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【和風ファンタジー】海神の社 第五話【誰かを守れる人間になれ】

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 鵺《ぬえ》と対峙《たいじ》する鷹見には、今は施療院にいる希咲を案じている余裕はなかった。兎《と》にも角《かく》に眼前頭上の『荒《あら》の変り身』を倒さねば主《あるじ》に手柄を報告するもかなわぬ。

 鵺は、夜気の荒御魂《あらみたま》の化身だ。夜の空気が冷たくなる頃に現れる。

 《《それ》》は、鷹見の上を飛んで背後に。後ろの木の上にいるのだと気配で察するが、素早く動いてもこの位置は不利である。共に来てくれた男は、ちょうど鷹見と向かい合わせに立っていて、鷹見より素早く動いた。

 愛用の薙刀《なぎなた》を巧みに用いて、恐るべき速さで梢《こずえ》の辺りを薙《な》ぐ。武器は、長身である自らの身の丈の二倍にも伸びていた。これだけの薙刀を振るうのは、かなりの膂力《りょりょく》が要《い》るが、実に軽々と、子どもが木の小枝をもてあそぶがごときに。

 鵺は動きを止めた。鷹見はこの機を逃さず、三度《みたび》矢を射る。矢を射る極意とは、程《ほど》よく力が抜けていながらも、意識は他に逸《そ》らさず標的に向けている、その状態になるを言う。その精神のあり方を体得せぬ内は、何をやろうともままにはならぬものだ。

 今度は狙い過《あやま》たず、正確に鵺《ぬえ》の額の真ん中を射抜いた。

 鵺は木の枝と茂る葉の間を落下し、草むらの中に突っ込んだ。動く音はしない。鷹見は念のため腰に差した太刀《たち》を抜き放って、鵺が落ちたはずの草むらに近づく。

 鵺が確かに死んでいるのを鷹見は然《しか》と見た。『荒の変り身』は、やがてまた自然界を流れる活力となり、荒御魂《あらみたま》に還《かえ》る。荒御魂に、あるいはまた、和御魂と荒御魂の両面を併《あわ》せ持つ、数多《あまた》の神々の一柱に。

 太刀で鵺の尾の先を切った。尾は虎《とら》の尾の形をしている。目には見えぬ活力と化して流れ去る前にこれを持ち帰り、狩りを済ませた証《あかし》としなければならない。

「終わった。ありがとう、助かったぞ、東《あずま》」

 鷹見には、手柄を立てた高揚感はない。ほっとする思いだけだ。それにこの程度の狩りにはすでに慣れている。

「これで南城様にもお褒めの言葉をいただけるな」

 猛狼はそんな鷹見を見てにやりと笑う。

「お前のお陰だとも言うさ」

「いやいや。いいよ。オレのことは」

「いいや、言う。東のためだけじゃない。希咲様をだますような真似はしない」

「よし、分かった。それならオレの活躍も大いに話を盛っておいてくれ」

 鷹見はそれを聞いて笑った。もちろん、冗談だと分かっているからだ。

 二人は荘園の中に戻った。報告のためには、ここから離れた施療院にいる希咲よりも、まずは邸内にいるはずの宮部に会わねばならぬ。

 宮部の屋敷の前には、真鶴と田野辺《たのべ》宮津湖《みやつこ》という名の御霊狩りがいた。宮津湖は鷹見より先に希咲に仕えていた若い男だ。海の魔神の件で希咲が床に臥《ふ》せってから、何かと鷹見に辛《つら》く当たるようになっていた。七年間、ずっとだ。

「おかえりなさい」

 真鶴はにっこり笑って鷹見と猛狼を出迎えた。宮津湖の方は、いつもと変わらぬ怜悧《れいり》そうな面差しから、鋭いまなざしを鷹見に突き刺す。

「南城《みなしろ》様への報告は俺がしておく」

 宮津湖は冷たく言い放つ。

「何言っているんだ。南城様にまた会わせてやれよ」

 猛狼はやれやれといった風だ。宮津湖のこんな態度はもう見慣れている。宮津湖の方は取り合わず、鷹見に目を据《す》えた。

「鷹見、お前が『気』を譲り渡せばどうなるかを知っていたなら、こんなことにはならなかった」

「……」

 鷹見は黙っていた。それを言われれば返す言葉はない。

「まだ成人してはいなかったが、すでに南城様にお仕えしてきたのに、何故その程度も知らずにいた。真鶴も東も、宮部様もお前をかばってばかり。何故《なぜ》なんだ」

 宮津湖はここで両手を握りしめ身を震わせる。

「何故なんだ」

「宮津湖、それはもう何度も」

 東が横から口を出すのを鷹見はさえぎった。

「いいや、聞く。俺は聞かなければならない」

「宮津湖さまのお気持ちも分かります。しかし、『気』を受け取ればどうなるのかをご存知でお受け取りになったのは希咲さまなのですよ。鷹見さまがどうなるかも分かっておいでだったのですよ」

 真鶴が言った。それは事実ではあるが、希咲を責めているようにも聞こえるだろう。案の定、宮津湖は聞き入れなかった。真鶴に視線を移して向き直る。

「真鶴、それでもこいつが『気』についてちゃんと知っていれば、南城様はこんなことにはならなかった。魔神からはいったんは退《ひ》けばいい。他に人を、俺を呼んでいていただけたなら。 俺はこいつが、鷹見がやったような馬鹿な真似はしなかった」

 真鶴は黙ってしまった。宮津湖も内心辛《つら》いのだ。それを真鶴も分かってはいるはずである。

「とにかく、俺は貴様を南城様の従者とは認めないぞ。南城様がお許しになっても、俺は──」

 そこで言葉を切って、宮津湖はその場を去って行った。もう夜も遅い頃合いだ。家々の窓から漏《も》れる灯りも消えつつある。

「お気になさらないでください。きっと焼きもちですよ。鷹見さまが希咲さまに気に入られているからでしょう」

 どこか冗談めかした真鶴の物言いに、鷹見ははっきりと告げる。

「真鶴、それは違う。宮津湖は妬心《としん》からこんなことを言う男ではない」

「ですが、貴方にあんな態度をしても希咲さまは喜ばれませんよ」

「ま、それは宮津湖も分かってはいるんだろうな」

 横から猛狼が言った。
 彼は夜空を見上げ、星影に、元の長さに戻った薙刀の刃をさらしている。刃から青い光は消えて、刀身に星の光が映《うつ》る。

「今晩は俺の奢《おご》りだ。二人とも俺の行きつけの居酒屋に来いよ」

 そう言うと、猛狼は、鷹見と真鶴の返事を聞かずに先に立って歩き出した。鷹見と真鶴は顔を見合わせる。

 やれやれといった風に鷹見は笑う。猛狼は鷹見と、間に入って仲裁しようとした真鶴を気遣ってくれているのだ。それが二人には充分伝わっていた。

「ありがとう。ご馳走《ちそう》になろう」

 鷹見はそう言って猛狼の横に並んで歩く。真鶴も後から着いてきた。

続く

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