幕間10 花火
「はい」
「…………はいって、母さん……なにこれ?」
サユリとのゲーム騒動が終わった夜。
帰るなり、意味深な笑顔で近づいてきた母さんが、俺の手にそっと五千円札を握らせてきた。
母「なにって、軍資金よ。ぐ・ん・し・き・ん」
ハヤト「軍資金? なんの?」
「今日は、大池公園の花火大会でしょ? ナミちゃんや高校生の子たちにゴチソウしてあげなさいよ」
「あ。今日だっけ……」
福岡市晩夏の風物詩【大池公園夏祭り】。毎年必ず行くんだが、今年は悪意との戦いに明け暮れて、すっかり忘れてたぜ……。
「よーし。てことでお前ら、今から大池公園の夏祭りに行くぜっ」
「オウヨッ! 超・賛・成! ヒャッホーーーーイ」
「……おまえの強引な思いつきにはもう慣れたぞお」
「フッ……。このコミネ、実は祭りはキライではない……」
「あー。もうそんな時期かー」
「高校生は、少し遅くなるって家に連絡しとけよー」
「はーい。姉ちゃんにご飯いらないって言っておかなきゃ」
「……どうせ家帰っても、誰も居ないっつーの……」
「………………………………」
……しっかし、母さんの気遣いは嬉しいが、総勢13人もの大所帯。
(炎カスガ・シンジロー・シモカワ。氷ヤノ・カムラ・カワハラ。風コミネ・ヤギハラ・クリハラ。電波ヨシオ。それに俺、ナミ、ササハラ)
五千円の軍資金じゃ、あっという間になくなっちまうぜ……。
「だったらオレも出すよー」
カスガが五千円を財布から出した。
「……まあ、上が出すのがお約束だよなあ……」
体育会系のヤノもそう言ってガマグチを開く。
「む、ムウ……ッ! このコミネ、ちと予算が心もとないがッ……」
コミネは皮のベストのポケットをあちこちまさぐり、なんとか千円札三枚と、小銭を何枚か、バラバラ探し出した。
「…………私も出そう。今日は久しぶりにちょっと楽しかった。皆と屋台でビールでも飲みたい」
ササハラはクールにそう言って、きっぷよく一万円札を出す。
「…………よし。資金はこれでなんとかなりそうだな……」
みんなで行き支度をしていると、悪戯っぽく笑った母さんが、ナミにチョイチョイと手招き。
「……ナミちゃん。ちょっとちょっと」
「? なんですかお母さん」
母「ちょっとおいで。いいもの着させてあげる」
二人で母さんの部屋に入り、待つこと15分……。
ドアから出てきたのは、濃いブルーの浴衣を身にまとったナミだった。帯はオレンジ。明るい花の模様があしらわれている。
「せっかくの夏祭りだもん。浴衣くらい着ないとねー。私のお古だけど、ぴったりでよかったわあ」
照れくさそうにモジモジするナミの後ろで、母さんが嬉しそうに言った。
ドアの陰に隠れようとするナミを、グイグイ前に押し出す。
「うわあ……! キレイだ……ほんとに綺麗ですよ……! ナミさん!」
「ム、ムウウ……! て、天女!? 天女がいまッ降臨したッッ……!」
「ナミさん! すっげえ似合ってますよ! ちくしょおおおお。アニチは幸せものだなあー!」
「浴衣の威力はすごいぞお。ナミはまあ、もともと可愛いんだが、さらにキレイになった気がするなあ」
「ムホホ……三次元もそう捨てたものではありませんねえ。ナミさん、痴漢にはご注意を」
「……可憐でゴザル……大和撫子にはやっぱり浴衣がよく似合うでゴザルなあ……。……イオリさんも、きっと……」
「うん。いいよー。ナミって黙ってれば、すごい可愛いもんねー」
「ハッとしてグッド! ですな」
「ヌヘヘヘ。この美しさなら、誰かさんよりもっとランクの高い男だって釣れますぜ」
「え? え? なにが? みんな、なんの話しとーと?」
「…………みんな…………ありがとう……」
「ほら、ハヤト。なに黙ってんだあ? ちゃんとホメてやれ」
ヤノのぶっとい腕で俺はグンと押し出される。
「………………………………」
「………………………………」
ナミ「……………………どう?」
