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【和風ファンタジー】海神の社 第八話【誰かを守れる人間になれ】

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 鵺《ぬえ》は荘園の東側に出たと聞いた、と猛狼は言った。東には川が流れている。川幅はごく普通の男の身の丈の九倍、両岸は小石がいっぱい敷き詰められたようになっている。地面の土は小石に隠れて見えない。

 今は夜。荘園の人々の大半が夕餉《ゆうげ》を済ませたであろう時間だ。星々と細い月の光が、川のきらめきとなって流れている。

 それを見ながら、鷹見は希咲に従って初めてこの宮部の荘園を訪れた時の情景がよみがえった。

「西側には他の荘園につながる道がある。北側には小山があり、南には大きな池が広がる。古来、四神相応《しじんそうおう》と呼ばれた配置になっている」

 希咲がそう説明してくれたのを、今でもありありと思い出す。別の荘園内にある小さな村から、希咲についてここまでやって来たのだ。宮部の屋敷がある荘園の街を鷹見は初めて見たのだ。

 華やかで豊かで、様々な建物や品々に満ちていた。道を行き交う人々も、多様な着物を着ていて、祭りと婚礼の時くらいしか、晴れ着も着ぬ地味な村人とは大きく違っている。

 なんと自分は狭い世の中しか知らずに生きてきたのだろうと思ったものだ。

 宮部は内政が上手く、その点で元いた荘園主の華族とは違っていた。ことさらに民を虐《しいた》げる悪辣《あくらつ》な華族だったとは鷹見は思わぬ。だがいま自分がいる荘園ほどに豊かにも華やかにも出来なかったのみならず、村が壊滅するまで、希咲が宮津湖と共に来てくれるまで、何も手を打たなかった。いや、打とうとしても出来なかったと言った方がいい。

 このあたりは、ただ民を思う気持ち《《だけ》》ではどうにもならない。他のあらゆる技能と同じで、習得と才覚が必要となる。元の荘園領主は、そこが甘かった。宮部は違っていた。

「それを言われれば、私も偉そうには出来ない立場だ。内政はほとんど宮部に任せきりだからな」

 希咲はそう言って笑っていたのを思い出す。

「希咲様は人からどのように称賛されようと、決して驕《おご》らないのですね」

 鷹見がそう言うと、主はこう言った。

「驕りがいかに人を誤らせるかを、私は知っているからだよ」と。

 鷹見はここで、気持ちを眼前の危機に向け直した。今は思い出にふけっている場合ではない。
 
「この配置ならば四方を四神または四獣と呼ばれる神々が守ってくださるようになると聞くが、大陸由来の風水も、案外当てにはならないものだな」

 希咲がいた海神《わだつみ》の社《やしろ》は、荘園の南側の池のさらに南にある。東側の川は、社からは離れた位置から、大滝となって海に面した崖《がけ》をなだれ落ちる。他では見られぬ光景だ。

「まあ、そこは当てになるかならないかの二極ではないぞ。逆に考えろ。宮部様のご先祖様が四神相応の地であるここを荘園にしなければ、もっと災いがあったのだとな。現に今年も豊作だ。効果はちゃんとあるだろう?」

 猛狼の言に鷹見はうなずいた。

「言われてみれば確かに」

 荘園内の水田には、東の川、青龍が守るという川から水を引いている。黄金色の稲穂のたわわであるのは、鷹見が知る限りでは、他の荘園に類を見ないのは確かだ。

 小石があるその川辺を離れた両岸には林がある。荘園内に水を引く水路も、林の木々に守られている。

 昨夜の鵺はこの林の辺りにいた。今晩に鵺を見たと言う女も、この辺りの方を指差していた。

「東《あずま》、見つけたのは林の中だが、どの方向から来たかは分かるか?」

 宮津湖が訊《き》いた。

「やって来た方向か。暗くてはっきりとは見えなかったが、おそらくは北側からだ。北側から木の梢《こずえ》を渡ってやって来ていたと思う。川辺や南側からではないだろう」

「そうか。ならばあの小山から来ているのだろうか」

 宮津湖の言を聞いて鷹見は、自分には訊《き》かないのだなと少し寂しく思う。それは隔意《かくい》のせいではなく、自分自身の力不足のせいだと分かっているからなおさらだ。

