体は覆い隠していた

この記事は、岡本育さんの「ハジの多い人生」の文章を真似して書いている。しかし、全てが真似ではないので、そこはきちんと読んでほしい。

私は、ずっと体を覆い隠す服を着ていた。仕事柄、毎日、長袖を着ていた。体の線がはっきりわかる服は得意じゃない。それを私だけは知る。性的なものは何も匂わせたりはしていない。

過去に毎日、図書館という場所でボランティアしていた。

その図書館に、真面目に働きに行っているはずの50代の男性が、「ふと魔がさして」ボランティアに熱心な私に性的な関心を持った。

その心理について想像を巡らせると、彼の手首を捩じり上げたくなる。

彼は市の公務員で、自宅は私の家のある場所の近くだった。いつも、首からは「館長 ○○○○」という名前と町のゆるキャラが載った、名札を下げていた。

年齢的に部長になるらしいが、管理職のポストに空きがない。「だから、まだ課長」とボランティアの会話で聞いた。家には私と同年代、30代の息子と、妻が居る。

私が知る、中学の社会と国語科教員で、今は教育委員会にいる先生のことも知っていた。

私が他にボランティアをしていた、小学校と、高校の校長とも知己だった。

地元の市会議員、そして、地域を盛り上げたいボランティアの方、特に年配の男性の多数が彼の知己で、彼の味方だ。
口を揃えて、証言するだろう。「あの人は、そんなことをするはずがない」。

そんな妻子持ちの男性が、図書館で展示をしたいボランティアに協力する。

課長から部長に上がれないストレスや、部下が言うことを聞かないストレスに耐えかねて、それらを発散させるために、少しでも自分を頼りにする、息子と同年代の女を性的に見てきた。

彼は気持ちが満たされたのだろう。ある日、課長は、己が築き上げてきた大切なものをかなぐり捨てた。彼は知っていた。「性犯罪は、そんなに刑事罰が重くないし、訴えても、訴えた女性側に精神的な苦痛が大きく、途中で諦めてしまう」という事実だ。

なぜなら、相手には、弁護士の友だちがいたからだ。話を事細かに聞いていたのだ。

だから、彼は無敵だった。私が「訴えても、大丈夫」と確信を持っていた。

私に何度も、何度も、弁護士から聞いた話を聞かせることで、私が訴えないように、そのくらい私の精神が弱いことを知っていた。

今、私は結婚し、夫が居る。しかし、夫が少しでも性的な意味で迫り来ると涙が出て、ひどいヒステリーに襲われる。

どうして、自らを守れなかったのか。悔いている。訴えても、信じてもらえない気がして、町に訴えるのは辞めた。夫の住む町に逃げた。

図書館は土日も開いている。課長は、今も私が好きだった、故郷の図書館に館長として居るのだろう。人事異動で居ないかもしれないが、あと、数年は教育委員会の部署を行ったり、来たりするのだろう。

火曜日、水曜日、木曜日の朝も、彼はマイホームや職場で、問題のない人生を送っているのだろう。私だけが違う町に逃げてきた。
故郷の図書館には二度と行けない。市役所も、奥の課長席に相手がいるかもしれない。だから、行けない。

この話はいつも、どこかのSNSで書き続けている。一度だけ、私の町の教育委員会と、人事部に話をしに行った。でも、私は怖くなって、伝えるのを辞めた。記事を何回も消した。何回も、何度も、書いては消してを繰り返した。

文春に記事をたれ込む人がいる。お金目当てと世間は言う。「女」が悪い、という。

私は、ずっと体を覆い隠す服を着ていた。
仕事柄、毎日、長袖を着ていた。
体の線がはっきりわかる服は得意じゃない。
それを私だけは知る。性的なものは何も匂わせたりはしていない。

私はずっと、心の病だったので、トラウマが加わっただけだとは思う。でも、許せなくて、私は忘れてしまいたい。それなのに、こうして、また隠れて書いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?