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二流のはじまり

日本全国に20万人近くの大学教員がいるそうです。
市の規模で言うと岸和田市や三鷹市くらいでしょうか。
そこそこの数です。
これを書いている私自身もその1人ですが、自分が20万人のうちのどの辺りにいるかは分かりません。
しかし、確信を持って言えるのは「絶対、上位ではない」ということです。

上位ではない

大きく分けても文系・理系では、学問文化が全く異なります。
そして同じ文系でも人文系と社会科学系では大きな違いがあり、さらに各学問領域で全く異なる文化や雰囲気があります。
また同時代には評価されなくても、死後、高い評価を受ける研究もあります。
近年は、文系でも一般企業から大学に移る実務家教員も増えています。
こうした多種多様な無数に存在する大学教員をランクづけすることなど不可能ですし、ほとんど意味がありません。
しかし、それでもなお、自身については絶対に上位ではいない、二流研究者であると断言できます。

行ったり来たり

二流への気づき、そのはじまりは小学生の頃、SAPIXに通い始めたことでした。
恐らく「α2」という単語にピンとくる方もいらっしゃるでしょう。
当時、人形町にできたばかりのSAPIXでは、上位からα1、α2、α3、β1、β2というようにクラス分けされていました。

私は四年生から六年生まで、3年間通いましたが、α1とα2を行ったり来たり、基本はα2でたまにα1にあがるといったところでした。
地元の小学校では、当たり前ですが一番です。ただ塾にいくと「その他大勢」に含まれていました。

勉強していなかったわけではありません。
ただ、α1の人たちは、食事中も社会の暗記物をやり続けたり、さらに上回る勉強を重ねていました。
また、トップクラスのさらに一握りの中には、1日2時間くらいしか勉強しない人もいました。なのに、なぜトップなのか。

頭の良い人たち

頭が良いのです。
彼らの特徴は「ノートを取らない」ことです。
算数でも理科でも社会でも、先生の解説を聞けば、一度で理解して覚えてしまいます。だから、復習する必要もないし、ノートも不要。睡眠を切り詰めて勉強する必要もありません。そんな頭脳に恵まれていたのは4、5人でしたが、全員が開成、麻布、桜蔭に進学していたと思います。

それに引き換え、私ときたら、何度聞いても解法が理解できず、早起きして何度もノートに書かなければ記憶できません。それでも記憶間違いがあり、しばらく経てば忘れてしまいます。

本当に二流の頭です。麻布や開成に受かるわけもなく、二流の中高一貫を真ん中よりちょい下の成績でなんとか卒業し、浪人を経て私立文系に潜り込み、ろくに下調べもせずに入った地方国立の大学院をでるのがやっとでした。

二流の幸せ

ただ、その程度の二流の頭でも、専任教員として大学に職を得て、学者として家族を養えるようになりました。誰も読んでいないでしょうが、片手で数えるほどの単著を刊行することもできました。本当に書いていて恥ずかしくなる二流ぶりです。

しかし、歳を重ねて、勤務先で人事にも関わるようになると、二流なりに気づくことがあります。
専任教員のポストには、極めて優秀な方もそうでない方も応募してきます。とはいえ、必ずしも優秀な方が職を得るわけではありません。私の感覚では五分五分です。

もちろん、タイミング、幸運、人間力といった曖昧な言葉でしか言い表せないものが介在することもありますが、それだけではありません。もっと具体的でコントロール可能な要因が幾つもあることに気付かされます。

このnoteでお伝えしていきたいのは、院生生活、研究生活にはハンドリング可能なことがいくつもあり、それらに着実に対処しておくことで、最終的には、学者としても生活人としても幸せに生きられる可能性が高まるということです。

稲妻のように閃めく頭脳や天才的な語学センスがあるに越したことはありません。しかし、それは望んでも手に入りませんし、ほとんどの人は持っていません。それでも、博士課程を修了し、学者として幸せに生きてゆくことは必ずできます。

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