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英雄の魔剣 2

「セシリオ、手間を掛けさせたな」
 アレクロスは親友を見た。親友の方は軽く会釈しただけで、真っ直ぐに王子のいるバルコニーにの近くにまでやってきた。礼儀正しいが素っ気なさすら感じさせる。いつものことだ。
 親友セシリオは魔術師である。
 王族男子の当然の嗜(たしな)みとして武器の扱いや戦い方を教えられてきたアレクロスほどには、逞(たくま)しく鍛えられた身体(からだ)はしていない。それでも、かなりの重量がありそうな鎧と長剣を軽々と一人で運んできた。窓のそばにある豪華な円卓の上に、アレクロスの助けを借りずに武具を並べた。

 漆黒の魔剣と甲冑。漆黒は、東方産の「うるし」の色だ。表面は磨かれた鏡のようになめらかで、王子の顔がはっきりと映(うつ)る。黒々とした気品ある姿は、王族や貴族たちが身に着けている鎧よりも美しいとアレクロスは思う。それらはミスリル銀で造られた白銀に輝く甲冑だ。その貴重なミスリル銀にもない独特の奥深い品格が、眼前の武具からは感じられた。神聖な山の頂上高くからしか産出されない魔力あるミスリル銀よりもなお美しい。

「これが初代コンラット国王の身を守った武具、なのだな」
 アレクロスは感嘆の声を上げる。建国王とも、英雄王とも呼ばれる偉大な先祖、それがベントラン・コンラッド。アレクロスにとっての憧れ。同時に重圧を与えられてきた存在。この国の民衆からも、神にも等しい崇敬を集めている。
「こちらは、英雄王が身に着けておられた物を忠実に再現した物です。本物はまだ地下の宝物庫に」
 長年の親友は静かに告げた。自らの功績を誇りはしない。そうしなくても、アレクロスが常と変わらぬ感謝と敬意を持っているのは分かっているのだろう。
 セシリオの衣装は、魔術の力が込められた銀糸で、複雑な刺繍の施(ほどこ)された黒灰色のローブである。大貴族の衣装としては簡素とも言える。それでも刺繍に掛けられた技術と手間は遠目からでも分かるくらいの物だ。ローブの生地と仕立ての上質さも最上級であった。それだけの衣装を自然に着こなしていた。その様は生来のもので、彼にとってごく当たり前であるとしていた。

「本当にご苦労だった。セシリオたち、第一公爵家の一族でなくては出来ないことだ」
 王子は呼び鈴を鳴らして侍女を呼んだ。アレクロスの祖母より少し若いだけの歳老いたその女に命じて、バルシュール酒をセシリオのために持ってこさせた。蜂蜜と水に、ある特別な香りと風味を持つ木の皮を入れて発酵させた酒である。その木の名に因(ちな)んで、酒の名もバルシュールと名付けられた。王族貴族のみならず、庶民にも人気の、疲れを癒やすとされる飲み物だ。
 セシリオは礼を言って受け取る。鎧と長剣を置いた卓のそばにある椅子に腰掛けて、ゆっくりと飲み干した。

「確かに私一人では無理でございました。これは一族全員でしか、到底なし得なかったことです」
 こんな時に、親友が自分の功績だけを主張することは一切ないと、アレクロスには分かっている。物心付いた時からの長い付き合いだった。
 セシリオが次期当主となる第一公爵家は、大いなる魔術の才能を持った一族であって、この三百年間、コンラッド王国を支えてきた。
 セシリオはその権力と家名にふさわしい時期当主だ。それに引き換え、自分はどうだろうか。アレクロスは思う。

「お前以外の公爵家の者たちにも直接礼を言わねば」
 アレクロスはとにかくそれだけは口にした。どうしてもそうしなければならない。そんな衝動に駆られていたのだ。だが、返ってきた親友の言葉はにべもない。
「私としては、これを早速試していただきたいのです。貴方がこの国を守れる王族となってくださること。我々の望みはそれだけです。お心遣いは無用に存じます」
「……」
 それは実に引っかかりを覚えさせる言葉だった。そうだ。自分は世継ぎの王子である。優しさや思いやりよりも果断さや実行する力量こそが求められる。それでも。もう少し他に言い方はないのかとも思う。これは甘えなのだろうか。
 こんな時はいつもそう感じた。王家に相応しい人間となれるよう忠告してくれている。そうと分かってはいたがなかなか受け入れるのは難しい。軽く、セシリオには気づかれないようにため息をつく。そして答えた。
「分かった。身に着けてみよう」
 アレクロスは卓上の黒い鎧を手にする。

