11-2 クリハラ10番勝負!2
……また夢を見ていた。
今度は夢だとすぐわかった。その邪悪な女の顔を見て……。
「……クリハラクン。話ってなあに? こんなところに呼び出したりして……」
「は、ハズキさん!」
……やめろクリハラ。それ以上話すな! その女は、おまえが思っていたような女じゃないんだ!
……今のおれはそう叫ぶが、中学生のおれに、その叫びは聞こえない。
「は、ハズキさんも、ちっ、筑紫丘高校に、受験するって聞いて、その…………いっしょに、勉強とかできたら……いいな、って思って……」
「…………え。クリハラクンも、筑紫丘、受けるの? ほんと?」
ヒグラシの鳴く放課後の神社。
ハズキという女生徒は、花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「は、はいっ。ウチはあまりお金がないから、できれば公立に行きたいと思ってて……それで」
「それで、ワタシと一緒に勉強したいの? ……クリハラクン、もしかしてワタシのこと……好きなの?」
「ええ!? ………あ、いや、その……」
「こたえて?」
ハズキは小首をかしげてニッコリ笑う。
ずっと憧れていたクラスのアイドル。野間中学校でも指折りの美人だけに、その笑顔は、眩しく光り輝いているようだった。
「……おれ……と、と、友達になれたら……と思って」
「……はあ? バッカじゃねーの、おまえ」
「……………………え?」
ギャハハハハハハハハ!
あふれる嘲笑が響き、下卑た表情の男たちが、物陰からぞろぞろ出てきた。
「…………オイオイオイ。クリリン。身のほどをわきまえろって。ハズキも筑高も、おまえみたいなゴミクズが狙っていいわけねーだろ?」
タバコに火を着けながらクククと笑うその男。
クラスでも、いや中学校でも一番有名な不良だった……。
素行の悪さにも関わらず、スポーツ万能、成績はトップクラス、親は福岡でも指折りの大会社の社長で、教師も誰も手が出せない男……。
「……………………」
口をパクパクさせながら、おれはハズキを見た。
意地の悪い笑顔を浮かべたハズキが、その男のそばにタッと駆け寄る。
入れ違いで、手下ふたりがこっちに近づいてきた。ガタイがよく、クラスでも札付きのワルどもだ。
「…………親のしつけが悪ィ犬には、『お仕置き』が必要だな」
アイツが言うや、ワルふたりはおれの腹を蹴った。
おれは地面をのたうちまわる。
「おまえんち、親が離婚して母親だけなんだって? ダメだねエ、片親は。金がねーと、子供もマトモに育てられないなんて、貧乏人ってのぁ悲惨だよなあ」
くわえたタバコを上下させながら、アイツはおれを見下し、哀れっぽく笑った。
おれの頭の中がカッと爆ぜた。
「……母さんを、侮辱するなあああああああ!!!!」
夢の中の中学生のおれは、猛然とその男に突き進んだ。
薄ら笑いを浮かべる男の顔面めがけて拳を振り上げる。
拳はあっさり空を切った。男は余裕の笑いを浮かべたまま、おれのパンチをかんたんに避けた。
「……しつけがなってねェばかりか、ずいぶん反抗的じゃねーの」
男がプッとタバコを吐き捨てた。
「……二度と噛みついてこねェように、調教してやらないとね」
ドゴンッ!
腹に砲丸でもぶつけられたような衝撃。喉元までゲロがこみ上げる。
冷たい笑顔を張り付かせたまま、男はおれを殴り続ける。
地面に倒され、身体中が砂と小枝まみれになり、あちこちに痛みが走り……
おれは泣きながら、必死に許しを請うて……
「…………ご、ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……」
「バーカ。ゆるさねーよ」
「……なさけーねーやつ」
「ああああああああああああああああああああああ!!!」
そして。目が覚めた。
……思えば、あのハズキという女生徒に手紙を出し、神社に呼び出してからが、おれの悪夢のすべての始まりだったかもしれない……。
◆
今朝のロードワークは、気づけば20キロ走っていた。
高宮八幡宮が近づいてくるころには、すっかり日も高くなっていた。
コミネさんのことが気になったけど、おれの姿がなければ、すぐに帰っただろう。
セミの声の中、石段を一気に駆け上る。
20キロ走ってもぜんぜん疲れなかった。アリバで肉体が強化されたせいで、ふつうのトレーニングでは追いつかなくなっている。
一礼するのも忘れて、鳥居をくぐった。そしておれの顔面が引きつった。
夏の緑があふれる境内に座るその姿。
制服は変わっても、その毒を秘めた可憐な顔は、忘れようがない。
ハズキは、おれの知っている男と境内に座り、笑いながら何かを読んでいた。男は中学時代さんざんおれをイジメたグループのやつだ。
ふたりが読んでいるのは……
……隠しておいたはずの……クリハラ・メモ!!
