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【詩】エンジュ(槐)

こどもの頃、暮らした家の入口に
一本の若々しい木が立っていた
生垣の横に、すっくと伸びて
両手を空にひろげていた

晴れた日は
ひび割れた木の幹をつかんで
足をかけてよじ登った
枝にしがみついて、空をめざした
顔を撫でるやさしい青葉が
ひんやりと、風ににおう
枝のしなりにからだをあずけ
ぶらさがって、宙を泳いだ

思い出を今日にさがして
歩く公園にエンジュはなかった
春を待つ、クスノキ、エノキ、
イチョウ、シラカシ
こどもの頃、そうしたように
幹を抱く、手のひらで

樹肌の懐かしい手ざわり
引き締まった体躯をおおう
ゴワゴワとした樹皮のぬくもり
やわらかく染みた苔のビロード

深い根の底で眠っている
見えない鼓動に
手のひらで、目をこらす
高い梢に目覚めはじめた
確かな呼吸に
二の腕で、耳をすます

息を殺し、目を閉じて
繁茂の気配を見あげている
頼りない枝の間に腰かけて
葉擦れの揺らぎを浴びながら
見おろしていたあの日の眺めが
冷えた空気に浮かんでいる

若い枝のなめらかな
傷つきやすい肌のはざまを
絶え間なく吹きぬける
あの日の風を浴びている


©2022 Hiroshi Kasumi

お読みいただき有難うございます。 よい詩が書けるよう、日々精進してまいります。