モラハラは「口が悪いだけ」なのか?
補助輪のついた自転車を、ずいぶん乗りこなせるようになった。その子どもの姿を、安心して愛でられる生活がほしい。
母子二人で行くはずだった公園に、夫が同行した。ふつうの夫婦であれば、和やかなひとときなのだろうが、私にとっては足に鎖。夫が飽きる前に、早く帰ろうと子どもに促さなくてはならない。子どもが砂場で汚れぬよう、注意しなくてはならない。夫の爆発を予防するために、子どもの自由を奪うのが私である。
夕方、なかなか帰らない子どもにイラつきだした夫。「先に帰っていいよ」と言うと、こう返ってきた。
「ふざけんなよ!」
私は、ブランコにのる子どもの背中を押しながら、風に揺れる木の葉を眺めるしかできなかった。心の流血を止めるために。
夫は、この発言をすでに覚えていないだろう。ふざけんなよと言っておきながら、なにをどうふざけているとか、いないとか。そういう問題を議論するつもりなどないだろう。単に語彙が少なく、たまたま口から出たのがその言葉。その程度に見える。
単に口が悪いだけ、と捉えることはできる。
だが、モラハラは加害者のパーソナリティを指すだけでなく、「関係性」の問題でもある。むしろ、そっちが本質だ。
夫のように口の悪い人間はごまんといて、それを適当にあしらったり、さらに威圧して反撃する人もいるだろう。でも私は違う。夫の暴言で傷つき、不安定な生活を余儀なくされている。常に、いつ家を出ようかと考えながら暮している。はためには、「単に口の悪い男」だけであっても、精神、生活が脅かされている。この状況こそがモラルハラスメントなのである。
夫の加害性や、実際の行動だけに目を奪われてはいけない。客観的に、夫をモラハラ認定できるかどうかよりも、自分がどこに追い込まれているか、この先も堪え続けるのか。そこを自覚することが重要で、次の一歩につながるのだろう。
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