私は何しに協力隊へ?
自主講座でやった「Youは何しに協力隊へ?」の使い回し題名…
私はどちらかというと後先考えずに直感で動く方だと思うけど、
流石に20代後半にもなって直感でここにいるわけではない。
3/ 2に任地へ移動してきて数日。
自分の初心を忘れたくないなと思ってnoteに記録する。
と途中まで書いてたけど全然言葉と向き合う余裕がなくて、もうブラジルに来て3ヶ月が過ぎた今、また続きを書こうと思う。
「スポーツをしたい子供達が、環境に関わらずスポーツができる世の中になったらいいのな」
大学の進路を決めた理由も、前職に就職した理由も、そして協力隊へ応募した理由もこれ1つ。
生まれた国や、家庭環境、貧困や障害で、スポーツがしたくてもできない子供達が1人でもいないようになればいいな。
そしてそんな子供達にとって、スポーツが心の居場所になればいいな。
高校生の時に思ったそんな願いを、良くも悪くもずっと持ち続け、私は今ブラジルにいる。
私はソフトボールが大好きだった。
何もかも忘れてソフトボールに熱中している時間が大好きだった。
けれど家庭環境の問題もありスポーツをすることが決して楽ではなかった。
メンタル弱々な私は、なんで私だけ…とよく思ってた。
そんな状況もあり大好きなソフトボールがしんどくなった高1の終わり、顧問の先生に相談した。
「愛華がソフトボールが好きで続けたいと思うなら、私が続けられる環境を作るから。全て受け止めるからなんでも言って。」
この言葉、この経験が原点だと思う。
この先生の言葉がなければ私はソフトボールをやめていただろうし、今こうやって協力隊にもいないだろう。
大学3年の時にもっと途上国のスポーツ事情を知りたくて1人ウガンダへ。
親をエイズで亡くした子供たちの野球チームとナショナルチームでの活動をメインに1ヶ月ほど滞在した。
そこで出会ったのは、日本とは違いすぎる環境の中、目を輝かして野球をする子供たち。
裸足で、ボロボロのグラブで、ゴミ山の隣で。
「僕は将来野球選手になるんだ!」「イチローみたいな選手になるよ!」
夢をキラキラ語る子供たちを見てもっと長期で関わりたいと思った。
それと同時に何もできない自分に悔しさを覚えた。
当たり前だけどスポーツをするには指導だけでなく道具や環境が必要。お金がないから道具が買えないだけでなく、「道具がない」環境があることを知った。
道具に関してなんの知識も人脈もない私はスポーツメーカーで経験を積むことを決意。ご縁があり内定をいただき、協力隊に参加するまでの約3年半働いた。
前職でもとても良い経験を積み、素敵な出会いもあった。
実際協力隊に参加することが決まってからも、盛大に協力をしてくださった。感謝しかない。
環境に関わらずスポーツを!と一言で言っても課題はたくさんある。
・道具がない
・指導者がいない
・スポーツ道具を買うお金がない
・活動場所がない
・家の手伝いなどでスポーツをする自由がない
・障害がある
・競技者がいない
多分、もっともっとある。
今日明日で変わるものではない。多くの時間と労力が必要だろう。
私が動けば何かが変わるものではないけど、
莫大な課題の解決策を考えながらも、ブラジルでは目の前の子供達と日々真剣に向き合う。
スポーツで世界を救ってやる!なんて思っていないけど、目の前の子がスポーツを通して笑顔になってくれればいい。
とはいえ、協力隊の参加はすごく悩んだ。私が一番希望していた要請ではなかったので。
元々私は協力隊を熱望していたわけではない。
自分の叶えたい思いと、自身で決めていた独身で20代のうちに海外に出て経験を積むということを実現するための選択肢の一つが協力隊だった。
色んな選択肢を天秤にかけ、協力隊に応募し、縁があってブラジルで合格をいただいた。
この縁を大切に、自分の思いを忘れずに、ここブラジルで奮闘できたらと思う。
と言っても、語学の壁や、私の力不足や、その他色んな問題に直面し、何度も凹んで泣いているブラジル3ヶ月目。
まだまだ踏ん張って私、初心を忘れずに。
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