見出し画像

オリジナル小説 ふたりぼっち#4

灰村が乳白のカンヴァスに絵筆を走らせているときのことでした。突然、激しい雨が降ってきました。通り雨だろうと思い、そのまま絵筆を走らせていましたが、雨は止みません。ざあざあざあざあ。雨は、言います。灰村は重罪人なのだと。灰村は表に出てはいけない人間なのだと。雨は、灰村を呪っているかのようでした。顔をしかめながら、灰村は絵筆をおきました。雨は止みません。

灰村は、伊織を抱き寄せました。
「僕がいなくなっても、伊織は生きていける?」
伊織はその言葉から苦痛を感じ、顔を歪めました。
「どうして、そんなことを言うの?」
伊織の両手で顔を包まれた灰村は、泣き笑い、か細い声をあげました。
「僕は、君以外の全ての人間が怖い。皆一様に、僕を憎んでいる。皆一様に、僕を殺したがっている」
一体どこまでが事実なのでしょうか。伊織は何も言えなくなり、ただただ、灰村を抱き返すだけでした。

火曜日、灰村は自分の体を売っていました。自分の絵を買ってくれた男から強要されて、でした。行為の最中、灰村は虚ろな目で、天井や壁、とにかく男以外の静物をぼんやりと眺めていました。そして、伊織には何があっても自分以外の人間と性関係を結んで欲しくないと、強く思うのでした。
性行為のあと、灰村は男からお金を渡されました。耳元で次回もよろしくと囁かれたとき、灰村の全身に怖気が走りました。早く帰りたい、早く伊織に会いたい、と思い、逃げるようにその場から走り去りました。
ですので、帰宅したときに伊織が起きていたのは灰村にとって幸いでした。もう眠っていると思ったからです。
「どうしたの。そんなに怖い顔して。絵は、売れた?」
伊織、伊織と何度も繰り返し、灰村は伊織を抱きしめました。明らかに、灰村は怯えていました。伊織は事情を知りませんでしたから、状況を飲み込めずにいましたが、灰村の髪をやさしく撫でました。

灰村は壁に両手をついて、頭突きを繰り返していました。ひどい幻聴に悩まされていたのです。頭突きをすることにより、いくらか幻聴は止みましたが、すぐまた始まりました。幻聴は主に灰村の人格を貶める内容のものでしたが、伊織を貶める内容のときもありました。額から流れる血を左手の甲で拭いました。
苦しくて苦しくて、伊織にやつあたりしてしまうこともありました。その度に、灰村は自分を責めました。
「僕は伊織のそばにいないほうがいいのかもしれない」
伊織は灰村の腕を掴みました。
「それはダメ。私は灰村がいなくなったら生きていけない」
それは、伊織にとってのまぎれもない事実でした。

 梅雨。
 降りしきる雨の中、灰村は傘もささずに佇んでいました。先日、穢れてしまった自分の身体を、雨で洗い流しているからでした。両親のことを想いました。灰村が16歳のとき、自殺してしまった両親のことを。音楽家だった彼らは、なぜ自殺したのでしょう。灰村には複数の兄がいました。優秀な兄たちの存在が灰村を苦しめたと考えるのは簡単なことでした。灰村は兄たちと連絡を取っていません。兄たちがどうなっていようと、それは灰村の考えることではなかったからです。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます! より良い記事を書いていきたいです。