モルカーミステリ!「わくわく!びくびく?殺人事件!」

※本短編は、2021年覇権アニメ『PUI PUI モルカー』の世界観・作品設定にのっとった二次創作的推理小説です。勝手なこと書いてます。人が死にます。よろしくどうぞ!

      1

 ある日曜の朝。ひとりの男がモルカーの中で死んでいるのが発見された。
 死因は心臓麻痺。目立った外傷も争った痕跡もなく、男には心筋症の持病があったことから、当初はありふれた病死と判断された。
 しかし男と別居中だった妻が「夫はあの女に殺されたんです、調べ直してください」と訴え出た。それも、夜の報道番組の中で突然、涙ながらに。男の妻は有名なアナウンサーだった。
 「あの女」とは、死体の第一発見者である男の愛人のことだ。
 あの朝、「ぷぃ……ぷいぃ……」という哀しげな鳴き声に起こされた彼女は、男のモルカーであるアッシュ――レックス種のモルモットを起源に持つモルカーで、灰色の毛からそう名付けられていた――が自宅マンションの前に停まっていることに気づき、次いでその車内で男がハンドルにうつ伏せるようにして息絶えているのを発見したのだった。
 通報時刻は午前十時十五分。男の死亡時刻もその付近と推定された。また、周辺住民の証言から、アッシュは十時十分頃には現場に停まっていたことも判っている。
 テレビ番組を通じての「告発」の反響は大きく、所轄署に問い合わせが殺到したことから、マスコミに向けた形式ばかりの報告のために司法解剖が執り行われることとなった。――そしてその結果、死体の耳の後ろに注射痕が発見され、血液中から微量の神経毒が検出されるに至ったのである。


      2

「――やっぱり、夫は殺されたんですね」
 リビングに通した二人組の刑事を前に、妻は静かに言った。値踏みするような目で二人を見やる。
 化粧は薄く、切れ長の瞳の下に張ったクマが痛々しいが、喪服を思わせる黒いワンピース姿が艶やかだった。
 警部だという、くしゃくしゃのステンカラーコートを着た小柄な中年男が手帳片手に口を開く。
「注射器や毒物は車内にありませんでしたし、そもそも自殺なら耳の裏に注射したりはせんでしょう。……あるいは不倫相手の女性か誰かと共謀して、自然死に見せかけるために凶器を処分させたとも考えられますが」
「自然死に見せかける?」妻は眉根を上げた。「何のためです?」
「特定期間内の自殺だと支払われない保険金を詐取するためだとか、単純に自殺したと思われたくないとか……まぁ理屈をつけることはできます」
 警部の言葉に、妻は薄く笑った。
「信じられませんね。夫に何か、自殺する動機があったんですか? 会社の経営は上手く行っているようでしたし、私との離婚も、もうすぐ円満に成立する予定でしたのに」
「ご主人は心臓に重い持病をお持ちだったんでしょう? 病気を苦にしてと言うのは……」
「あり得ませんよ」妻は一言の下に切り捨てた。
「夫の心筋症なら昨年大きな手術をして、かなり良くなっていましたから。入院中に一目惚れした部屋付きの看護師に、マンションを買ってやって愛人として囲うくらいにはね」
 そう言って妻が浮かべた皮肉な笑みに、警部もつられたように笑ってみせる。
「ご遺体の発見者の*****さんですね」
 薬物注射という犯行方法から、看護師である愛人が目下、第一容疑者とみなされていた。
 ただ、ふたりの関係は至って良好だったようで、動機の面では疑問符が残った。男の会社の部下たちの証言によれば、愛人に会う日にはいつも浮足立っていて、病院で出会ったことに引っかけて「通院に行ってくる」なんて冗談めかして言っていたらしい。まだ夫婦の離婚は成立しておらず、特別な遺言状の類いも残されていなかったので金銭の相続は理由にならない。
「ご主人の死亡推定時刻は午前十時前後。遺体から発見されたのはアルカロイド系の神経毒でして、投与から三十秒以内に意識を失い、遅くとも十五分程度で死に至ったと推算されています」
 そう言って、警部はずい、と妻の方に身を乗り出した。
「トリカブトの仲間の、コションダンドという花の根に多く含まれていることで知られる毒物です。……ほら。奥さんが一か月ほど前にネット通販で鉢植えを購入された花ですよ」
 揺さぶりをかけたつもりだった。警部は目を細めて反応を伺ったが、妻は顔色一つ変えなかった。
「ああ、あの花って毒があるんですね。知らなかった。友人の結婚祝いにと思って買ったのですが、渡す前に枯らしてしまって」
「ほう、結婚のお祝いに? その猛毒性から『あなたに復讐する』という花言葉を与えられている花を、ですか?」
 警部の言葉に、妻は目を伏せた。
「それは不勉強でした。渡さなくてよかった」
「ところで、事件の朝に被害者のモルカーをテレビ局付近で見たという証言があるんです。あなたが出演している朝のワイドショーの放送局です」
 警部の隣でずっと置き物みたいに黙って座っていた、就活生のような黒スーツの若い刑事が割って入ってきた。
「九時五十分頃だそうですが、あなたに会いにいらしたんじゃないですか?」
 妻は一瞬、目を見開いて驚いたような表情を浮かべたが、すぐにかぶりを振って、
「……少なくとも、私は会っていません」
「犯行の前夜に被害者に電話していますよね? テレビ局まで彼を呼び出したんじゃないんですか?」
「私たちは夫婦ですよ。連絡を取って何が悪いんです?」
 そして、腕を組むと挑むように刑事たちを見返した。
「ねえ警部さん。テレビ局からあの方のマンションまでは、どれくらいの距離があるんですか?」
 手帳を手繰り、警部は答える。
「遺体の発見現場まではどんなに急いでも、モルカーで二十分といったところですね」
「でしたら」
 妻は、すぅ、と息を吐いてから僅かに笑みを浮かべて言った。
「私は無関係だと判っていただけると思います。おふたりもご存じの通り、私はあの日も午前十時からの生放送に出演しておりましたから。打たれてすぐ昏倒する毒なら、九時五十分にテレビ局で私が注射したとして、現場までモルカーを運転したのは夫ではないということになりますし、私にそれが不可能なのも明白ですよね? 勿論、局のそばで目撃された二十分後の十時十分にマンションの前に到着してから注射するのも、」
「……その時テレビカメラの前にいた奥さんには不可能、ですよね」
 警部は肩をすくめ、冷め切った手元のハーブティーを一息に飲み干した。
 妻は続けて言う。
「それに、時間のことがなくても私には不可能なんですよ、夫の死体をあの子に……アッシュに乗せて運ぶのは」