「北の小山か?」

 と、猛狼。鷹見の思いには気づかぬ風だった。鷹見も内心をあからさまにしてはいない。仮に気がついていたとしても下手な慰《なぐさ》めはしないだろう。

「北の玄武、つまりあの小山だ。荒御魂《あらみたま》の発生はそこからではないか? そこに行ってみよう」

 そこで鷹見が口を出した。

「せっかくの北の守り神が荒御魂を生じるとは。皮肉なものだ」

 猛狼はそこでにやりとして言う。

「大陸では自然界の活力を、人にとって良い方にだけ活かそうとする様々な技がある。そうそう上手くいくことばかりではないが。とりわけこの東の最果ての大八島《おおやしま》では、大陸では起こらないことも起こるはずだ、と宮部様もおっしゃっていた」

「陰陽の釣り合い。和御魂《にぎみたま》と《あらみたま》の関係を、向こうではそのように言うと聞いた」
 
 宮部が大陸由来の技術や思想に極端にかぶれる八島人《やしまじん》を快く思っていないのは鷹見も知っている。それでも言いたくなるのだった。鷹見としては、自分はかぶれてはいないし、宮部からもそう見なされていると思ってはいる。

「悪いな。オレはあんまりそうしたことにはは詳《くわ》しくはない」

 ここで宮津湖が猛狼の代わりに答えてくれた。

「それは厳密に言えば違う考え方だ、ただ共通する要素もある。何事も絶対に安定してはおらず、ある一つの事柄が、完全に良い事だけ、あるいは悪い事だけではないとする。物事は常に移り変わる。そうしたものだ、と」

「へえ、そうなのか。何か難しい話だな」

「とにかく、玄武の守りを得たからには、祟《たたり》なす一面もまた覚悟せねばならぬということだ。我々は北の小山に行こう」

 鷹見は黙ってうなずいた。まだ宮津湖とは完全に元通りの仲になれたわけではないが、以前と同じ冷たい態度はもう無いようだ。

 三人は黙って玄武の守りの山に向かう。さほどの高さはなく、登り道も険《けわ》しくはない。子どもの足でも休み休み行けば頂上まで登れるくらいの山だ。

 それもそのはず、この山は自然に出来たものではない。宮部の先祖が土を運ばせて造った物だ。

 今は、山の中は緑と紅葉《こうよう》した木々で満たされ、自然の山と変わらない姿で鷹見たちを迎えてくれた。

 頂上に着いてから、一行は意外な物を見た。それは鵺《ぬえ》の巣、あるいは吹き溜《だ》まりだった。

 地面に大きな窪《くぼ》みが出来ており、そこには手のひらに乗るほどの小さな鵺が、何十匹も折り重なって、一匹一匹が微動している。

 上になり下になり、また奥に潜り込んで。それら全てが一つの生き物であるかのように、脈動しているかのようにも見えた。

「これはこれは。凄まじく気持ちが悪いな」

 猛狼は思わず身を引いた。『荒の変り身』の仔《こ》、あるいは幼体、未熟身、言い方はいろいろあるが、たまにこうしたものが見つかる。しかしこれほど一箇所に固まっているのは珍しい。

「東、それよりコイツらが一斉に荘園にやってきたら大変だ。幸い、まだ小さいので直ちに駆除《くじょ》をすれば大事には至るまい」

 宮津湖の言に鷹見は同意した。

「そうだな、早くやってしまおう」

宮津湖はすっと鷹見に目をやると、ふんと言ったように鼻を鳴らした。

「よし、ならば早速、取り掛かろう」

 宮津湖が腰に下げた短い棒を一振りすると、たちどころに身の丈の二倍近い長槍《ながやり》になった。長い柄《え》の先の鋭い刃が細い月の光を受けて、微光を放つ。

 窪みのふちに足を踏み入れ、上から鵺の仔《こ》を刺し貫いてゆく。一度に三匹。笛を高く鳴らすような鳴き声が哀しげに漏《も》れてくる。

 猛狼は愛用の薙刀《なぎなた》で容赦なく薙《な》ぎ払う。

 鷹見はここで矢を無駄にするのは惜しいと思い、窪みに踏み込んで太刀《たち》を抜いた。

 これらは皆小さい。外には出られないようだ。昨夜と今晩の鵺《ぬえ》は、何処から出てきたのだろうか、と考えていた。

続く

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