ハヤト「…………どうって…………」可愛いに決まってんだろ。
「…………お母さんが着せてくれた」
「…………おう」
ナミ「…………ボク、浴衣なんか初めて着たっ……」
ハヤト「……そうなのか?」
ナミ「…………お化粧も、してもらった」
ハヤト「……そういや、なんか感じ違うな」
「…………あと、コレもらった」
仏頂面のナミが俺に差し出したもの。
それは……口紅だった。
薄化粧された綺麗な顔。唇に紅がひいてあった。
たったそれだけなのに、別人のような華やかさだった。
ハヤト「口紅か」
ナミの白い指がつまむ、艶のある黒と銀のスティックを見た。
「母さんのお古ってことは、けっこう年代物なんじゃねえ?」
本当はもっと別のことを言うべきだろうに、うまく言葉が出てこない。そんな茶化したようなことしか出てこない。
ドキドキして……息が苦しい。
「失礼ねえ。いちお、ディオールよ」
「ボク……うれしいです! 大事にしますっ」
「ま。とにかく……行きますか」
なんだか気恥ずかしくて、ナミのほうを見てられねえ。
くそっ。それなりにモテてきたはずの俺が、なんてザマだよ……。
俺たちはゾロゾロと家を出て、大池通りへ向かった……。
◆
夜の大池通り。
飽きるほど通ったいつもの道。だけど、今日はたくさんのひとが行き交い、別の街のように賑わっていた。屋台もたくさん出ている。
俺たちは人混みの間を歩いて、ゆったり大池公園を目指した。
セーブカンパニーの前を通りがかる。
表の照明は消えていたが、中には薄ぼんやりと明かりがついていて、正面のガラスには、並んで外をのぞく制服姿の女の姿が見えた。
「………………………………」
その中の一人、スエと目が合う。俺は親指をグッと立てて微笑んだ。
スエもまた、ニッコリ笑って、同じようにサムズアップ。
ドスッ。
浴衣姿のナミが俺の腹に鋭くエルボーしてきて、一瞬息が止まった。
「あ。ゴメン。腕がぶつかった。人混みがすごいから」
なんで人混みがすげえと、俺の腹にヒジが当たるんだよ……と思ったが黙っていた。
大池通りは、大池公園までまっすぐ続く。
少しずつ夜も涼しくなってきた気がする。
過ごしやすくはあるが、ちょっとだけ寂しくも感じた。
幻のような屋台の列は、どこまでもどこまでも続いていく。
信号は点滅し、車の通りは遮られ、通り全部がお祭り会場になっている。
ふと気がつくと、まわりに仲間たちの姿がない。
「…………まいったな。はぐれちまった」
「すごいひとだもんね」
祭りの軍資金はカスガに預けてあるから大丈夫か。
大池公園に近づくほど密度は増していき、夜の城のようにライトアップされたアピロスが見えるころには、まっすぐ歩けないほどだった。
ゆっくりした流れに身を任せながら、大池公園の中央広場へ入る。
スポットライトがまぶしい中央ステージでは、甲高いアニメ声の女の司会で、イベントが行われているようだ。
とつぜん、流行りの超人気アニメの主題歌が爆音でかかった。
大歓声が上がると同時に、そのアニメキャラのコスプレをした男女が壇上に駆け出てきた。
一斉にカメラのフラッシュがたかれる。その光の中でひときわ目立っているのは……。
「ハヤト。あれ……!」
「なにやってんだ……アイツ」
そのアニメはよく知らないが、どう見てもそれ関係の和装コスプレをしたケイだった。
どうやら、コスプレコンテストでもやってるらしいが……。
参加者にマイクが渡され、ひとりひとりが簡単な自己紹介をしている。
ケイの番になった……と思ったら、とつぜんそのケイが俺に気づいた。
「あああっ。ハヤト! アンタも来てたの? つーかっ、なに浴衣着たナミと仲良く歩いてるワケ!? しかもすっごい似合ってるし! ちょっと、ふたりともこっち上がってきなさい! 五秒以内に!」
お祭り会場に響き渡る大ボリュームで、突然そんなことを言い出すケイ。
会場中の視線が一斉に俺とナミを向く。
な、な、なに考えてんだ、アイツは!