「あ」
ハズキが呆然と立ち尽くすおれの姿に気づいた。
「おおーっと。ひさびさのクリリンとうじょー。やっぱこの手帳、おまえのかよ」
男がクリハラメモをヒラヒラ振って見せた。
「か、かえせっ!」
身体がすくんでしまっているのが自分でもわかった。
「クリハラ・メモなんて表紙に書いてあるからそうじゃねーかと思ったけど、すげえね、おまえ。なにこの『いつか殺してやるリスト』? ヤベエやつとは思ってたけど、おまえぜってーそのうち犯罪起こすだろ」
クリハラ・メモに書いておいたのは、じつは福岡ファイターの情報だけじゃない……。
「しかも、なんだこの【栗崎悪太郎】って? おまえのペンネーム?」
全身から血の気が引いた。
誰も知らない、知られてはならない、その名前……。
それは、おれがパソコン通信上で使っているハンドルネーム。その名前でおれは、ずいぶんとBBS上に罵詈雑言を書き込み、憂さ晴らししてきた。
けれど、そんなのは、アリバに目覚め、福岡ファイターとなるずっと前のこと。おれは変わったのだ……。
「か、かえせっ……」
「ああ? やんのかコラ?」
「もう……やめときなって。クリリンなんてほっといて、行こうよ」
困り顔のハズキが、形ばかり男を止める。
男は一般人だ。アリバでも悪意でもない。おれが毎日戦っている悪意どもに比べれば、お話にならないくらい弱い。それはわかっている。
なのに……
「クリリンのくせに、イキがってんじゃねえ……オオッ!?」
そのひと言で、蛇ににらまれたカエルのように身体がすくんでしまった。トラウマが、おれを縛りつけ、完全に萎縮させてしまっていた……。
「そーいや、おまえけっきょく東和にしか入れなかったって? せっかくチマチマ勉強してたのにな? アタマ悪いと、努力なんて報われないもんだなー。東和とか、バカしか通ってねーだろ」
「…………東和をバカにするなっ……おれの友達を……バカにするなっ……!」
萎縮しきったおれの身体の奥底で、小さな炎が灯った。
「は? おまえ、俺に逆らうの? クリリンの分際で?」
ソイツのひとにらみで、小さな炎はすぐに勢いをなくした……。
またも目をそらし、うつむいてしまう。
「こりゃお仕置きが必要だな」
嬉しそうに男が口にした『お仕置き』……
コイツらのリーダーだったあのボクサーの口癖だ……。中学時代、『お仕置き』と称して、あらゆる暴力を受けた記憶が、フラッシュバックした。
シュボッ。
男が百円ライターで火をつけた。
それを、ゆっくりクリハラ・メモに近づけていく……。
「や、やめろっ!」
「その口のきき方はなんだって聞いてんだろおがよォ? やめて欲しかったら、やめてくださいだろうがっ」
「や、やめて……ください……」
「…………チッ」
ハズキが嘲るような目でおれを見下す。
「やめて欲しかったら……そうだな……おっ。ちょうどいいモン見っけ」
男の視線の先には、地面に転がる茶色い物体。
全身が一瞬で硬直した。それは、中学時代のおれが無理やり食わされた、あの忌まわしい汚物……。
「……コイツに顔つけて土下座しろや」
冷酷に男が命じた。細胞レベルで恐怖に支配されたおれは、それを拒否できなかった。
「…………ううう………」
犬のフンの前にひざまずく。
ハズキが何かつぶやくのが聞こえた。
「……なさけねーヤツ。強くなけりゃ、男って言えないでしょ」
……ハズキの言う通りだ……おれは……おれはどうしようもなく弱くて……ダメなやつで……
「フフフ……女子よ。男の強さには、いろいろあるのだぞ……?」
とつぜん聞き覚えのある声が響いた。こ、この声は……!
「こ、コミネさん!」
「たまたまこの近くを通りかかってな」
コミネさんが、いつのまにか立っていた。
その普通じゃない姿を見て、さすがに男とハズキがひるむ。
「な、なんだよオッサン! おまえ誰だよッ」
「……コミネ。そこに居るクリハラの戦友《とも》にして、コミネ神拳の伝承者……ついでに言うと、オッサンではない……大学生だ……」
コミネさんは、ゆっくりおれたちに近づいてくる。
「な、なんだよ……も、文句あんのかよっ! やんのか!? オオッ!!」
コミネさんの迫力にすっかりビビった男が虚勢を張った。その手には、まだ火のついたライターとクリハラ・メモが握られていた。
「そのメモはクリハラの大切なもの……返してはくれまいか?」
次の瞬間、おれは我が目を疑った!
「…………このとおりだ」
コミネさんは、ゆっくりひざまずき……
犬のフン目がけて……
ためらいなく顔を下ろしたのだ!
「コミネさん!!」
自分で命じたその男も、ハズキも、あっけにとられていた。
「コミネさん! やめてください! 顔を上げてくださいっ!」
おれは叫ぶが、コミネさんはそんな声が聞こえないかのように、土下座を続けた。
そして、汚物にまみれた、けれど涼やかな顔を上げて、ひと言……。
「これでも足りぬなら、ほかになんでもしよう……食えと言われれば、喜んで食うが……?」
気負いのない静かな声だった。しかしそこにはまぎれもなく、巨大な巌のような圧倒的オーラが満ちていた。
「……ケッ。見かけ倒しだな、オッサン!」
手を出してはいけない本能的な恐怖を感じとったのだろう。
男は、コミネさんの静かな迫力から逃げるように背を向けると、戸惑うハズキの手を引いて、足早に神社から去っていった。
「こ、コミネさん! どうして……」
ガックリとひざをついたおれのノドから、声が絞り出された。
「コミネさんなら、あんなやつ、指先ひとつで……」
「……フフフ。クリハラよ。我ら福岡ファイターは正義の使徒。コミネ神拳は悪を討つ牙なのだ。このコミネ、一般人に向けて振るう拳は持っておらん……。この頭を下げてクリハラ・メモが取り戻せるなら、安いものだ……」
「こ、コミネさん……あなたというひとは……」
男の中の男……。そう思ったとたん、涙があふれてきた。コミネさんを尊敬して本当によかった……。
「フッ。ハヤトでもきっと同じことをしたと思うぞ?」
「………………………………」
「さあ、クリハラ。顔を洗ったら、今日も始めるぞっ。おまえの怒りは、トレーニングにぶつけるのだ!」
「ハイ!」
そしておれは、今日もコミネさんとスパーリングをするのだった。
もし、ハヤトさんだったら……はたして、コミネさんと同じことをしただろうか……?
……そんなことを頭の隅で考えながら……。
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