3-1 東和高校の異変
今日は7月23日。
おれの通う東和高校は一学期の終業式で、明日からいよいよ夏休みだ。
兄貴とナミさんはまだ寝ているらしく、部屋から出てきていない。
……ナミさん……。
あれとき、震えながら家に帰ると、もうナミさんは居て、何食わぬ顔で兄貴と一緒だった。
まるでさっきのは夢だったかのように。
何も知らない兄貴は、「おせえ! 温れぇ!」とおれをぶん殴った。でもそのドタバタのおかげで、ナミさんにおれの動揺を気づかれなくて済んだ。
「どうしたの? あんた顔色悪いわよ?」
朝食の用意をしながら母さんが言った。母さんはいつも優しい。おれは精いっぱい平気な顔をした。
「だいじょうぶだよ母さん」
「明日から夏休みねえ」
母さんは自分もハムエッグとトーストを食べながら笑った。
「あんたたち兄弟は、夏休みはほんと楽しそうよね。友達みんなでワイワイやって」
「……母さんごめんね。いつもうるさくして」
「いいのいいの。あんたたちが楽しそうなら、それが一番。……だから、友達は大事になさい?」
母さんはコーヒーを飲みつつ微笑んだ。
いつまでも子ども扱いされる心地よさを感じながら、おれは制服に着替えて家を出た。
東和高校は、南区の筑紫丘の坂の上にある。
この坂を上って、左側にはトップレベルの『つくしヶ丘高校』が。
そして右側にはワーストレベルに偏差値の低い『東和高校』が、わざわざ向きあうようにして建っているのだ。
つくしヶ丘高校の生徒と東和高校の生徒は、一緒にこの坂を上る。そして、頭のいい秀才は左へ、おれみたいなバカは右へ、それぞれ別れる。
そんなバカ学校ではあるけれど、友達はたくさん居るし、のんびりした校風だし、おれはまあ楽しくやっていた。
その日、悪意が学校を覆うまでは……。
◆
異変は、終業式の真っ最中に起きた。
最初に気づいたのは、友達の『ヨシオ』だった。
「………………………………」
ヨシオは見た目も宇宙人みたいだけど、中身もフワフワゆらゆらの、独自の世界観を持つ電波系の不思議ちゃんだ。
「……へんですな」
「どしたい? ヨシオ」
全校生徒がズラリと整列した体育館で、おれは近くのヨシオに小声で話しかけた。
「……なにかが来ますな」
「来るってなにが? 便意?」
「……そしてシモカワの様子がおかしいですな」
「シモカワ?」
壇上では校長のムダに長い談話がやっと終わり、生徒会長あいさつが始まるところだった。
シモカワ。
おれの親友で、東和高校の生徒会長。
生徒会長選挙のときは、おれがシモカワを応援し、ふたりで、『東和革命』という標語を掲げ、派手なパフォーマンスをぶちかました。
元々、美形で性格も明るく、前向きなシモカワのこと。おれたちの『東和革命』は全校生徒に圧倒的な支持を受け、シモカワは歴代最多得票で会長に選ばれた。
ついでとして、おれまで副生徒会長に選ばれてしまったけど……。
公式行事では副生徒会長の出番はほとんどなく、人前に立つのはシモカワばかりだから、おれは一歩下がって陰から支える役回り。でも、目立つ兄貴の陰にいつも隠れてるおれには性に合ってる。
そのシモカワがおかしい、とヨシオは言っている。
「生徒会長のシモカワです」
シモカワがマイク片手に話し始めた。
確かに、なんか……目が……赤いぞ……?
「……明日からの夏休みを前に……わたしが生徒諸君に望むのはただひとつ」
シモカワの瞳がさらに赤く輝き、ドス黒いオーラが全身から立ち上る!
「……全校生徒よ! 悪意に目覚めるのだ!」
その一声で、体育館の中に居た数百人が突然おかしくなった!
みんな、別人のような邪悪な形相になり、目が赤く光っている!
体育館内はあっというまに大混乱だ!
