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ブルーピリオドがオススメ

マンガにドはまりしています。アニメになったと知らなくて、もっと早く知りたかった。

沼の名前は「ブルーピリオド」。夜半まで遊んでいても成績優秀、ガラのわるい友人がいることを母親にも伝えていない矢口少年。勉強も友人関係もそつなくこなす優等生。でも彼の心はどこか虚ろに魂が抜けたみたいに(ツマンナイ……。)

それなりにうまくやることの一体何が悪いんだ?と聞こえてきそうだ。彼はそれなりどころかすばらしく上手くやってる。

その虚しさの正体は、彼が彼自身を一度も表現していなかったからだった。はじめて呟いた内心(渋谷の朝は青い)が誰かに伝わった時、伝わってただ受け取られた時、矢口は虚ろな自分に気付き、変わりたいと切望し、そしてがむしゃらに走り始める。その原体験がたまたま絵だっただけで、そのときたまたま美術部にひっかかっただけで、矢口は絵の道へ転がり込む。

きっかけってなんだかこういう些細なものだと思います。彼は非常に愚直で素直でフィジカルも強ければ負けず嫌いで、そのうえ勤勉だから、短期間でぐいぐい育っていく。

以下ネタバレ有



この目まぐるしい成長は、大学で洗礼を受ける。これが非常にリアルだと感じた。私は初め~3巻までを一気に読んで、4巻あたりから密度の低下を感じ、「これ、卒業してからも続くのよ」と言われて正直がっかりした。そういう?だらだら引き延びる連載ものだったの?と。それでも手離すほどにつまらないとは思わなかったから続けて読んだ。でも読んで良かったと思った。

矢口青年は酷評に打ちのめされる。振り返れば、そんな風に言われたのはきっと初めてだったんじゃないだろうか。とりつくしまもないような、不正解だけ告げられるような。そもそも基準が何か教わっていない。美術の先生も先輩も予備校の人々も、そんな投げ出すようなことはしなかったはず。矢口青年はそもそも、コンセプトとかがあったわけではなくて、絵に魅せられただけのただの青年に過ぎない。ここへ来れば何か分かると思って教室に入ろうとしていたにすぎない。

これが絵画教室と芸術大学の差なんだと思った。矢口青年は学生ではあるが、それよりも芸術家のたまごなのだ。芸術家は果たして、自分の作品の良し悪しを誰かに教えてもらうだろうか。あるいは個性の形を教えてもらうだろうか。否、私たちは誰でも、誰かに私たち自身のことを決めてもらうことはない。評価点の中で戦うのが受験絵画、その評価そのものを撥ね付けるような存在感をもつことを求められているのが、矢口青年なのではないかと考えた。

大学は勉強しにいくところ≒勉強を教えてもらえるところ≒おさえておけば絶対に何者かになれる、と私たちは思いがちじゃないだろうか。そんなに人任せなのに「学校では本当の学びは得られない」とか言ってしまいはしてないだろうか。そんなふうに思うのは、入学する18まで、膨大なTO DO List みたいなものをやりくりして、それが学校生活みたいに思ってしまうからじゃないだろうか。同じくくりに入っていても全然違う世界だっていうことに、気がつくなら早い方がいい。なんならうまくやりくりし続ければそれなりの人生が矢口青年には待っていただろう、でもそれが味気ないってことを彼は気づいてしまっていた。うまくやりくりできない感動的でドラマチックな人生は、それは希望も熱望も絶望もあるってこと。幸せか不幸かは誰かの評価では決まらない。

ブルーピリオド。彼はたぶんこれから何度もあの青い渋谷を、はがゆかった美術室を、不器用で愛に溢れた仲間達を、ひりひりするほど純粋でシンプルだった創作意欲とともに思い出すのだと思う。そしてきっとふりかえればこの大学の日々も青いグラデーションの中にある。ずっとずっと燃えている魂の炎。

芸術作品とは自分自身でもあるのかもしれない。続きが楽しみです。早速読もう。

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