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英雄の魔剣 10

 あくる朝、アレクロスは寝台の上で目覚めた。王族専用の医療室にいるのだとすぐに分かった。幸いなことにすでに元気は回復していた。寝台の傍(かたわ)らには第二公爵家と呼ばれる、医術に通じた貴族の一族がいた。その中の一人、グレイトリア公爵令嬢は当主の娘である。正式な家名をキアロ家という。この医療室はキアロ家が管理していた。

「おはようございます、お元気になられたようでございますね」
 グレイトリア姫は温かい微笑みを見せた。グレイトリア姫は美しかった。サーベラ姫や、隣国ブリランテ女王国の女王にも負けず劣らずに。
 グレイトリア令嬢の肌はきめ細やかだが、サーベラ姫ほど雪白ではない。琥珀を淡く溶いたような、程(ほど)良き色味がある。実に滑(なめ)らかそうで、東方世界から産する絹のようである。キアロ家の姫は、その絹のドレスを着ていた。髪と同じ深緑の色。腰には白いリボン状のベルトを締め、革製のベルトポーチには、各種の乾燥させた薬草の入った細い小瓶がある。

「ありがたい。キアロ家の令嬢の医術の腕は素晴らしいな」
「そうおっしゃっていただけて嬉しく存じます」
 グレイトリア姫は、うやうやしく礼をした。
 アレクロスは姫を美しいと感じた。親友セシリオの妹サーベラ姫とはまた違う美貌である。
「姫、おれの身体(からだ)は大丈夫なのだろうか」
「はい、キアロ家に代々伝わる名薬で、すっかりよくおなりでございます」
「それならよかった」
「この薬は、英雄王の時代から伝わっております。建国の時代に、ベルトラン初代国王陛下も魔力ある甲冑(かっちゅう)と魔剣のために大変なご苦労をなさいました。その疲労を癒(い)やすのがこのお薬なのです」
「この武具には魔族を研究して生まれた魔力が秘められている。当然、人の身体に良かろうはずはないのだ。だが、そうと分かっていても俺は」
「分かっております。あまりご無理はなさいませぬように」

 グレイトリア姫は、アレクロスの喉(のど)から湿布薬を剥(は)がす。湿布薬は薄い黄色で、優しい薬草の香りがした。ただの薬草ではない。キアロ家が建国当時から改良を続けた特別な物である。七種類の薬草が粉末にされて蜜蝋(みつろう)と植物油で練(ね)られている。それが亜麻布(あまぬの)にたっぷりと塗(ぬ)られて、喉に当てられていたのである。
 アレクロスの方は、亜麻布を外されたとたんに、息がそれまでより楽になるのを感じた。
「ありがとう、助かった」
「元気におなりで、何よりでございます。それで、他のお話があるのですが、聞いていただけますか」
 姫の頼みである。アレクロスに否(いな)はなかった。


 ここはコンラッド王国以前にあった前王国の遺跡である。アレクロスがグレイトリア姫から話を聞いたのはここである。グレイトリア姫は世継ぎの王子に、この遺跡の中にある、失われた調薬のやり方を書いた本を探してくれと頼まれたのである。それだけではなく、このあたりに魔物が出没するとの話もあり、その原因であるこの遺跡で元凶を絶たねばならなかった。

 前王国の名はマリースといい、魔族と契約して自国の民を生け贄(いけにえ)としたので、人望を失い滅びたと伝えられていた。この遺跡にも、そのような前王国の暗部が隠されているのであろう、とアレクロスは考えた。英雄王がしたこと、現王国を完全なる正義とは言わぬ。言わぬが、前王国には、やはり人望を失い滅ぼされるだけの理由はあったのである。どちらがマシかを秤(はかり)に掛けて、当時の人々の多くは英雄王ベルトラン・コンラッドとその新生王国を選んだのだ。
「これがその遺跡か、セシリオ」
「左様でございます」
「見るのは初めてだな」
 水車小屋の娘を助けた時と同じ三人。セシリオの他にサーベラ姫が、アレクロスに付いてきていた。

 入ってゆくと光ゴケに覆(おお)われて微光を放つ壁があり、真っ暗闇ではなかった。
「なんと美しい」
 アレクロスは言った。思わず口をついて出た言葉である。そこに生えていた光ゴケは虹色の微光を放っていた。そのために松明(たいまつ)や魔術による灯(あか)りもいらない。光ゴケは天井にも壁にも生えている。その他にも壁面から生えている物がある。光水晶(ひかり すいしょう)である。

 この中は左右に長い楕円形(だえんけい)の部屋であった。向かって左側の床に一人の美女が倒れていた。深い藍色の髪と肌。背中に銀色の、形はこうもりのような翼が、左右二対生えていた。明らかに魔物の女である。アレクロスはこれを見て、《研究所》で倒したヴィーヴルを思い出した。
「あれは仕方がなかった。いや、仕方がなかったで済ませてはならないのだろう。同じように、俺の甘さ故(ゆえ)に国が滅び民が苦しんでも、仕方がなかったで済ませてはもらえないのだ」
 アレクロスは言った。珍しくも独りごちたのであり、セシリオとその妹姫に向けた言葉ではなかった。

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