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英雄の魔剣 17

「セシリオ、この娘を捕まえておけ」
 アレクロスは親友に命じた。
「捕まえる。何というおっしゃりようですか。それではまるで」
「いいから、俺の言う通りにしろ」
 セシリオの言をにべもなく遮(さえぎ)る。今の甲冑(かっちゅう)を身に着けてからもその前にも、そんな言い方はしたことがなかった。
「しかし王子殿下」
 セシリオの妹姫の声が。

「サーベラは、俺にいろいろと賢(さか)しげな口を利くな」
 その時アレクロスは、『姫』と敬称を付けなかった。
「決めたぞ、俺は。この娘を俺の妻に、次の正王妃にする」
「いけません、王子殿下。そのような大事を勝手に決められては」
 と、セシリオ。
「セシリオ、俺はもう決めたのだ」

 渦中(かちゅう)の娘はと言えば、美しい目でただじっと王子を見つめ、一心に頼る様を見せている。
「王子殿下、アレクロス様。ありがとうございます。本当にありがとうございます。わたしには他には誰も助けてくれる方はいないのです」
「いいんだ。これからは俺が助けてやる。俺が命じれば、男女を問わず貴族や騎士たちも動く。お前のために、だ。お前を助けるために」
 娘はうっとりとアレクロスを見上げた。アレクロスの胸までしかない身の丈である。
 サーベラ姫は言った。
「王子殿下、ご決心はお変わりになりませんか」
 サーベラ姫の毅然とした、しかしどこか悲しげな様子にも、アレクロスは心動かされない。
「行け。お前たちに用はない」
 その時である。

「我が子孫が、コンラッド王家にあるまじき振る舞いをしようと言うので、生前残した我が想念がここに参った」

 墓場からよみがえった、わけではない。強い想念は死後も残ると言われている。今まさにそれを目の当たりにしていた。
 かの英雄王ベルトラン・コンラッドの声である。それは今、アレクロスの耳にだけ聴こえていた。直系の子孫であり、世継ぎの王子であるアレクロスの耳にだけ。
「……なぜです。なぜ貴方が」
 コンラッド英雄王の思念は、それに対し、ただこう告げた。
「その娘に『お前は本当は強いのだ。自分で思うよりも強いのだ』と言え」
 言えない。なぜだ。なぜ言えないのか俺は。本当はそれがこの娘に一番必要なことと知りながら、なぜそれが言えないのか。
「嫌だ。言うものか、決して」
 反射的に口を突いて出たのはそんな言葉である。
「かまいません。俺はこの娘を手放さない。この娘を、サーベラ姫の代わりに将来の正王妃とする」
「そのような真似は許されんぞ」

「なぜですか、貴方にはもう関係のない話です。貴方はすでに死んでこの世界にいない。英雄は復活しない。我々が何とかしなければならない」
 コンラッド英雄王の想念はなおも静かに語る。
「女の弱さで自らを高めようとするのは、本当の英雄のあるべき姿ではない、もしお前が真に英雄たらんとするならば、本当に我が後継者として相応しくありたいならば、その娘を手放せ。助けるなと言うのではない。見捨てろと言うのではない。お前に頼らずに生きていけるようにしてやれ。その娘こそが弱き者を助けられるようにしてやるのだ。お前ではなく、その娘が」
「い、嫌だ」
 絞(しぼ)り出すように拒否の言(げん)。アレクロスは息が苦しくなってきた。

「お前こそが、その娘に頼っておるのだ。その娘に、お前の強さや賢さを称賛してもらわねばまともに生きられぬと、お前自身こそが考えておるのだ。それを認めるか、我が子孫よ」
「違うな。認めるものか、そのようなことを。例えコンラッド英雄王が言われるのだろうとも」
「市井の者たちの間に出回る『世界のすべてを救わんとする偉人』の話は面白かったか。次期国王たるお前もかくのごとくに、欲得ずくであることを止め、人としての至誠(しせい)を、真心をもって国を治めよと言う者もおるようだな」
 アレクロスは苦々しい思いとなった。
「そうですよ、英雄王。我が偉大なる先祖。我が民草は人の気も知らないでいい気なものです。俺が幼い頃からどれだけの苦労をしてきたか。あいつらには決して分からない」
 コンラッド英雄王はだがしかし、アレクロスに同情はしなかった。

「お前は偉人でも勇者でもなく、英雄となるのであるから、そんなに清廉(せいれん)でなくともよい。私もそうした意味では、決して清廉な男ではなかった。お前も、富にも名誉にも女に対しても、欲はあってもかまわぬ。だが、それらを持つに相応しくあれ、と私は言う。欲望に振り回されるな、とは言っておく。さて、ここでお前に問おう。お前は、その娘への欲に取り憑(つ)かれておらぬと言えるか」
「それは──」
 アレクロスは、アンフェールの言葉を思い出した。
──お前は騎士道を身に着けているようだ。女への欲に振り回されるような愚か者ではあるまい。

 ここでアンフェールの言う欲とは性欲である。女への欲はそれだけではない。それは騎士道だけでは抑制するのが難しい。いや、騎士道を強く叩(たた)き込まれた古強者(ふるつわもの)ほど、抑制出来なくなることすらある。
 例えば、女の騎士など許されぬと、今でも言う者は多い。そんな騎士たちも、一方では婦人を守る騎士道の鑑(かがみ)だ。それが事実である。

「なぜだ。なぜ、こうなってしまうんだ。なぜ世の中はもっと単純に、すっきりと割り切れないのだろう」
 英雄王は、子孫の嘆きと困惑に取り合わない。その当の子孫が、かく強くありたいと願った通りに扱っているのである。英雄王は、ただこう言った。
「その娘に、『お前は、自分で思うよりも強いのだ。お前を取り巻く状況は、お前が思うほどには悪くはないのだ』と、そう言え」
「嫌だ、絶対に言うものか」
「言え、早く言うのだ。さもないと、お前は本当にアンフェールの罠に取り込まれてしまうぞ」
 沈黙。
「早くしろ。もう猶予(ゆうよ)はならんぞ」
「王子殿下、早く言ってください」
 セシリオの言である。冷静な彼に相応しくないほどに焦りが感じられた。

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