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【和風ファンタジー】海神の社 第十二話【誰かを守れる人間になれ】

マガジンにまとめてあります。


 頭上に広がる夜空を雲が覆い始めた。窓の木戸は日暮れから後は閉められるが、そんな時刻もとうに過ぎている。今は月も星も見えない暗い夜になった。

 この暗さでも、希咲には鷹見の様子が見えている。突然のように礼を言われて、何と返したらよいのか分からない、そんな顔をしていた。無言のままで自分に向かって頭だけを下げる。

「お前の『気』はまだ回復しないのだな」

 自分の声に内心の痛みがにじみ出ているのを自覚はしていた。

 鷹見のいつもの紺色の作務衣姿を見つめる。七年前に、彼が少年の時に来ていたのと大きさは違うが、色合いも形も変わらない。七年間をどう過ごしていたのかもまだ聞いていない。 

「きっと元に戻ります。どうかご心配なく」

 お前は私を恨まないのか。そう聞きたかった。自分の受けた害の方が大きかったとはいえ、分かっていて犠牲にしたのは事実なのだ。

「『気』を回復させられるか、やってみよう。上がってくれ」

 罪滅ぼしの気持ちだけではない。他にも様々な思いがある。
 鷹見は遠慮はしなかった。ここで遠慮をしても、主には何の慰めにもなりはしないと分かってくれているのだろう。

「かしこまりました」

 その返事を聞いてから、希咲は先に邸内に入っていった。

 四人しかいない召使いたちは皆それぞれの小部屋で寝静まっていて物音一つしない。

 鷹見も、後から履き物を脱いで上に上がった。

 玄関を上がるとすぐに、檜造りの廊下が左右に伸びている。左は突き当たりに木製の引き戸があり、さらに右折して廊下の続きがある。右側の突き当たりは障子紙を貼られた明り取り窓で、今は障子の外側の木戸が閉められている。

 左の廊下の奥には書庫がある。大八島の書物もあるが、多くは大陸伝来の書だ。実際に大陸本土で書かれた物もあれば、大八島において手書きで複製された本もあった。

 以前、鷹見を書庫に入れて自由に本に触れる許可を与えた。いずれも貴重な書物ばかりだが、ろくに本もない村で育った鷹見には難しくて読めない物もある。それでも希咲が大切に思う知識と文化に触れていられるだけで、幸せな気分になれたと言ってくれた。希咲はそれが嬉しかった。

「私の体の具合は良くなったよ。長い間、気苦労を掛けて済まなかったな。それはもう大丈夫だ。それより、お前の『気』が回復しないのが私には気掛かりだ」

「ご心配いただき、ありがたく存じます」

 案じるのは当たり前だ。そう言いたかったが何故か言えずにいた。実際には心配だけではない。この時感じている最も強い気持ちは、罪悪感が一番近い。

 希咲は先に立って客間に案内した。御霊狩りは大抵の用事は詰め所で済ませる。こちらにまで通すのは、鷹見であってもめったにあることではない。

 客間も邸内の他の場所と同じように、飾り気はないが、清々しい『気』に満ちているようにしてある。それに檜の香りだ。ここに来るといつも常になく清涼な気分になるとよく言われる。

「今晩は、和御魂の力で『気』を何とか注入出来ないかと考えてね。今夜一晩は私につき合ってもらおう。遠慮なく座ってくれ」

 客間には座布団と座卓がある。どれも簡素だが、質は良い。希咲は先に座った。

「お話とは、このことでしたか」

 言いながら鷹見も腰を下ろす。

「それ以外にもある。だが、お前の体のことが先だよ」

 希咲はそっと微笑んでみせた。

「しかし、それでは希咲様のお体に障るのでは」

「差し障りがあるほどにはやらないよ。大丈夫だ」

「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

 鷹見はややためらいがちに、それでもはっきりと訊いてきた。

「何だ、気になることがあるのか」

「はい。あのう、庭にある土蔵には何があるのですか」

「何故それを」

「それは、希咲様が、あの土蔵の前で何やら思い悩んでおられたからです」

 言ってしまってから無礼であったかと思い直したようである。誰であれ、相手が目上であろうとなかろうと、人があえて知られなくない事に口を出すのは、真の気遣いでも優しさでもない。

 希咲は即答はせずに黙っていた。

「申し訳ございません。出過ぎた真似をいたしました」

 鷹見は慌てた様子で、床に手を着いて深々と頭を下げた。

 双方にとって幸いなことに、希咲は出過ぎた真似とも無礼とも思わなかった。

「お前は本当にそれを知りたいのか」

「……はい。希咲様が打ち明けてくださるならば」

 希咲はためらった。

「言えばお前にも重荷を負わせることになるが、それでもかまわないのか」

「望むところです」

 鷹見の方は、ためらいは見せなかった。

 またしばしの逡巡。希咲は弟の実咲の件を打ち明けると決めた。

「──それで実咲は元の姿には戻れずにいる」

「……そうでしたか」

 真鶴が作ってくれた明かりの石が、室内を穏やかに照らし出している。昼間の陽光より優しく、ろうそくよりも明るくて澄んだ光が。

「希咲様、何と申し上げたらよいか」

 鷹見は自分の無力を痛感しているのだろうと思う。彼はそういう人間だ。希咲には、それが分かっている。

「なに、お前が思い悩むことはない。結局これは実咲がどうするかだけで決まるのだから。私にもどうにも出来ない」

「実咲様がお諦めになれば、どうなるのですか。全て元に戻るのですか」

「さあ、何もかもというわけにはいかないが。真鶴はこのままだが、実咲の身体も完全に元に戻るかは分からない」

「真鶴は実咲様を慕っているのですね」

「真鶴としては複雑な思いだろうな。実咲はある意味で生みの親のような者だ。もし仮に、私が実咲をどうにかしたら、私は真鶴に恨まれるのかも知れない」

「そんな、真鶴が希咲様をお恨みするなど」

「大抵の事では恨んだりはしないだろう。だが、実咲をどうにかすれば、その時は」

「真鶴はここからいなくなってしまうかも知れないのですね」

 希咲は黙ってうなずいた。

続く

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