見出し画像

「カナダ ブリテッシュコロンビア州の小さな街①」

過去に住んだ街を思い出すことありますか?

 僕が住んでいる長野県大町市も冬が終わりに近づいて、寒さが緩くなって来ました。
まとまった雪が降れば街は銀世界になり、北アルプスの山々は雪化粧で美しい姿になります。
そんな雪景色を見てると以前住んでいたカナダの小さな街を思い出したりする。僕はブリティッシュコロンビア州のキャッスルガーという小さな街に1年ほど住んだことがあった。
 人口7000人ほどの小さな街で様々な人種の人たちが住んでいた。イタリア系、フランス系、ロシア系、アジア系、アラブ系、原住民系。日本と異なって移民の歴史が反映されている。それらの人々は各自の集落があり、あそこはロシア系が多いとか、あっちはネイティブ系の保留地あったりと色分けされていた。

街の入り口


周辺は山々に囲まれた川沿いののどかな田舎町といった感じです。
僕は23歳のときに語学留学でその街に住んでいた。ダウンタウンの近くにセルカーク・カレッジという学校があって、そこに通学していた。

ブリテッシュコロンビア州セルカークカレッジ


 当時の僕は写真撮影、現像技術に夢中で、映像関係に強い学校を探してこの学校に決めた。バンクーバー、カルガリー、トロントなど大きな街に行く選択肢もあったけど、あえて小さな街を選んだ。
大きな街の学校は日本人が非常に多く、出来ればそれを避けたかったんですね。日本人同士でコミュニティを作っちゃうからね。それでもカレッジには何十人かの日本人が在籍していたけどね。
カレッジでは語学の勉強というより、写真の勉強がしたかったんですね。ただカレッジに席を置いた方が学生ビザも取りやすかったし、何かと都合が良かったんです。実際語学の授業をさぼって、現像室の暗室にこもっていた方が多かったですね。

コロンビアリバー


写真の先生でトニーっていう中年男性がいたんだけど、いろいろ親切にしてくれていい奴だったな。写真現像に必要な薬品、印画紙、暗室設備は使い放題で、誰かが使っていなかったら何時でも使って良かった。現像室の合鍵までもらった僕は夜中まで入り浸っていることが多かった。
週末の土曜日、日曜日は車でどこかを訪ねて写真撮影をして、月曜日に何本かのモノクロフィルムをもって学校に行き現像する。現像したフィルムを自然乾燥させ、翌日印画紙に焼き付けて現像する。それを乾燥させたら写真というものが出来上がる。立ち作業の長い工程で体力を使う。デジタルカメラと違って、印画紙に画像が浮かび上がるまでどんな写真が撮れているか分からない。100枚現像して気に入った写真は2,3枚ってところでしたね。
それでも当時は若かったし、体力、精神力、集中力、行動力が強かったので、頭に浮かんだことは何でもがむしゃらにやった感じだった。
想像はつくと思うけど、カナダの田舎は車がないと生活しづらい。バスは1日4本ぐらいしかなく、とてもやってられない。

右側通行です


そんなだから僕はすぐに車を購入した。もちろん中古車で、近所のの人が売りに出していたんです。
あちらでは車を手放したかったら、フロントガラスにいくらで売りますってボードが張られていることが多いんです。そのボードを見た僕は持ち主と話をして、1500ドルで買った。表示には1800ドルって書いてあったけど、1500ドルにしてくれないかと言ったらあっさりオッケーが出た。
ダメもとで言ってみるもんですね。
この値段だからやっぱりボロ車で、ボンネットの塗装は劣化で艶を失いマットな状態でした。
1972年製のホンダアコード、左ハンドルの北米仕様です。ハッチバックの1500ccです。
こんな車でも生活する上では役立ちましたね。

住んでいたのは山の手のベースメントを月に500ドルで借りていた。
当時のレートは1カナダドルが70円くらいだから、3万5千円くらいですね。光熱費も込みだから安いと言えば安いですね。
ベースメントって日本人には馴染みがないと思うけど、簡単に言えば地下にある部屋ですね。映画でも目にすると思うけど、あちらでは地下がある家が多く、洗濯やアイロンを使うスペースがあり、寒い地域ではボイラー室もあったりする。セントラルヒーティング設備が一般的であり、そこからダクトを通して各部屋に送り込む設備だ。
そんなベースメントの一角に僕の部屋があった。部屋の広さは日本でいう10畳くらいかな。中央に置かれたベットとその脇にはサイドランプに引き出しのついた机と椅子。ベットのサイズはシングルだけど、日本使われているダブルベッドと同じぐらいのサイズだ。その経験があるため、いまだに日本のシングルベッドは使っていない。
部屋の隣はシャワーと便器、洗面所がある部屋で、浴槽はなかったですね。
便座の位置が高くて、僕が座るとかかとが浮いている状態でしたね。
特に困ることはなかったけど、大家さんと喧嘩して出て行くことになったんだけどね。内容は恥ずかしくて書けないので省略しますね。
それで次に住んだのはトレーラーハウスの一室だったんです。なんか響きは良いですが、ボロボロで雨が降ったら漏れるくらいでした。

長くなるので、続きは次回書きますね。

keep on rolling


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?