7ー5 炎よりも熱い氷 氷よりも澄んだ炎
ハヤトさんの象徴のような、その青いバイク。
僕たち東和校生は、そのバイクにまたがるハヤトさんの姿に、心底憧れたものだ。
僕も。シンジローも。クリハラも。あのカムラやヤギハラですらも。
だけど今、その青いバイクが、僕とコノミの最後の障壁となった。
「シモカワ。聞いてくれ。その子は……」
「悪意だって言うんでしょ!? とっくに知っとりますよ! けど、それがなんだって言うんですか! 本気で好きになったたったひとりの女の子が悪意だった。その子が海が見たいって言うから連れてきた! それが……それのなにがイカンって言うとですか…………!」
ハヤト「シモカワ……」
ナミ「ハヤト。ボクが説明する…………」
「シモカワくん。もうダメなんだ。M-002はすでに崩壊が始まっている。とっくに最狂の悪意として覚醒しているんだよ。それも、オリジナルであるマユを凌駕する、強大で危険な悪意として……」
シモカワ「コノミをそんな型番で呼ぶな! ボテくりこっかすぞッ!」
ナミ「…………………シモカワくん」
ハヤト「シモカワ」
ハヤトさんがゆっくり一歩前に出た。
静かな声だった。だけど、ガタイのいいヤノさんやコミネさんより、ずっと大きく見えた。
「その子の氷属性は、とてつもなく危険なんだ。それが暴走しちまったら、福岡市がどうなるかわからねえ。そして、そばに居るお前が、その最初の犠牲者になるだろう。炎属性のお前はひとたまりもねえ。……死ぬかもしれないんだぜ?」
「…………コノミに殺されるなら本望ですよ」
ハヤト「フザけんなッ。そういうことを簡単に言ってんじゃねえ、ガキが!」
シモカワ「…………だったら、僕も言わせてもらいますけどね、ハヤトさん! もし、ナミさんが悪意だったとしたら、どうしますか!?」
ハヤト「……………………!」
「もしナミさんが人類の敵……悪意だったとしたら…………あなたは、福岡中を敵にまわしたって、ナミさんを護って戦うはずだ! あなたはそんなひとだ……違いますかっ!?」
「……………………。そうかもな」
「!?」
ハヤト「……だがな」
ハヤトさんが力のこもった瞳でギラリと僕を見た。
「そうなったとき、血迷った俺を止めようと、最後の最後まで死力を尽くして俺の前に立ちはだかるのが、シモカワ、お前だろうよ!」
「!!!」
「…………もうコレしかねーようだぜ、ナミ。下がってろ」
ハヤトさんがグッと拳を握る。
「コノミ。ちょっとだけ待ってて。すぐに終わらせる」
「…………………………」
ハヤト「どうしても聞く耳もたねーようだな……!」
シモカワ「あなたをぶっ倒して、先に進ませてもらいますよ。コノミに海を見せてやるんだ!!!」
無言のコノミを背中に残し、僕はハヤトさんに突っ込んだ!
炎をまとった拳を全力で叩き込む!
ハヤト「上等だッ!」
マトモに食らったハヤトさんはすぐに殴り返してきた。
「俺だってできるならそうしてやりてーんだよ!」ドゴンッ!
「ならさっさとソコどいてくださいよ!」シュガッ!
「できねー理由を考えやがれ!」ズゴッ!
「わかりませんねっ! あいにく小利口に生きてないんでっ!」ズバッ!
「こいつはお前のためでもあるんだ!」ガコンッ!
「勝手にアニキヅラはやめてくださいっ!」ズバアッ!
ハヤト「お前ら、みんな俺の弟みたいなもんだろーがよ!」ドカッ!
シモカワ「頼んだ覚えはありませんねっ!」ボオオッ!
ハヤト「そいつは悪かったな!」バキッ!
シモカワ「弟ってのはいつか兄を越えるもんですっ!」ゴバアッ!
ハヤト「そうかんたんに越せると思うなよ!」ドコッ!
「今日! いまここで! あなたを越えてやる! コノミのためにっ!!」
ズボオアアアアアアアァァァ!!
「…………ウグゥッ」
僕の気迫の一撃に、ハヤトさんがひるんだ。ここだ!
僕は歌い始めた。
コノミに捧げる、その、名もなき詩を。
まだ名前はない。作ろうと頭で考えたわけじゃない。
コノミと過ごした時間、コノミがくれた想い、僕の気持ち、決意、希望、それが自然とカタチを作り、メロディーになり、詩となったのだ。
そんな澄んだ想いを、いま、炎にして、僕は燃やすッ!!!
「うおおおおおおおおお!!! コノミいいいいぃぃぃ!! オレは負けんぞおおおおおぉぉぉ!!!」
あたりが一瞬、昼間のように明るんだ。
そして、その光が消え、夜明け前の静寂を取り戻したとき。
ハヤトさんは夜の道路に大の字で倒れていた。
「アチチチ。ちっくしょう。恥ずかしい詩、歌いやがって……ンなもん聞かされたら、マジになる気、なくなっちまうぜ……。俺の負けだ。もう好きにしろよ」
……は、ハヤトさんに勝った……?
