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【和風ファンタジー】海神の社 第十話【誰かを守れる人間になれ】

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 宮津湖《みやつこ》にも来てもらってよかった。鷹見はそう思った。自分の勘は正しかったとも思う。

 放った矢は巨体の鵺《ぬえ》の六本の脚《あし》のうち前脚《まえあし》の一本を射抜く。鵺の嗤《わら》いが止まる。

 甲高い奇声を発して、鵺はさらに高い木に飛び移った。大きな体で、よくぞと思うほどに素早い動きだ。

「上から来るか」

 ガサガサと、木の上の葉と枝がこすれ合って立てる音が降ってくる。

 足元にも気を配りつつ、太刀を頭上にかまえた。

 背後で激しい戦いの音がしている。宮津湖が、気をつけろと叫ぶのが聞こえる。振り返りたいが振り返れない。目の前の鵺から目を離せば死があるのみだろう。

 巨体鵺は、頭上から鷹見に向けて飛びかかってきた。

「よし、来い」

 冷静さを保ちつつ、気合を入れる。狙い通り、頭上に掲げた太刀の下を狙って、鵺は地面に着地した。そこから足元に跳《と》び掛かろうとするところを鷹見は、太刀を下からすくい上げるように振る。

 狙いは過《あやま》たなかった。

 今度は前脚の二本を切り飛ばした。鵺は支えを失い、倒れかける。残りの四本の脚で支え、逃げるために後ろへ飛んだ。木の根元に。黒煙状の『気』が流れている。

 『気』を吸わないように、鷹見も後ろに下がる。

 鵺は残った四本の脚で立ちながら鷹見を睨《にら》んている。もう嗤《わら》おうとはしていなかった。

 一方、その頃南城希咲の屋敷では。

 希咲は自分の屋敷に帰っていた。玄武の山に赴《おもむ》いた鷹見たちと入れ替わりになる形で、宮部の屋敷から帰ってきたのだった。

 希咲のえんじ色の作務衣姿は七年前に鷹見に見せていた姿そのままだ。よほど特別な儀式や祭事でなければ、華美な服装はしない。

 それでもえんじ色には独自の華やぎがあるのを、希咲はむろん分かっている。庶民の衣服に多い藍や紺に比べれば高価な染色でもある。荘園で栽培される多種多様な作物の中に、染色用の草木もある。えんじは紅花《べにばな》の一種で染められる深い赤だ。

 手古名《てこな》には、今晩は施療院には戻らぬと知らせてある。もう元気になったよ、とは伝えたが手古名はしばらくは様子を見なければならないと言って聞かなかった。希咲が無理をするのを案じているのであろうが、明日また逐一、何をしていたか報告するのは面倒にも感じる。

 それでも報告はするつもりだ。でなければ後で何を言われるか分からない。何を言われるかに関わらず余計な心配を掛けたくはないし、これまでの恩を忘れてもいない。
 当分は、手古名を嘆かせるほど荒事に手を出さねばならないかも知れなかったが。

「そんな武断的なやり方では駄目だ。この場合はな」
 
 今朝、尚紀に言われた言葉だ。今年も豊作になったが大地主の中には小作人に収穫を分配するのを渋る者がいた。その裁定をしなければならないために尚紀は忙殺されている。

 大地主も小作人も、言うまでもなく一人や二人の話ではない。すでに決められた法も改良せねばならぬ。鷹見もその様子を知っていたために、玄武の山の浄《きよ》めは希咲に頼もうと言ったのだった。

「大地主の中でも頑迷に声を上げているのはほんのわずかだ。であれば古来からのしきたり通り、豊作の年には全ての収穫の四分の一を小作人に分け与えねばならないと言えばいい」

 残りの四分の三から、租税を納め、売った金で田畑の水路や倉庫、私有地の道などを整え、いざという時の皆のための備蓄とする。残るは四分の一程度。それが大地主の取り分となる。