「ジョウダンじゃねえっ」
とっさにナミの手を引き、ステージに背を向けた。
ひとの壁をかき分けながら、その場を離れるっ。
「あーーーコラーーーー逃げるなーーーー! おーぼーえーてーろーーー」
マイクで叫ぶケイを残し、俺たちは公園を走り抜けた!
大池公園の真ん中には、その名の通り大きな池がある。
その周囲をめぐる木立の散歩道を走った。会場から離れるほど、人も屋台の数も減り、雰囲気も落ち着いてきた。
ハアハア言いながらナミの手を握って走っていると、またまた知った顔に出会った。
「あ、お兄ちゃん!」
「よう、マユ!」
足踏みしながら俺は言った。
「さっき放送で、お兄ちゃんの名前が聞こえたけど……!?」
「ははっ。気にするなっ。今日はお母さんと一緒か。いいなっ。お祭り、楽しめよっ」
マユ「う、ウン……」
早口に言うと、そのまま止まらずに駆け抜けた。
バスン!
バスバスン!
そうこうしているうちに、花火が上がり始めた。
俺たちは走るのをやめた。いつのまにか公園の一番奥、静かな木立の中に来ていた。
「おっと。始まったな」
うまい具合に、ひと気はないのに、花火はバッチリの穴場スポットに来たらしい。
夏の夜空を染め上げる大輪の花火と、静かな夜の池にパラパラ落ちる火の粉が、綺麗に見通せた。
俺とナミは、黙って花火を見つめた。
バスン!
バスバスン!
花火が上がる。
ずっと手をつないだままだった。
けれどナミはそれを嫌がる様子もないし、俺もなんとなく離す気にならなかった。
花火は上がり続ける。
気がつくとナミは泣いていた。
片手は俺の手と繋がったまま。
もう片方の手で目を覆い、身を震わせている。
「お、おい……ナミ?」
「ボク…………花火も…………初めて見た」
空が爆発するような音のあいまに、ナミの涙声が聞こえてくる。
ハヤト「なんでそれで泣くんだよ」
ナミ「こんなに楽しいのも初めてで」
ハヤト「………………………………」
「みんな、すごくいい仲間たちで」
「………………………………」
ナミ「お母さんも優しくて」
ハヤト「………………………………」
ナミ「…………ハヤトも…………」
ハヤト「………………………………」
「……失いたくない」
「………………………………」
ナミ「この時間が……終わってほしくない……」
ハヤト「………………………………」
ナミ「離れ離れになりたくない!」
ハヤト「ずっといっしょに居ればいい」
ナミの細い肩をつかみ、そっと自分のほうに向かせた。
涙に濡れた透明な表情が、ぼんやり顔を上げた。
薄く開かれた紅い唇に自分の口を少し乱暴に押し当てた。
美しい顔が驚き、固まり、目が見開き、そして……
やがてゆっくりとその瞳が閉じられた。
空ではずっと花火が上がり続けていた。
俺は、薄い浴衣に包まれた小刻みに震えるナミの身体をしっかりと抱きしめ……
ずっと、そのまま、キスした。
ナミはずっと泣いていた。
◆
お祭りのような毎日だった。
俺は、ナミと、仲間たちと、幼いころから過ごした福岡の街を駆け、悪意という正体不明の存在と戦った。
詳しいことは何も聞かなかった。ナミもなにも話さなかった。それでいいと思った。
この夏がずっと続けば……夏休みが永遠であれば、とそう思った。
聞いてしまうと、なにもかもが変わってしまいそうで、怖かったのだ。
だけど、いつか夏は終わり、夏休みは終わる。
なら、俺たちはどうなる?
いつか、後回しにしていたものすべてが一斉に押し寄せ、俺はそのすべてにツケを支払い、真実を知らなければならないのか?
俺とナミの時間は終わってしまうのか?
だけど、こうも思う……。
夏が終わり、秋が来て、冬が訪れ、春を経て、また夏が来るように……
俺とナミも、ずっと一緒に居続ければいい。
なにも、アリバとか悪意との戦いばかりがすべてじゃない。
普通のカップルみたいに、一緒に日々を過ごし、時間を分かち合い、思い出を重ね、年を取っていくことだってできるはず。
そして仲間たちと、終わらない夏休みのような、そんな楽しい毎日を……。
けれども……
俺たち福岡ファイターが、フルメンバーで夏を過ごせたのは、これが最初で最後だった。
そして……
俺は、この日の涙の意味を、やがて知る。
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