自分でも信じられなかった。けれど、これで道は開けた! コノミに海を見せてやれるっ!
「!? シモカワッ! あぶねえっ!!」
身を起こしかけたハヤトさんが叫ぶ。
ふと、心臓がキュッと止まりそうなほどの寒さを背後から感じた。
振り返る。
そこには…………
「…………あハはは…………うフフフふふ…………」
そこには…………
「だ、ダメ…………もう……弾けるっ…………!!」
「うふフフフふふふふあはははアははハハハははは!!!」
そこには……
可憐なコノミとは似ても似つかない、邪悪で強大な悪意が居た。
「うふふフフフフふふふモういいじゃないでスかどうでモ」
声が重なったような不気味な声音でコノミが言った。
その瞬間、背中に巨大な氷の蜘蛛でも背負ったように、コノミの身体から太い氷の触手が飛び出した!
M-002「うフフフふふせんぱイにげて!しんデくださイよう」
シモカワ「クッ!」
突然、強い力で抱きかかえられ、僕の身体はグッと横に引っ張られた。
筋肉質な身体の感触。
ハヤトさんがとっさに僕を抱えて横っ飛びに飛んでいた。
ガガガガガッッッ!!!
氷の触手があたりいったいをデタラメになぎ払う。
「あああアアア!せんぱイおトこのひととダきあっテ!なにソれひどいウワキですかですかですかああアアァァ」
ほおをプーっと膨らませたコノミが、スネたように言う。
僕とハヤトさん目がけて氷の触手が飛んでくる!
それぞれ左右に飛んでそれをかわした。
「ハヤト……!」
「…………ああ。わかってる。マユのコピーって話だが、ヤバさはそれ以上だ! あのアイスクィーンより強い氷属性……。向き合ってるだけで凍傷になっちまいそうだぜ……」
ハヤトさんの言う通りだった。小さなコノミの身体から発散する冷気は、熱さのような痛みを僕にもたらす。
「……きっと、M……コノミは、自分のあまりにも強大すぎる悪意を恐れて、無意識に封じ込めていたんだよ。だから、悪意として覚醒しなかったんだ」
ナミさんの言葉に、僕のこころがチクリと痛む。
「シモカワ! 下がってろ! 炎属性のおまえがあの触手の直撃食らったら、マジで死ぬぞ!」
「モうもウぷんぷーん!ハヤトさんデしたっけあなたセんぱイにエラそうにしテなにさまデすかじゃマですショブンしますせんぱいにげて!」
場違いなほど明るい声でコノミが言った瞬間、ハヤトさんが立っていたところに氷の柱が突き刺さった。
ハヤト「グウッ……!」
集中していたらしいハヤトさんは、すんでのところで直撃を避けた。
が、それでもかすっただけで酷い手傷を負っていた。
ナミさんがすぐにドリンクを飲ませる。
「おとこはきラいみニくいしミだらだしアせくさいしらんボうだしセんぱいみタいなおうジさまじゃないといきてルかちないですよウそうだオとこのヒとみんなコロそうっとせんパいいがいはみンナはいきしょぶんシよっと」
コノミが無邪気にクスクス笑いながら、住宅地のほうに進み始めた。
背中から伸びた無数の触手が、あたりのものを、手当たりしだい破砕しまくる!
「……やべえぞ! 西戸崎の住宅街のほうに向かってる! このままじゃ、住人が危ねえ!」
ハヤトさんが叫び、コノミの背中を追おうとした……
と思った瞬間、コノミは振り返ってもいないのに、触手の一本が、自動的にハヤトさんを殴りつけた。
無言でぶっとぶハヤトさん。
電話ボックスにぶち当たり、派手な音を立てる。
「コノミ!」
僕は叫んだ。コノミの動きがぴたりと止まった。
「シモカワくん! ダメ! 炎のキミと氷のコノミとは、近くに居られないんだ!」
僕はその声を無視してゆっくりコノミに近づく。
巨大な氷の触手が何本か僕に向かってきた。おそろしい力と速度で。
「シモカワ! よけろ!」
「シモカワくん!」
ハヤトさんとナミさんの声にも耳を貸さず、僕は歩みを止めなかった。
巨大な氷のムチは、僕をかすめ、耳元でうなり、背後で轟音を立て、アスファルトをえぐりながら、荒れ狂う。
僕はゆっくりと歩く。
コノミだけを。
涙ぐむコノミの目だけを見つめ。
「…………うそ……シモカワくんだけ避けてる……」
僕のまわりで、氷の嵐はますます激しくなった。
何もかもが破壊され、凍りついた。
電柱も。看板も。信号機も。街路樹も。車も。自販機も。花壇も。
それでも僕は、歩みを止めない。
「……コノミ」
まわりの音なんて耳に入らなかった。
「先輩」
コノミがじっと立って僕を見ていた。
暴力と冷気と騒音と破片が荒れ狂う中で、
そこは僕らだけの静寂の世界だった。
「コノミ」
「せんぱい…………アついんです…………かラダが…………」
シモカワ「コノミ…………」
コノミ「せんぱい…………ツらイんです…………ココろが…………」
シモカワ「…………コノミ」
コノミ「…………せんぱい……」
「………………………………」
「…………せんぱい…………ワタシを……こわしてください」
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