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アニメ『魔女と野獣』第4〜5話の感想

『魔女と野獣』は、今年2024年の1月に放映されたばかりのアニメである。Netflixで視聴した。

今回は、死霊魔術師ファノーラがメインとなる物語であった。 主人公ギドたちの出番は、ほとんどない。

主人公たちは冒頭で、この事件は自分たちの専門外だと警察に告げ、ファノーラを紹介して去る。

ファノーラは金髪碧眼の大変な美女であり、ヨハンという名の下僕(しもべ)を連れている。

事件を起こしている敵の死霊魔術師の館に招かれ、そこで最終決戦となる。

死霊魔術師は死者をアンデットとして蘇らせることができる。ただし、アンデットとなった者の魂は、二度と転生しない。

永遠に何の刺激もない中に、一人取り残される『地獄』が待っているのだ。ファノーラはその地獄を『虚無』だと言う。

ヨハンはそれを知りながら、自らアンデットとなってファノーラを守るために付き従っている。

ファノーラはヨハンを大切に思っているが、あからさまに態度には出さない。まあ、ツンデレ、なのだろうか。

ところで、転生と言えば輪廻転生、つまり仏教においては、それこそが解脱して解放されるべきある種の『地獄』であるはずだ。

仏教的な考え方では、この世は苦しみに満ちたところなので、そこに転生してまた戻ってくるのは、永遠に苦しみが続くということなのである。

輪廻転生から解放されるために解脱すると、完全に自我が消滅し、いわゆる『私が 私の』などという自意識はなくなる。たしかそうだったと思う。

解脱のための悟りの最終段階では、もはや人を救いたいという願望さえもない。あらゆる欲望を滅却した先には、利他的な願望さえも余計なものとして消える。

まあ、仏教の理論としてはそう言われている、らしい。

そう考えると、ファノーラが語った『地獄』こそが、解脱した先の、いわゆる涅槃の境地ではなかろうか?

だとしたら、確かに刺激はないが平安な気持ちでずっといられるはずである。それでも常人の感覚では、正直なところ、あまり楽しそうには思えないのも確かだ。

で、これは完全に妄想だが、ひょっとしたらヨハンは転生してファノーラの記憶を失いたくなかったのかなと思った。

念のため、ファノーラの『虚無』の説明を再度聞き直した。やはり記憶が消えるとは言っていない。

上下の感覚も暑さ冷たさもない、刺激のない世界。しかし記憶だけは残り続けるのだろう。

転生したら、前世の記憶は消える。しかし『虚無』に落ちれば記憶はそのままなのだ。たぶん、永遠に。

敵の死霊魔術師は、悲惨な死に方をした愛する女性を、確実に美しい姿のアンデットとして蘇らせるために様々な実験を行い、最後にはファノーラの美しい肉体を使って蘇生させようとする。

しかし自分の身が危うくなると、死んだ愛する者への愛もたちまち失せてしまう。はっきり言って、しょうもない奴として描かれている。

そもそも『虚無』が地獄であると知っていたなら、自分の望みのために蘇生するの自体が、邪な願望の押しつけに過ぎないのである。

そんな敵と対比して、純粋な愛の持ち主としてヨハンは描かれたのかなと思ったわけである。

まあ、本当にそうなのかは分からないが。

ところでファノーラは、死霊魔術師だが同時に魔女でもある。この世界では、死霊魔術師よりもはるかに魔女が恐れられているのだと分かった。

主人公ギドの呪いとも何か関係があるのだろうか? それは今の段階では不明である。

とにかく、悪役は実にしょうもない小物だが、やっつけてすっきり、ではない。得も言われぬ余韻の残る物語である。ビターで、ダークで、謎を残して。

まさに私の思うダークファンタジーの味わいである。まあ『進撃の巨人』なんかは、また違ったタイプのダークファンタジーらしいですが。

さて、それでは今回はここまで、です。

ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

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