 それから身に着ける。と、今まで感じたことのない感覚が湧き上がってきた。「襲ってきた」と言った方がよりふさわしいかも知れない。
 アレクロスは今まで戦いに高揚など感じたことはなかった。ただ、王族の一人として民を守る義務に縛られていただけだった。
 だがその鎧を身にまとったとたんに、これまでにない闘志と戦意が、豊かな泉の水のごとく、湧き上がってくるのを感じた。
 アレクロスはそれを恐ろしいと思った。同時に、この得も言われぬ高揚感に、興奮と快感を感じてもいた。
 高揚していながら、同時にどこか冷静な自分の中の中心部がある。足から腰までがしっかりと安定し、まさに「地に足が付いている」という感覚だ。そして胸と頭の中には、凛と澄み切った「空気」とでもいうようなものが充満しているようにさえ感じられたのだった。

「王子、剣をお取りください」
 しばらく立ちすくんでいたアレクロスに対し、セリシオが声を掛ける。彼としては自分たちが複製した鎧と剣が、どのような効果をもたらすか早く見たいと思うのは当然だと、王子は思う。
 セリシオは短く切りそろえた銀色がかった灰色の髪に手をやり、軽くつかんで引っ張っていた。緊張や焦り、あるいは待ち切れない気分になった時のいつもの癖だ。
 しかし忠実な友人のためでも、剣を手に取るのはためらわれた。鎧だけでなくこの剣まで手に取れば、自分が完全に変わってしまうのではと不安だった。
 それでも、ようやく思い切って、黒々となめらかなその柄を握り締め、ためらいつつも持ち上げた。

「王子?」
 そのまま黙っているだけのアレクロスに若き魔術師はいぶかしげに声を掛ける。そこには隠し切れない心配の念が表れていた。
「ああ、これでようやく俺は、自分がなりたいと思っていた通りの人間になれた」
「は?」
 ゆっくりとアレクロスは親友の方に顔を向けた。
「情け容赦なく魔物を屠り、冷徹で有能な、お前たちの理想の王子。そしてもちろん、俺自身にとっても理想の姿である自分に」
 そう告げるアレクロスは若き魔術師の顔が驚愕の色に染まるのを見ていた。アレクロスの赤みがかった金髪は、今や鎧や剣と同じ、漆黒の色に変わっていた。
「王子……」
 セシリオは驚愕に目を見開いたまま、そこに立ちすくんだ。彼の端整で理知的な顔に、普段は決してみられないような激しい動揺と苦悩の色が見えた。
「どうした? これで長年の俺とお前の望みが叶ったんだ。もっと喜んだらどうだ?」
 アレクロスは幼い頃からの親友を、笑いながらじっと見つめた。今はその目も、いつもの澄んだ藍色から、闇夜のごとき黒に変わっていた。室内にある大きな鏡台に自分の姿はくっきりと映し出されていた。
 王子は友人の魔術師に負けないくらいに整った顔立ちをしていると言われてきたが、そこにはどうしても「頼りない優男」の風評もまた付きまとった。
 だが今の彼を見てそう言う者は誰一人いないだろう。端然とした風格、凛々しいうちにも沈静な様子、そして何より、歴戦の名将もかくやというほどの、自然と人を従わせずにはおかないような、ある種の威厳と魅力。

「心配するな。本当のところは俺は何も変わってはない。そうは見えないだろうが。人間はいろいろな面を持っていると言われるが、その内の最も英雄王に近い面が発現しただけだ」
 王子はここで一呼吸置いた。セシリオの理解と心境が、この状況についてこれるのを待つように。
「ではこの鎧と剣を持ては誰でもそうなれるのか? いいや、おそらくそうではあるまい。俺は英雄王の直系の血を引いているのみならず、三百年の長い歴史の間、彼を讃え、それを見習ってきたという、この王宮の風土の中で育った。生まれた時から二十二年、ずっと変わらず。だから他の者よりは、ずっとそうした面が現れやすい、とは言えるだろう」
 セシリオは思わず、といった風に床にひざまずいた。威に打たれるように。

「なぜ魔物の魔力でこんなことが出来るのか? までは分からない。それを調べるのは、お前たち公爵家とその一族に任せる。それより今はまだこうした変化を他の者には悟られない方がいいだろう」
「はい……王子」
「だからこのことはお前の一族にも決して知らせるな。父王にも、俺の妹にも、だ」
 それからアレクロスはそっと親友の前に進み出た。そして剣を持たない方の手、右手を友人の頭の上にそっと乗せた。

「だからこのことは、今はまだ俺とお前だけの秘密だ。さあ、そうと決まったら早速魔物どもを狩りに行こうか」

「は、かしこまりました」
 セシリオもこれまでになく丁重な態度である。主君の覚悟の現れに、彼もまた第一の臣下として応えようというのに違いなかった。

「それからもう一つ」
 アレクロスは厳(おごそ)かに告げる。

「俺は決して、お前たちが創ってくれたこの鎧と魔剣を悪しきことには用いない。俺は、この国にとって、そして自分自身の良心にとって正しいことをする。出来得る限り常に、変わることなく」

 そう言うとアレクロスは、親友の返事を待たずに狩りへ行く支度(したく)を始めた。

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