10-2 開幕
「…………もう! 今度はぜんぜんつながらない! あいつどこでなにやってんだーーーー」
ナミが電話を叩き壊しかねない勢いで言った。
すでにカタギリ家には全員集合しているのに、かんじんのリーダーだけが、朝からずっと居ない。
ナミの電話もさっきは繋がったようだったが、どこで何をしているかは、はぐらかされたらしい。
「こっそり格闘技の練習でもしてるんじゃないですかねえ。最近、悪意もやたらと強くなってきてるし」
「男にはひとりになりたいときもありますな? どこかで孤独に浸ってるかもしれませんな?」
「ヌヘヘヘ。別の女とデートでもしてんじゃないですか」
「そそそ! ケイさんとか……」
「だまれ! 特にカワハラ! ナミさんがおるのに、そんなワケなかろうがっ!」ズバズバッ!!
「うぎゃあ!!」
「ぎゃひぃっ!」
「そうでゴザルっ。ハヤトどのもまた愛の戦士……そんなフラチなことをするおひとではゴザらん!」
「そーだねー。アイツはそういうところは信用できるよ、ナミー」
「ナミさん! 大丈夫ですよ。兄貴はナミさんを裏切ったりはぜったいにしません!」
「…………ぼ、ボクたち……べつに……そーいうかんけいじゃ……ハヤトをしばる権利とか……ボクにはないし……」
「……それはともかく、珍しいな。ハヤトに連絡がつかんというのも」
たしかに。ハヤトって男は鉄砲玉だし、マイペースで、自分からはあまり連絡してこない。だが、こっちからの連絡にはすぐ答えるのだ。
「……かりに、もしナミを裏切り、他の女と密会などしてようものなら……このコミネ、ヤツを処刑する……」
「他の女」というところで何かが引っかかった。時間はまさに、俺とサユリが会うはずだった頃合い……。
ハヤトから面会場所や時間を聞き出されたのは、俺がコッソリ行かないよう釘を刺されたのだと思っていたが、もしやアイツ、自分がサユリと話をつけに行ったんじゃ……。
と、そのとき。はかったかのように、当のサユリから着信が来た。
ピッ。
「さ、サユリ……?」
『ヤノくん……福岡ファイターはみんなそろってる?』
「…………どうして、おまえが、それを知ってるんだよお……」
『そりゃあね……アナタたちの敵、悪意だからね!』
目の前が真っ暗になった。
「悪意っ!? って、どういうことだよお!」
俺の叫びで、ざわついていたまわりが、水を打ったように静まり返った。
その静けさの中、やけに上機嫌なサユリの声が、異質に響く。
『ワタシは悪意になったってこと! で、ヤノくんたちが探しているヒトなら、ここに居るよ! 今のところはまだ無事だけど、いつまでもつかな』
「は、ハヤトもそこに居るのかよお……!」
『まあね! 最初からこのヒトが狙いだったからね!』
「さ、サユリ……いったいどうなってんだよお……」
『相変わらず、血の巡りが遅いねっ! ハヤトさんには毒を飲んでもらった! はやくなんとかしないとヤバイよ!』
「ど、毒!? ハヤトに? なんでそんなことするんだよおおおお!!??」
「……はじまりの場所で待ってる!」
電話は切られた……。
とたんに、仲間たちからの質問の嵐。
「ヤノさん! ハヤトがどうしたの!?」
「今の電話、サユリちゃんなのかー?」
「なんで兄貴はサユリさんと一緒なの!?」
「処刑か? 処刑が必要かッ?」
「ヌヘヘヘ。友達のカノジョと寝取られ展開……」
「だまっとけ!」ズバァッ!
