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英雄の魔剣 25

 一行はいったん王宮へ戻った。元より遺跡は王都から離れてはいない。馬で二刻ばかりも行った場所にある。
 キアロ家の姫君が暮らす屋敷も王都から近い。大邸宅、大庭園と言うにしても控えめなほどで、一つの領地がここにあるかのようだ。

 本当の領地はもっと離れた場所にある。王都から北の、美しい湖を擁(よう)する地であった。この美しい湖は数多(あまた)の恵みをもたらしている。食料に水、湖の真ん中にあるキアロ家の城と城下町を守る天然の要害。湖中には穀物もある。とうもろこしに似た物が生えている。《湖の婦人》と呼ばれる平民の女たちが世話をして、収穫し、城下町に曳(ひ)き上げてくる。《湖の婦人》の仕事はそればかりではなく、湖底にある貝を取るのもある。
 男たちの役割は湖での漁である。魚のみならず、湖に棲(す)む獣を狩る。海にいる海豹(あざらし)に似た獣がこの湖にもいるのだ。
 アレクロスは今、かつて訪れたその領地を思い出していた。美しい湖だったと思う。キアロ家のグレイトリア姫には妹もいて、姉に劣らず美しかった。

 アレクロスはそれを思い出していた。いずれ姉か妹かのどちらかが、分家か他の貴族の家から婿(むこ)を取り、領主とするのであろう。おそらくは、キアロ家の現当主は、アレクロスに嫁がせようとはしていない。むしろ王宮とは距離を置きたいのであろう。アレクロスはそう考えた。そう考えるには根拠もある。王宮での社交の集まりに、キアロ家の現当主は、娘を出席させないことが多かった。来るのは当主とその妻だけである。
 アレクロスはそっとため息をついた。なぜ距離を置きたがるのか。それを考えると楽観的にはなれなかった。

 一行は王宮で身支度(みじたく)を整えてから再び外に出た。目指すはキアロ家の屋敷である。あまり目立ちたくはなかったため、馬車には乗らず、それぞれ馬に跨(また)がる。二刻が経ち、人馬は屋敷の前に着いた。門番に名乗ると、彼は急に畏(かしこ)まった。
「ご当主様にお伝えいたしますっ」
 門番は二人いたが、一人が中へと駆け込んで行く。屋敷は門と塀と(へい)から離れている。間に整備された庭園。果樹が連なり、花々と色とりどりの果実に満たされている大庭園である。
 果実の中には文字通りの黄金(こがね)色に輝くのもある。見るからにみずみずしく滋養に満ちているかのようだ。しかしこれは毒の果実である。キアロ家の独占的に栽培する果実。元は野生の実であったが、品種改良を重ね、こうして見事な毒の果実となったのだ。

 小鳥が飛んできた。小鳥は黄金の実のなる枝にとまり、実をついばんだ。一口、二口と飲み込むうちに、小鳥は身体(からだ)が痺(しび)れるかのように身を震わせ、よろめいて地に落ちた。ひくりひくりと翼を動かすが、ついに飛び立つことはなかった。

 邸内に《山の仙人》がいた。アレクロスも二人の兄妹も、その存在を知っていた。
 《山の仙人》は向かい合わせのソファと、その間に置かれた大理石の卓から離れた位置にある椅子に腰掛けていた。小柄な体に大きな椅子は相応しくなく、『ちょこん』といったおもむきで。

 アレクロスの左右にセシリオとサーベラ姫が座る。六人もが座れるような長椅子である。精緻な刺繍がほどこされた布で覆(おお)われている。
 その向かい側のソファにはグレイトリア姫が座る。父である当主の代わりにお迎えすると姫は言った。
「お初にお目にかかる──わけではないのう。お三方、すでにお会いしておるのう」
 《山の仙人》はそう言った。
「はい。すでに存じ上げておりますよ」
 世継ぎの王子は丁重に返した。
「辺境伯の領地でお会いしました。あの折
アンフェールが来なければ」
「そのアンフェール、つまりあんたらが言う《奈落の侯爵》の件でここに来たんじゃ」
 《山の仙人》は地下世界に暮らす。地表に出てくる時には、小山が並ぶ土地に現れる。その土地で暮らしているのだ。この世界に険(けわ)しき山脈はあまりないが、あることはある。その地にも現れる。地下世界を移動して、山から山へと。

「よく成長なすったな、王子様」
 《山の仙人》は言った。しわ深い面(おもて)に好感の持てる笑みを浮かべて。
「なぜこちらへ」
 その問いは《山の仙人》に対してでもあり、グレイトリア姫に対してでもある。
「地下世界について教えていただきました。最近の動向は」
「グレイトリア姫、それは《奈落》の魔物の件で、なのだな」
「はい、特に《奈落の侯爵》アンフェールの動きです」
「アンフェールはどうしているのか」
 グレイトリア姫の代わりに《山の仙人》が答える。
「それを伝える前になあ、王子様、わしの忠告を聞きなさるかのう」

 アレクロスはセシリオの顔を見た。親友はうなずいてくれた。アレクロスは《山の仙人》に顔を向ける。
「どうぞ。聞くだけは聞こう。どうするかは私が決めます」
 この時、王子は『俺』とは言わなかった。《山の仙人》は本来人の支配下に入る者ではない。それでも仙人の方も、それなりの敬意は示してくれたのだ。自分たちの方も礼をもって対応すると決めたのである。
「それでよろしいよ」
 《山の仙人》もうなずいた。同意のしるしに。
「アンフェールは地下世界の湖に現れておる。《湖の王》の呼ばれる者がわしに知らせてくれたんじゃ。じゃが、わし一人では手に余るでのう」
 アレクロスは今度はサーベラ姫の方を見た。サーベラ姫は
「王子殿下がお決めくださいませ」と。
「《山の仙人》、我らの力を借りたいと、そう言われるか」 
「そうじゃ」
 グレイトリア姫が軽くうなずく。アレクロスはそれを目にしていた。

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