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貧乏は嫌

貧乏は嫌。貧乏は嫌。貧乏は嫌。貧乏は嫌。
NHK「雪国」を見て、奈緒がそう連ねていたことが強烈に残っています。その感想を書く。

私は岸辺露伴のドラマのファンでもあるので、芝居がかった感じにもすんなり馴染みました。原作の「雪国」の映像化かと思っていたので全然ちがうことには驚きました。はじめの方の、奈緒と高橋一生が目を交わしてなんともなく話している場面に、奇妙な緊張を感じてその危うさに息が止まるかと思った。恋愛ドラマとか、洋画の派手さとは無縁なのに、はるかに色っぽいと思った。そしてその源は、高橋一生だと思った。高橋一生は今まで「芝居の上手なひと」という印象だったけれどメチャメチャ色っぽいな!!と思った。まなざしの危うさ。何よりマッチをバサバサと消す場面と、煙を吐きながら動き回るところに、今の禁煙社会に失われてしまった陰影の色気があるにちがいないと思った。

けれど、この話の根底に流れるのは奈緒の呟きで、それは黒々と、作品世界に陰影を与えていて、色気というのはその、金が動き翻弄されていく本流の、飛沫のようなものかもしれないとも思った。

閉ざされた鄙びた田舎の閉塞感のようなものが、火まつりの抑揚のない子供の声と、火で判る無表情にあぶりだされる。

はじめは色っぽいと思った。最後は切ないと思った。

「お金がない」ことはその人の人生と無関係ではいられない。食事、衣類、娯楽全てに余裕がなくなり、お金のことで頭がいっぱいになる。心も豊かになるのは難しい。ボロは着てても心は錦なんて言葉もあるけれど、実際には貧乏の中にも貧富はあり(駒子のように)、差がある限り他者と比べる気持ちもあり、誰かと比べることで自我を保ったり、打ちのめされたりするのだ。もちろん富み栄えていても、そういう揶揄と卑屈さとは縁が切れない。(天国には天国の社会があり、地獄には地獄の社会があり、河童界には河童界の世界がある(芥川龍之介))だから島村は、そういう現実から逃げ出して、駒子の村へやってくるのだと思う。

島村にとって駒子は幻の女…。けれど駒子にとって島村がフラリとやってくるのも、汽車に揺られて帰っていくのも、現実そのもの。

駒子は幸せになれるのだろうか。「あんたも私を笑うのね!」とか言われそうだけど。人生徒労だとしても私は幸せになりたい。きっと、駒子も、島村も。

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