        *

 男の妻は、自ら警察署に同行することを主張した。
 そして、証拠品として車庫に保護されていたモルカーを前に、彼女が言うところの「不可能」を証明してみせた。
 きゅーっ! きゅうっ! きゅうっ!
 アッシュは自分に乗り込もうとする妻に、体をよじって抵抗した。そして彼は、妻がハンドルを握っても、悲痛な声を上げて震えるばかりで動こうとしなかったのだ。
「私、嫌われてるんですよこの子に。大好きな飼い主が一度は愛した女なのにね」
 妻はそう言って、寂しげに微笑んだ。


      3

「奥さんがこの子を運転することも、命令することもできなかったのは、関係者の証言からも間違いないようですね。被害者が彼女を同乗させることすら嫌っていたそうで」
 黒スーツの若い刑事が、アッシュにニンジンを食べさせながら言う。アッシュはぷいっ、ぷいっ、と嬉しそうに鼻を鳴らしている。
「アッシュは被害者が結婚する前からの飼いモルカーだったそうですから、もしかしたら奥さんに嫉妬していたのかもしれませんね」
 カールした毛がふわふわのルーフを撫でてやりつつ、黒スーツの言葉に警部は溜め息を漏らす。
「こいつを上手く躾けて、嫌われているように見せかけることはできないのか」
 黒スーツは首を振る。
「調教としてはちょっと複雑すぎますね。確かにモルカーは人間のことばを解すると言われていますが、それは犬が『お手』と言われて手を出すのと変わらない、単語レベルの話みたいですよ。通勤先までの道筋を覚えて、『会社に行って』と言えば飼い主が運転しなくても連れて行ってくれるモルカーは珍しくないそうですが、逆に言えばその程度で」
「詳しいじゃないか」
 警部が目を丸くすると、黒スーツは照れたように笑う。
「又聞きです。モルカーが関わる事件ってことで、専門の特科車両二課にいる同期に色々聞いてみたんですよ」
「熱心だな。だが、自分で道筋を判断して走れるなら、彼女が命令しなくても、モルカーが自分の意志で現場まで移動することはあり得るんじゃないか?」
「それも難しいみたいですよ」
 アッシュのほっぺたをもしゃもしゃしながら、黒スーツが答える。
「昨年起こった渋滞した幹線道路での集団暴走事件や、レストランに駐車中のモルカーが大挙して店内に突っ込んだ事件など、モルカーが飼い主の意に反して暴走した例は少なくありませんが、前者は急患を乗せた救急モルカーを病院へ送るため、後者は車内で熱中症になりかけていた猫を救うため……と、いずれも乗車した他者の生命に関わる緊急避難的な例外でした」
 モルカーが警察や救急の現場で車両として採用されているのは、人間より数段、高度に倫理的な生物であるためだ。
「よほどのことがない限り、アッシュのように人に馴れたモルカーが飼い主を乗せた状態で自分の意志で動くことはないそうです。あのテレビ局の裏手にある病院に連れて行ったというならまだ分かりますが」
 なるほどな……と呟いて警部は唇を噛む。
 あとは考えられるとすれば、と黒スーツは前置きし、
「もしこれが結局、自殺で、被害者が死の直前に愛人のマンションに行くよう命じたのなら、あるいは……」
 その言葉に、警部は頭を掻いた。
「毒を打たれてから昏倒するまでの時間的余裕のなさを考えると、注射器が車内から発見されていないことがどうしてもネックだ。同様に夫人が犯人で、被害者が自分を殺そうとした妻を庇うためにモルカーを移動させてアリバイをつくらせた……という可能性も低いだろう」
 嬉しそうにニンジンを頬張るモルカーを見下ろし、警部は溜め息をついた。
「……生命に関わる緊急避難、か」


