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【クリエイティブ生活】それは本当に男女の友情として描かれているのか?【フィクションに関して】

 Twitterで見た創作論によれば「フィクションにおける男女の友情は、女性受けはするが男性受けはしない」らしい。それは本当にそうなのか? とも思うが、まあ何となくそう言われるのは分からなくもない。

 ここで問題にしたいのは、それは本当に男女の友情として描かれているのか? だ。

 昔ある本で読んだが「男は女を、母か姉妹、娘、妻、あるいは恋人、または娼婦的な存在に振り分ける」とあった。

 実際に家族でなくとも、年配の女性なら母親的存在と見なし、少し上なら姉、下なら妹的存在か娘のような存在として扱う。特に魅力があれば恋人や妻にしたい女性であり、やらせて欲しいが真剣に付き合う気はないなら娼婦的な存在として見ていることになる。

 ここで暗に言われているのは、男同士のような対等な友情やライバル関係を女性と結ぶのは、男性にとって困難である。そんな意味合いである。

 これも本当にそうなのか? と疑えば疑えるが、これまた何となく「まあ大まかな傾向としてはそうかもな」とも思う。

 さて、そうであるなら女性だけでなく男性にも受けなくてはならないフィクションでは、性愛的に結ばれない男女の関係を、友情として明確に描くのは避けるのだろう。

 ではどうするか? 疑似家族的な関係性、つまり姉や妹的な存在として描くのが穏当なのだろう。

 『99.9 刑事専門弁護士』にも、主人公深山弁護士にとって、そんな姉妹的な関係性の女性弁護士が出てくる。

 2016年に放送された一期目では、姉を思わせる立ち位置の立花弁護士がいる。深山と違って真面目な優等生タイプ、きちんと積み重ねてきたキャリアがあり、態度の端々にそれが感じられる。深山を軽く叱ったり注意したりもするが、基本的には信頼出来る同僚だ。イケメンだが童顔気味の主人公に対して、大人びた風貌の女優を配している。

 今年2022年公開の劇場版では、河野という新米の女性弁護士が出てくる。立花弁護士とはあらゆる点で正反対だ。新米だから未熟な点が多々見られる。抑制の効いた立花に対し、感情をあらわにする場面が多い。主人公深山を見習い、師匠としている。一期目から6年経って、主人公を演じる俳優の風貌も変わったので(実写物ならではですね🌿)妹的な存在の若い女優を配したのだと推察した。

 と、言うわけで、恋人的な、性愛的な存在ではなくとも、姉妹的な位置に置いておくと大抵の男性は安心して見ていられるのではないだろうか。

 しかし、世の中には恋人的な関係性にこだわる男性もいるのである。一頃少年漫画のラブコメで流行ったように、あるいはギャルゲーのように、出てくる女性キャラ全員が主人公に色目を向けていないと駄目、といったような事を、そうした文脈やお約束で作られた物ではないフィクションにも要求してくるのである。

 かく言う私の書いた小説やノベルゲームもそんな駄目出しを食らった。正直、最初は何を言っているのか分からなかった🌿

 姉妹的な関係性でも我慢出来ず、とにかく主人公と年齢の近い若い女性ならば誰であれ恋人候補的な関係性でなくては! とまでこだわるのは、男性的な好みとしても、ちょっと偏りがある方なのだと思えてならない。

 まあそれは個人の好みであるから他人がとやかく言うべきではない。しかし、世の中にはそんな男性ばかりでも、男性受けもする作品ばかりでもないのだとは、はっきり言っておきたいのである。

 ちなみに私の見るところ、疑似家族的な関係性は、主人公が所属する法律事務所の部署全体の空気で、深山にとって父親的存在や兄弟的存在だろうと思えるような男性弁護士やその他の同僚もいる。

 職場が疑似家族的というのは、昭和的でもある。一見はいかにも現代的なドラマに、こんな仕掛けを用意しているのが、幅広い世代に受けている理由かとも思ったのである。

 男性受けを考えた時に、主人公と同年代ではない中高年層も視野に入れると、『若いイケメン主人公が若い女性からモテモテ』よりは、その中高年層と同年代の俳優に主人公の父親的立ち位置を与えて、若い女性もあくまで疑似家族の一員にした方がむしろ都合が良いのではなかろうか。もちろん、中高年の女性層受けも同じく、だろう。

 こうして考えてみると、テレビの権威失墜著しい昨今ではあるが、ヒットしたドラマを見ると、まだまだ底力はあるのだなと思わせられる。あらゆる層に受けるように、きちんと考えられているのだ、と。

 お読みくださってありがとうございました、何かのヒントになれば幸いです。

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