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英雄の魔剣 18

 その時、サーベラ姫の涼やかな手ざわりの手がアレクロスに触れた。真夏に涼を取るようにつめたくて心地よい。
「王子殿下、その古強者(ふるつわもの)の騎士を私も知っております」
「……それは、誰です」
 アレクロスは尋ねた。
「私の父です」
「まさか、そんなはずはない。貴女は第一公爵家の令嬢ではないか」
「いつか打ち明けようと考えていました。私は養女であり、血はほとんどつながってはいません。正確には、私の父の先祖は、第一公爵家の始祖レイナルド・エルナンデの兄の娘、つまり姪の嫁いだ家です。それは確かなことですが」
「なるほど、その縁で養子に迎えられたのか」
「はい、それだけではございませんが」
「もちろん、姫が人一倍優秀で努力する人であるからだろう」
 アレクロスは、今は『姫』と呼んだ。

「そう言っていただけて、ありがたく存じます。今は我が実の父の話をお聞きください」
 サーベラ姫はその手と同じように、涼やかな声でそう言った。
「私の実の母は私を産んですぐに亡くなりました。父は男手(おとこで)一つで私を七つになるまで育ててくださいました。やがて騎士の娘たちのための私塾に通う私を、エルナンデ家の方が見出してくださったのです。私の知と魔術の才を」
 ここでサーベラ姫は、三回ゆっくりと呼吸をするだけのあいだを空(あ)けた。

「残念なことですが、もしもそうでなければ、私の才能はつぶされていたことでしょう。父は女の私が、戦いのための魔術の研究をするのを好みませんでした。過去にあった戦(いくさ)の話をするのも駄目、英雄と呼ばれた、魔物との戦いで名を挙げた人々の本を読むのも反対されていました。現在のコンラッド王国の政(まつりごと)の話もです。王都の広場でよく舌鋒鋭い議論が交わされているのを見ますでしょう。ですが、それを聞くのも駄目。ベルトラン・コンラッド英雄王の武勲(ぶくん)を語るのさえ、快くは思われませんでした」

「それは、酷い話ではないか」
 アレクロスは言った。心からの言葉である。アンフェールの呪いにより、サーベラ姫を疎ましく思う気持ちはまだある。それでも、父親の行いを批判する思いと矛盾はしていなかった。アレクロスの中では。
「ですが、すべて私を思ってしたことでした。女の私には、女の幸せを願うと父はいつも言っていました。私のために、苦労して男爵家との縁組も見つけてきてくれました。騎士の娘が爵位持ちの貴族に嫁げるならと、父は喜んでいました。男爵様がこれからはお前を守ってくださるからと。父はそう言いました」
 サーベラ姫は深くため息をついた。その目には、かすかに涙が光っている。
「すべて私のために。私を思ってしてくれたことでした」
「そうか」
 アレクロスも深く息をついた。
「だが貴女の望みではなかった。貴女の才を活かしもしなかった。それも事実。そうであるな」
「そうです。残念なことですが」

 サーベラ姫は語ると共に、記憶はその幼き日に帰っていた。
 七歳の幼き少女は、自分の家の前まで迎えに来たエルナンデ家の人々とその家来たちの前で、こう願った。なぜかアレクロスにもその情景が見えた。
「お願いです。どうか私の父を赦(ゆる)してくださり、私の成長を、私の力を示す時までお待ちください。私の真価を父に見せてあげてください。父が理解するまでは、どうか父を王都から追い出さないでください」
 サーベラ姫は自宅の前の、石畳の王都の道の端(はし)に跪(ひざまず)いた。
「父は私の真価を知らなければなりませんが、ここで追い出せば再び会うこともなくなるかも知れません。どうか父に目覚める機会をください。父が私にしたことが愛情ゆえであると知るなら、どうか厳しく罰さないでください。私の成長を見守る機会を与えてください。どうかお願いです」

 アレクロスの眼前の情景がぼやけた。セシリオの姿もサーベラ姫の姿も見えなくなる。遺跡の中ではない何処かにいるようであった。
 そこはコンラッド王国の王宮前であるが、どこか違和感があった。
 すべての窓に黒い布が掛けられている。王宮の庭の地面全体を覆(おお)う無数の黒バラが見える。
「これは、英雄王コンラッドの正王妃が亡くなられた時の……」
「そうだ。お前の目にも見えるか」
 その英雄王の深みのある声だ。
「はい、見えます」
 アレクロスははっきりと答えた。正王妃亡き後、老いた英雄王がどうなったか。アレクロスだけでなく、多くの者が知っている。

「天におわす蒼穹(そうきゅう)の女神が、我が覇業を助けるべく一人の婦人を選んでくださった。私はその正王妃となってくれた婦人を、ただ私に頼り、庇護(ひご)されるべき者として見ていた」
 蒼穹の女神が最も似つかわしい男女を結び合わせると、当時はよく信じられていた。アレクロスはそれを知っている。蒼穹すなわち青空の女神の加護を受けたかのような二人。それが、その時代特有の言い回しであった。
「陛下……」
 アレクロスは英雄王が何を言わんとしているのか、分かる気がした。
「我が配下には、男に劣らぬ強さの女もいたがそのような女は少ない。私や他の男たちに力で劣る正王妃は、私をその知恵と知識で助けてくれた。だが私は、愚かにもいつしか感謝も敬意も忘れて、ただ護(まも)るべき者としてしか正王妃を見なくなってしまった」

──嗚呼(ああ)、天にいます蒼穹の女神よ。私に正王妃ブリューネを娶(めあわ)せた方。
 どうか私を哀れみください。彼女こそが我が命運の要(かなめ)だと気が付かなかった私を。

 それは英雄王を主役とした歌劇の歌詞である。身分の高い者だけでなく、庶民にも親しまれた歌劇だ。不意にそれが世継ぎの王子の脳裏にひらめいた。

 眼前で白い光が弾ける。マルシェリア姫の姿が見えた。さらにその向こうに、宿敵アンフェールが立つ。
「サーベラ姫、すまなかった。『私』を赦してくれ」
 アレクロスは霧が晴れた思いである。
「マルシェリア姫、共に戦ってください」
「元より承知です」
 王女は答えた。
「セシリオ、サーベラ姫。援護を頼む」
 そうして、魔剣を手に斬りかかっていった。

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