        4

 気づけば外はもう、宵闇の帳に閉ざされていた。
 窓に映る自分の姿が、思いのほかやつれて見えるのに驚く。
「……拍子抜けだったな」
 すべて上手く行った。あっけないほど。
 自家製のハーブティーを淹れ直して、ひとりきりのリビングで私は独り言つ。
 カフェインは心臓に良くないからと、紅茶中毒の夫のために淹れるようになったハーブティー。彼は気に入らなかったようだけど。
 その時に植物の薬効について勉強したことが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
 ――私は彼を愛していた。
 どこで歯車が狂ったのかは判らない。食事や習慣に関して、彼の病気を心配して私が言った一つ一つが、夫には攻撃や束縛に感じられたのかも知れない。結婚する時に私が彼の求めを拒否して仕事を続けたことを、ずっと不快に思っていたのかも知れない。子供を作りたくないと私が言った時に、愛想を尽かしたのかも知れない。
 あれほど私の前で笑い、私を笑わせようとしてくれた彼が、冷淡に、無表情になっていくのが辛かった。結婚した時に、忙しくても時間を作って、週末ごとにふたりで映画を観ようと約束したのに。あの手術の後から夫は「病院に行く」と言って出て行っては、遅くまで帰ってこなくなった。独りで観た『モルミッション』の最新作は、何も面白くなかった。
 それでも私は彼を愛していた。
 だからあの日、私は夫のあとをつけた。
「今日も病院で癒してもらおうね」と猫撫で声でアッシュに囁いて乗り込んだ夫を。
 あの女を乗せ、ふたりで映画館に向かった夫を。
 ……開き直った夫に「離婚しよう」と言われたあの日から、私は計画を練り始めた。
 自分の方が彼に愛されているとでも言いたいのか、私に攻撃的なアッシュになんとか懐いてもらおうと、モルカーの生態に関する本を集めていたのも役に立った。
 憎かった。私を捨ててあの女を選んだ夫も。あの女も。そして、私が夫の隣に座るのをあんなに嫌がったアッシュが、あの女を乗せて楽しそうに走っていたことも。
 あの朝、大切な話があると呼び出した夫に「人に聞かれたくないから耳を貸して」と言って車外から毒を注射した後で、私は飼い主の異変に狼狽した様子のアッシュにそっと囁いた。

「このままだと彼が死んじゃうよ。病院に連れてってあげて


        *

「……やはり『病院に行け』と命令すると、ここに来たか」
 警部は苦い表情を浮かべた。
 ふたりの刑事を乗せたアッシュは、死体の発見されたマンションの前にいた。
「アッシュは心臓に持病を抱える男の飼いモルカーだ。定期的に通っていたはずの『病院』という場所が、人の命を救ってくれる施設だと理解していただろうことは想像できる」
 「病院」や「救急車」の意味がモルカーに理解できなければ、あの集団暴走事件は起こらなかったはずだ。
 黒スーツは頷いた。「被害者は、愛人宅に行くことを周囲に冗談めかして『通院』と呼んでいた。……アッシュの前でも」
「だから夫人は、ただアッシュに言ってやれば良かった。病院に連れて行け、と。嫌っていた夫人の言葉でも生命に関わる緊急避難なら話は別だ。いや、そんな言葉すら不要だったかもしれない。車内の被害者が意識を失っていることに気づけば、アッシュは彼を助けるために、いつも通っている『病院』へと向かっただろうからな」
 黒スーツはやり切れない顔をする。
「そしてまんまと自分のアリバイを作り、愛人に容疑を向けることに成功したわけだ」
「計算、か」
 警部は溜め息をついた。
「どこまで計算していたんだろうな、彼女は」
「えっ?」
 警部は黒スーツに顔を近づけ、声を落とした。
「テレビ局のすぐ裏にも病院があっただろ。もし、アッシュが愛人のマンションに行かずにその場に留まっていたら、あるいは被害者の異変に気づいた誰かにあの病院に担ぎ込まれたかもしれない。昏倒から十五分というリミットは、その意味で充分に救命が可能な時間だ。……だが、マンションに向かってしまえば到着まで二十分。着いた時には確実に死んでいる」
「何が言いたいんですか、警部?」
 ――警部の声は暗く沈んでいた。
「あるいは夫人の目的は、アッシュの行動によって被害者を殺させることそれ自体にあったんじゃないかと思ってね。自分を飼い主の妻と認めなかった、アッシュへの復讐として」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?