「ムホホ。毒とか聞こえましたが……?」
「話がまったく見えませんな?」
俺だって、話はまったく見えない……。だがとにかく、泣きそうな顔になっているナミに、わかっていることを告げた。
サユリからの久しぶりの電話……俺の代わりに話をつけに行ったハヤト……そこでハヤトが毒を盛られたこと……。
……サユリが……悪意になってしまったこと……。
「ついに敵も本腰を入れてきたということか」
ササハラがクールに言った。
「福岡ファイターに、初めて明確な攻撃を仕掛けてきた。それも、リーダーであるハヤトをピンポイントに狙って。……サユリは自分のことを悪意だとはっきり言ったんだな?」
ササハラの問いに俺はうなずく。
「これまでのデータから、悪意に取りつかれた人間は、意識が明晰なほど強力な傾向がある。それに、いくら悪意でも、ふつうの女子大生に毒など簡単には手に入るまい。組織だって動いていると考えるべきだろう」
組織……。サユリがなんで……。
「ヤノさん……はじまりの場所って、もしかして」
ナミが顔を上げた。
さっきまでの戸惑いは消え、決意に満ちた、凛とした顔になっている。
「……福岡市動物園、だぞお…」
俺たち福岡ファイターは、夏の日差しの中、動物園まで急いだ……。
◆
夏の緑があふれんばかりに茂った福岡市動物園……。
サユリはここが好きで、俺たちは何度もデートで訪れた。
不器用で誤解されやすいサユリは、他人から悪く言われたり、敵を作りがちなタイプだったけど、こころの純粋な、ひたむきな女だった。
動物が好きなのも、人間みたいに悪口を言ったり、裏切ったりしないから、だと……。
そんなサユリが、どうして悪意になんかなってしまったんだよお……。
ゲートをくぐり、ジリジリした日差しが眩しい園内を走った。
ここでハヤトとタイマンをし、氷のアリバに目覚めたのが、もうずいぶん前のことに感じる。
象の檻の前に、サユリは佇んでいた……。
その、気だるげで、どこか浮世離れした様子は、いつもの、デートでの待ち合わせのときとまったく同じで、不思議な既視感を覚える……。
サユリの瞳が紅く……
そばに、荒い息で汗にまみれ、苦しそうに横たわるハヤトが居なければ。
「やあっと来たね、ヤノくん! 待ちくたびれたよ!」
「サユリぃ! これはいったい、どういうことなんだよお!」
「どうもこうもないよ。ワタシは悪意になった。そして、教団にもらった毒をハヤトさんに盛った。それだけの話!」
「それだけじゃないだろうがよおおお! なんでおまえが悪意になんかなってしまったんだよお!」
「それ、そんなに重要?」
「あたりまえだろお!」
「悪意になれば、ワタシの故障した腕が治るって言われたからね! アナタのせいで失ったアーチェリーを取り戻せるっ! やあっと手に入れたこのチャンス! 見のがすほどバカじゃないっ!」
アーチェリー……俺のせいで……奪われた……
両膝から力が抜け、フラリと倒れそうになる……
そして、俺とサユリの因縁であるアーチェリーが、頭をめぐった……。
◆
……俺とサユリのなれそめは、東西大学アーチェリー部での、先輩後輩という関係からだった。
俺のほうは競技者としてはパッとしなかったが、サユリは東西大学が誇る名選手だった。
何度も大会で表彰され、国体にも出場経験があった。サユリは才能もあったが、それ以上に、努力の鬼だった。人生のすべてを弓に賭けていたと言ってもいい。
それは俺と付き合いだしてからも変わらなかった……。
だが、その妥協を許さないストイックさと、敵を作りやすい本人の性格のせいで、まわりからは妬まれ、部では孤立し、コーチからは厳しく扱われた。
そんなまわりを見返すため、サユリはどんどん無理をするようになった。
身体もかえりみず、
ただただ自分を追い込み、
過酷な練習をおのれに課した。
……俺は……サユリのただひとりの味方として、応援し続けた。
ガンバレ。ガンバレ。と……。肝心なことは見落として……。
そして、あの事件が起きた……。
「…………っ痛ッッッ……!」
いつもの練習中、サユリの腕の腱がついに限界を超えた。
慢性的な腱鞘炎。本当は、コップも持ちあげられないほど、サユリは傷ついていたのだ。俺はそれも気が付かず、サユリをただ応援していただけだった。
「…………うそみたい……もう……アーチェリー……できないんだって…………」
手術は失敗し、サユリの右腕からは、弓を引く力がなくなった。
「…………なんなの、これ…………ワタシには、アーチェリーだけだった。敵だらけの世の中で、弓だけがワタシを救ってくれた……! なのに、なにも悪いことしてないのに、その弓を奪われたッ……! フザけてる……ほんっとフザけてる! ……ねえヤノくん……」
サユリはゾっするような暗い瞳で笑った。
「……どうして、こんなふうになるの……止めてくれなかったの……?」
・
・
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「だからって、なんでハヤトに毒を盛るんだっ! ……教団がそんな勝手を許すはずがないっ」
ナミの声で我に返った。サユリをにらんでいる。
「ふうん。アナタがナミ? 詳しくは知らないけど、教団の方針もちょっと変わってきたってことじゃない?」
「…………なにが望みだ?」
珍しくササハラが前に出た。
「……わざわざ即死させない遅効性の毒を使い、福岡ファイターを呼び出した。さしずめ、ハヤトは人質といったところだろう? ここまで用意周到に計画したからには、なにか要望があるのだろう。それを聞こう」
「話が早いね! ワタシは……アナタたちと、ゲームがしたい!」
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