 それでも十人から三十人ほどもいる小作人たちには、その四分の一からさらに分配しただけしか渡されはしない。

 希咲もそれを知っている。彼の言に対して返ってきた答えが、先の

「そんな武断的なやり方では駄目だ。この場合はな」

だった。

「単純に大地主の欲の皮が突っ張っているからではないのだよ。この問題はもっと複雑だ。それに」

「それに、何だ」

「時間を掛けて、双方の言い分をよく聞くことでしか上手く運ばぬ事もある。なあに、心配するな。小作人にも悪いようにはしないよ」

 荘園領域を広げる開墾は今でも続けられているが、先行投資を積極的に行い、新たなる田畑を広げる才覚のある者ほど自分たちの取り分を強く主張してきた。反対に、古くからの先祖伝来の田や畑を守る者には、小作人への分配を渋る者はほとんどいない。

「それが変化を嫌う習性のためにしているならば、単に『成り上がり者とは違い、昔からの大地主は良い』と《《だけ》》は言えないのだ」

「それは分かるが、新たな開墾も、結局は小作人たちが大いに働いてくれねば出来ないことだ」

「もちろん、そうだ。そして同時に、多少の危険は冒しても、開墾事業を積極的にやる者がいなければ、小作人に分け与える収穫も乏しくなる。この荘園もこれ以上豊かにはならない。流民や野盗と化した者たちを受け入れてやることも出来なくなる」

「……」

「まあそんな、訳でだな、おれは当分忙しいので御霊狩りたちが何か言ってきたら全部お前に頼めと言ってあるのだ。東にもな」

 と、今朝の話を思い出し、希咲は軽くため息をつく。それでもなお、恨まれるのを覚悟で武断的にならねばならない時もあろう。今がその時ではないのは希咲にも分かっていた。

 南城希咲は今、屋敷の庭の片隅に白壁の、分厚い壁のがっしりした造りの土蔵《どぞう》の前に立っている。その中にはある人物がいる。この土蔵は座敷牢《ざしきろう》なのだ。

「七年ぶりにまた来たよ。実に久しぶりだな。お前が心を入れ替えてくれるのを期待していた。どうやらその期待は裏切られたようだね」

 希咲は土蔵の中に向けて告げた。その声は穏やかだが、静かな怒りを含んでもいる。

 《《それ》》はまだ人と言えるはずだった。人としての意識はまだ損なわれ切ったわけではない。妄執から解き放たれなければ元には戻れぬのだが、妄執の中に生きて目が覚めそうにはない。

「荒御魂《あらみたま》の存在を認められずに、和御魂《にぎみたま》だけの世と人とを創ろうとする限り、お前はずっとその姿で苦しむんだよ」

 希咲は土蔵の重い鉄製の扉の、頑丈な錠前を開けて中に入っていた。扉を自分の手でもう一度閉めた。

 外は細い月と星々しかなく、その光も中までは入らない。真昼間と全く同じには視《み》えないが、薄暗がりを見通す程度には分かる。

 土蔵の広さは二十畳、施療院で希咲に割り当てられていた部屋と同じ広さだ。入ってきた入り口から向かって左側の片隅に彼はうずくまっていた。

 皮肉なことに、和御魂《にぎみたま》を求めれば求めるほどに、彼の体も心もますます荒御魂《あらみたま》に侵食されてゆくのだが、希咲が何を言おうとも彼は決してそれを止めなかった。

 無理に止めさせるのは出来ない。それをすれば完全に荒御魂《あらみたま》と同化し、『荒の変り身』となってしまうだけだと分かっていた。

「いつになったらあきらめてくれるんだ? お前は私の弟だ。見捨てたくはない」

 眼前にいる実の弟は、つい一昨日《おととい》までの自分自身の左側の姿よりもなお醜《みにく》い、と思った。

 全身に、黄色く濁《にご》った目玉が、びっしりと、ギョロギョロと、浮き出ている。

 一応はまだ人の形を保ってはいるが、手足は極端に短く、胴体《どうたい》は肥大化して、たるんだ皮膚の肉塊《にくかい》と化していた。

 膨《ふく》らんでいびつになった鞠《まり》のような形。

 それでもその胴体の上に乗る顔だけは、兄の希咲と変わらぬほどに美しい。

「実咲、頼む」

 それは願いよりも命令に近い口ぶりだった。

続く

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