、急に勢いを無くしてうつむいた。
哀惜を帯びた瞳で、コノミを見つめる。
「…………もっと強くならなくちゃ。ハヤトも。シモカワくんも。みんなも、そしてボク自身も……。
……今日のコノミのことを、ボクは絶対に忘れない……忘れるもんか!
コノミは、女としての強さをボクに見せてくれたよ。誰かを好きという気持ちだけで、コノミはあそこまで戦えた。それはボクに勇気をくれた。ボクには、コノミの気持ちが痛いくらいにわかる……
……だって、ボクも同じだから」
「ナミ……? そりゃどういう……」
ババババババ!
遠くの空から音が響き、赤い光を点滅させたヘリが近づいてくる。
ナミさんは、コノミの身体をぐっと抱きかかえた。
「……二人はここから去って。今日のところは……お願い」
「わかったぜ…………シモカワ、行こう」
ハヤトさんが言って、バイクに向かって歩く。
最後にもう一度、ナミさんに抱かれる可憐な肢体を、目に焼き付けた。
……さよなら、コノミ。僕の恋人。
ハヤトさんが投げたヘルメットをかぶりながら僕は言った。
「…………ハヤトさん」
「ん?」
シモカワ「海まで乗せてってくれませんか……? 見たいんです。コノミのぶんも」
ハヤト「ああ。いいぜ」
ハヤトさんはそう言うと、キーをまわし、ドルンとエンジンを吹かせた。
◆
夜明けの志賀島は本当に美しかった。
水色と桃色の混じり合った空。
虹色に輝く海。
その境目を登る、金色の太陽。
コノミにとって、世界は、美しかったのだろうか。
そうであったらいいな、と僕は思う。
島をまわる朝の海岸道路には誰も居なかった。
下馬ヶ浜海水浴場でハヤトさんはバイクを止めた。
僕たちは砂浜まで歩き、しっとりと冷たい砂に腰を下ろした。そして、静かに寄せる波を黙って見続けた。
「ねえ、ハヤトさん」
「んー?」
朝の海の風を浴びながら、ハヤトさんは伸びをする。
シモカワ「……ひとを好きになるって、辛いですね……」
ハヤト「……ああ。ツライよな。けど、お前は、そう思えるだけの相手に出会えたんだ。少なくとも、それは幸運だったと思うぜ?」
姉ちゃんと同じその言葉、僕は思わず笑みを漏らす。
「ナミさんって何者なんでしょうか」
「さあな。俺にもわかんねえ」
ナミ「ハヤトさんは、ナミさんを信じるんですか?」
ハヤト「まあな。信じるしかねーんだよ。俺の場合」
ハヤトさんは自嘲気味に笑った。
「…………実はな、俺にはアリバがねえんだわ。お前らと違ってな。ナミからの借り物なんだ」
「…………え?」
そして、ハヤトさんは僕にすべてを打ち明けてくれた。
鴻ノ巣山での出会い。隕石。瀕死の重傷。ナミさんが治療のためアリバをすべて使ったこと。
それが、ハヤトさんに宿り、擬似的なアリバのチカラとなったこと。
それがわかってからも、迷いながらリーダーを続けてきたこと……。
話の終わりにハヤトさんは言った。
「…………俺のほうこそ聞きてーよ。シモカワ。お前は、俺がリーダーなんかやってていいと思うか?」
もちろん。僕の答えは決まっている。
「あたりまえじゃないですか! ほかに誰が居るんですか! ハヤトさんにアリバがないというのなら、僕が先陣を切って、ハヤトさんの道を拓きます!」
ハヤトさんは苦笑して肩をすくめる。
ハヤト「けど、ナミの言う通りだ。強くならないとな、俺も。もっと……」
シモカワ「……強くなりたいです。僕は。もっともっと。いつかハヤトさんを越えられるくらいに」
「へっ。お前はとっくに俺なんかより強いよ。コノミちゃんだって、きっとそう言うと思うぜ? 『先輩はあなたなんかよりずっとずっと強いですよう』ってな」
ハヤトさんのその言葉を聞いた瞬間、きっとずっと我慢し、せきとめ続けていた僕の涙が、一気にあふれてきた。
僕は泣いた。
子供のようにワンワン泣きじゃくった。コノミの名前を何度も呼んで。
ハヤトさんは、そんな僕の頭に、ポンと手を置いてくれた。
……高校を卒業したら、免許をとって、バイクを買おう。
急にそう思った。
そして、もう一度、この海を。あの子と。
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