思春期ってサイズの合わない服を無理やり着させようとされる感。なんなのあれ。
25歳の頃、友達が「めちゃくちゃオススメ!」と言っていた四柱推命に行ってきた。
(後で気付いたけど、その子は「めちゃくちゃオススメ!」が口癖の子だった)
四柱推命を算出するには事前に生年月日と出生時間が必要らしい。
実家に母子手帳で調べておいてほしいと頼んでみたら、「“絶対にここに入ってるはずダンボール”を探しても探しても全然見付からない!」という返事が返ってきた。
うん。シンプルに紛失。
その事を伝えたら「臍の緒と母子手帳だけは絶対に大切に保管しておくものでしょうが!!!」と、びっくりマークがいくつあっても足りないテンションで驚いていた鑑定士の先生はお元気だろうか。幸あれ。
彼女が言うに、私の人生は7歳〜14歳がピークだったらしい。
「成績も優秀で友達も多く、活発でハツラツとした子だったでしょう?」
そう言われて思い返してみた幼き日の私は、イエスとも言えるしノーとも言える子供であった。
煮えきらない返事だけれど事実。
私の語る過去の私と、他人から見た過去の私はきっと同一人物には見えないだろう。
もし仮に一致している認識があるとすれば、それは“とことん大人に嫌われていた子供”であったという一点のみ。
“嫌われていた子供”というと語弊があるか。
“扱いにくい子供”だったというのが事実。
そりゃそうだ。
当時の私だって、私を飼いならせなくて困っていた。
いつまでもサイズの合わない服を着させようとされたまま、「そもそもなんでこの服を着なければいけないのか」という素朴な私の疑問の答えを、どの大人も与えてはくれなかった。
いやむしろ、誰も答えようとすらしてくれなかった。大人たちの返事はいつも
「そういうものだから!」
更に顔には色濃く「こいつやりづらいなー」と書いてあった。すんばらしく濃ゆく。
私がもっと賢い子であれば、汲み取ったその様子から大人に軽く絶望しながらも柔軟に判断しただろう。
自らの人生を自分で切り拓いていく為に、いつかのその日に備えるように、勉強だったり世渡りだったり運動だったり音楽だったり、何かしらの表現のインプットやアウトプットに性を出してきたハズだ。
だがしかし、私は真っ直ぐだった。
無駄に、あらぬ方向に真っ直ぐだった。
人は迷う。
だからこそ、迷いがないものに惹かれる。
どんな方向性であれ“真っ直ぐで在る”私の言葉には少なからず力が宿ったけど、「アイツに嫌われると女子全員から嫌われる」と私を評した男の子はいたけれど、バッチバチに少子化世代なので小学校はずっとひとクラス。中学校も2クラス。
そんな中で“目立つ”だなんて言っても、たかが知れている。
「自分がお山の大将である」という自覚は持ち続けていた。十二分に意識していた。
だがしかし、「私なんてどうせ、、」といつも思いながらも、同時に他人から「そうだね」と一言言われてしまえば、それは私にとって「バルス」と同義!SEKAI NO OWARI!
まぁ簡単に言うと中二病。
そんな私の“あらぬ方向に真っ直ぐキャラ”が伝わりやすいエピソードは、また来週に。
前回のお話はこちら。
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