「な、なんだよコレ!? なにが起こったんだよお!」
「おっぱじまりましたな! シンジローは無事ですな?」
よ、よかった……ヨシオは正気のようだ。
よく見ると、全校生徒がみんなおかしくなったわけじゃなさそうだ。正気の生徒もチラホラ見られる。でもその数は少なく、みんなもれなくパニックになってしまっている。
「……ふむ。悪意に身を委ねようとしない問題児も若干居るようだ」
壇上のシモカワが物憂げに言い放つ。
「……それも、よりによって、わたしの片腕たる副生徒会長のシンジローとは」
シモカワのセリフで、おかしくなった生徒たちの視線がギロリと一斉におれを向いた!
「ひいっ!」
「シンジロー! ここを出ますな! 多勢に無勢。囲まれたらアウツですなっ」
ヨシオはそう言って、おれを連れて体育館を飛び出した!
「よ、ヨシオ。し、シモカワやみんな、どうしちまったんだよお」
「わかりませんな。しかし、きゃつらに何か禍々しいものが取りついたような感覚がありますなっ。特に大きなチカラが校内にふたつ! ひとつはおそらくシモカワですなっ」
「な、なんでおまえにそんなこと感じられるんだよぉ」
「うーん。なにやらおれの中にも不思議なチカラが宿っている感覚があるんですな」
「チカラ?」
おれとヨシオは、ふたり並んで校内を走る。おれたち同様、まともな生徒は散り散りになって必死に逃げ惑ってる。
「おまけに、学校の外、カタギリ家のほうからも、強いチカラを三つほど感じますな! こっちは爽やかで健康的なオーラですなっ」
「ま、まさか、それって、兄貴……?」
きっと兄貴だ。ナミさんと出会ってから、兄貴は変わった。『ありば』とか『悪意』とかって話もしてた。
兄貴のことだ。いま東和で起きているこの事件にも関係してる! 何か不思議なチカラに目覚めて、おかしくなった生徒たちみたいな連中と戦ってるんだ!
そう考えると、ここ最近福岡市を賑わわせている奇妙な事件ともつながりがあるに違いない。事件が頻発するようになったのと、兄貴とナミさんが一緒に行動し始めた時期も一致する!
兄貴がおれに隠していたことって、これなんだ!
おれとヨシオは体育館から旧校舎に入り、新校舎への渡り廊下を走る!
下駄箱へと向かった。そこから校外に脱出できれば……兄貴に助けてもらえる!
騒ぎはますます広まり、校内のあちこちで乱闘騒ぎが起こっていた。
どうも、シモカワの号令でおかしくなった生徒が、まともな生徒を襲ってる感じだ。そうすると、おれやヨシオが狙われるのも時間の問題……。
……ガガッ……。
校内放送のスピーカーが突然ノイズを発して驚いた。
『……ガ……副生徒会長のシンジローを探せ! まだ校内に潜んでいるはずだ! シンジローを捕らえよ! ……シンジロー。聞こえているならはやく悪意を受け入れろ! そしてみんな悪意に染まってしまえ! それがわたしの「東和革命」だ!……ガガッ』
「ひ、ヒイィィィィ……!」
「敵の狙いはどうやらシンジローのようですな。……でも、シンジローにもおれと同じようなチカラがあるような、ないような、ついたり消えたりしてるような気配が……って、あ、シンジロー……どこ行くですな!?」
全校生徒から狙われている! その恐怖は想像を絶するものだった。
オシッコをちびりそうになったおれは、ヨシオの声を遠くに聞きながら、とにかく走って逃げた。外に出ようにも、校門は赤い目の生徒たちがすっかり閉鎖していて、出られそうもない……。
「あ、アニチぃぃぃ! アニチぃぃぃ! た、たすけてくれよおおおおお!!」
おれは、兄貴が駆け付けてくれることを必死で祈りつつ、とにかくひとが少ないほう、少ないほうへと走りまわった。
気づいたら新校舎の屋上へ続く、薄暗い階段の途中でしゃがみこんでいた。
もう逃げることもできず、ガタガタ震えるだけだった。ここだって見つかるのは時間の問題だろう。
「も、もうだめだ……アニチ……タスケテ……」
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