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逃げ道と捌け口とセックス

「授人以魚 不如授人以漁」
※「飢えている人がいる時に、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか」

という有名な格言がある。
魚を与えるのは容易い。その人がすぐに食べられるから。
でも、魚の釣り方を教えればその人は、少し時間がかかれど今後も飢えることがなくなる。
という意味らしいですね。

個人的に言うと、魚をあげて、なおかつ魚の釣り方も教えてあげればいいと思うんだが、なんでそんな一択しか選べないの?なんか普通にケチだよなあと思う。

ちなみにアンパンマンがやってることは魚を与えるだけ、と一緒だ。暴力で解決パンチ👊🏻💢
魚を取る方法を教えるなら、アンパンマンはパトロールじゃなく道場を開けばいいのに。自分で自分の身を守る方法を教えればいいのに。アンパンチ、みんなが使えたら良くない?

まあそれはまあ、なんかすいません、一旦置いとくとして、


性的奔放という言葉がある。
なんかもう「ヒャッホー!性に対して解放的になっちゃうぜー!ヌーディストビーチも行っちゃうぜ!」みたいな状態になることをいうらしい

らしいというか、僕も体験した。本当に今は後悔してるしあの時傷つけた人、どうか僕を許さないでください。ごめんなさい。
極限まで解放感があると、性に対して「別にいっか!」という気持ちになってしまって、僕は色々と失い果てた。
その日に会った人にチューしたり、ハグしたり、セクハラおじさん気色悪いことこの上なし。もうなぐってください。
まあもっとキモいことをする人もいる。

躁うつ病(双極性障害)という病気があり、躁(超元気状態)の時にそういうものが発揮されたりするんだとか。

これは自傷行為と似てる。本当に似てる。精神的な部分がほぼ同じ。ただ人を傷つける分タチは悪いよね。

そして、散々解放した挙句、最後は「なんてことをしてしまったんだ」ってどん底まで落ちる。
絶対に落ちる。性的奔放は、何があっても幸せな気持ちには直結しない。刹那的で破滅的だ。
なんかもう自己嫌悪になってきた。殺してくれ。

今までその性的奔放になってしまっている人に出会ったことは3度ある。自分を含めたら4人だ。その人たちが幸せな気持ちでそれを行っているところを僕は一度も目にしたことがない。
性的奔放には未来がない。本人たちはそれを自覚して、それでも尚、続ける。その後最悪な気持ちになっている。
意味がわからん。馬鹿か?殺してくれ。

そう言った人、まあ性的奔放に限った話じゃないんだけど、自傷行為などを行う人には必ずストレス要因が存在する。必ず。当たり前だけどね。
本人が楽しんでいるように見えても、極限なくらいに壊れてしまっている。

僕は自殺を決めてから会いたい人に会う、をやってる。

こういうのは会いたい人にこっちから言うもんだけど、ありがたいことに、あっちから会いたいと言っていただけることもあるので、とてもとてもありがたいことでございます。

本当ありがとうの世界の数珠繋ぎ。って感じです(?)


タイトルの話に戻るけど、
逃げ道と捌け口の話。最近とても思うところがあり、書くことにした。
僕は会う人や、話す人、まあ大切に思ってる人に、だな。言葉を残したいという気持ちが強い。

その言葉は、行動が伴わないと軽薄でしかない。薄っぺらい。だって、言葉って嘘がつけるから。
だから言葉を残すんならちゃんと行動でも示さなきゃいけないという気持ちがある。

僕はその人たちに言葉を残したくて、僕の目線で、影響力のない僕がその程度の浅はかさで、言葉を吐く。

逃げ道と捌け口は違う。
似てるけど違う。めんどいので説明はハショるけど。

でも、どちらもストレス要因があることに違いはない。

ストレスを抱えたまま生きることは難しい。どこかで発散しないと上手く生きていくことはできない。

僕の中の経験上の話なんで信用しなくていいですけど、8割の人が逃げ道や捌け口を必要としている。
あとの2割は自分で自分のご機嫌をとることができる。
2割の人たちは自分自身で小さな幸せを拾ってそれを糧に生きることができる。絶望的な気持ちにならないように調整ができる。

2割の人たちのことはめっちゃ羨ましいが、今回はこの人たちの話はしない。
8割の人たちについてだ。

僕は、手の届く範囲の、自分の分かる範囲の大切な人たちの孤独感を共有してもらいたいと思ってる。
いわゆる「話聞くよー?」状態だ。

僕は、言葉を残すって言った限りは、行動で示さなきゃいけないことを知ってるので、
その大事な人たちが辛そうにしていて、相談に乗るんだとしたら、絶対にその人の人生を背負うつもりで話を聞く。その人の進む道の先までちゃんと責任をとるつもりで話す。それが相談に乗るってことだと、僕は思ってる。
魚の釣り方を教えるってことはそういうことだと思っている。(上から目線ですいません)
それが行動で示すってことだと思っている。

じゃあ性的奔放を抑えられない、自傷行為が抑えられない、そういう人に対して何が出来るかって考える。
僕は、じゃあ僕自身が逃げ場所になろうと思った。
最後の砦になってあげられたらいいなって思うようになった。

セックスしてあげるよ!って意味じゃないよ!おい!勘違いするな!俺のちんちんは俺が守る!

性的奔放、自傷癖、抜毛癖、アルコール依存症、薬物中毒、様々な苦しい話がある中で、その人たちの相談に乗るんだったら、その人の人生も背負う覚悟でいる。
僕の存在自体が逃げ場所になってあげられれば、もしかしたら依存や自傷をやめられるかもしれないと思ってしまう。

正直に言うと、引っ張られるし、そこまで引き受ける必要はないとも思うが、その人が幸せになることを願わずにいられない。その人の幸せをどうしても願ってしまう。

優しい人、優しくなれる人ってのはそう言うことなんじゃないかなって思う。僕は優しくなりたかった。
偽善だって分かってても、今僕は優しくなろうと頑張っている。

僕は本気で幸せを願うことしかできない。エゴだ。わかっている。だから引き受けたい。たとえ自分が死ぬことになったとしても。僕はそれをすることで自分を誇りに思えるからだ。
そして、最後は1人になって、みんなの幸せを願って、死んでいけるなら、これはもう幸せの極みだ。

冗談なんかじゃねえぞ。僕の大切なあなたが死にそうなら助けに行くってことだぞ。
そして幸せになってもらうために全身全霊を尽くすって誓う。でも、だからこそ、行動が必要だと思うんです。だから会いに行くんです。

正直キャパオーバーしてる。でも、僕はもう死ぬまで時間がない。手の届く範囲の人たちには少しでも幸せになってもらわないと困る。
僕のいない世界で、僕の大切な人たちが少しでも笑っていられることを願う。

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