【創作小説】かくしごと

前作「同じこと」の続きです。


 果たして叔父は数コール後に電話を取った。いつも顔を合わせるときには、愛想笑いなのかどこか陰のある顔で笑っている彼から想像できないほど不機嫌な低い声で、俺は要件を伝えるのも忘れ、一瞬怯んでしまう。

「都会っ子は寝るのが遅いね、何時だと思ってるんだ。成人したからって夜更かしするもんじゃないよ」

 叔父は寝られるときはちゃんと寝なさいと恐ろしく真っ当なことを宣って、それから用がないなら切るよと投げ出すように言った。俺はそれを慌てて止めて、組み立てなおした虚構をつらつらと並べ立てる。我ながらそれなりに理にかなって――そもそも降ってくる死体というのが道理にかなうかと言えばそうではないのだが――、かつ淀みなく喋ることができている、と心中で自画自賛した。死体への恐怖だとか哀れみだの、微塵も感じていないことをよく喋れるものだと、他人事のように思った。

「それで、どうしたいの。置いとけばいいだろ。別に普段行くような場所じゃないんだろ」
「死体転がしたままっていうのも、なんか嫌じゃないですか。埋めてあげた方が良い気がして」
「じゃあ自分でやりなよ。俺に今から迎えに来いって言うの」

 俺寝てたんだよといつも祖母にも父にも逆らわず言われたとおりにそつなくこなしていた叔父のイメージとはかけ離れた心底面倒くさそうな物言いで、どれだけ補おうとしても、いまにも通話を切られそうだった。

 普段の抑揚のない喋り方に加えて感情の籠らない低音で囁くように言われると、得体の知れない暗がりに一方的に話しかけている気分になる。

 ただ、もうすぐ日付が変わる頃に電話を寄越された挙句、呼び出されて死体の処理を頼まれるのが、簡単に承諾できるようなことでないことは考えなくてもわかる。なにしろ普通なら見えない死体だ……と、叔父は思っているだろう。

 これが本物の死体でなければ、俺も無視する。だがこれは――先輩の死体は、いつものように消えたりしない。誰かが来れば、すぐに見つかってしまう。隠そうにも、免許も持っていない、力もない俺にどれだけのことができるかは、判り切ったことだった。

 放っておけば、先輩が死んだときに俺が一緒に居て、あろうことに、それが心霊スポットに不法侵入したせいだったこともバレてしまう。それだけは避けたい。

 それに加えて、今まで何度か死体を見たせいで、感覚が鈍っているというのもあるかも知れない。今は、埋めて隠さねばなるまいと、それしか考えられていなかった。でも、と言い訳を続けようとしたとき、遮るように叔父が言った。

「そっちまで何時間かかると思ってるの」
「三時間くらいですか」
「今何時」
「十一時半です」

 スマホ越しに深いため息が聞こえた。それから、衣擦れの音。寝なおそうとしているのかと思って、再び引き留めようとしたとき、

「待てるの」

 と吐き出すように言われた。

「来てくれるなら」

 すぐさま返すと、じゃあ住所送って待ってなさいと聞こえた瞬間に通話は切れた。

   *

 車内では、以前聞いたのと同じだろう、喧しい音の中でボーカルが騒いでいた。叔父は何も喋らない。予定通り深夜二時に到着した叔父は、俺の足元にあった先輩の死体を軽々とトランクに積んでいたブルーシートに包んでから無言で俺に助手席に乗るように合図して、すぐに車を出した。

 到着したとき、車を降りた叔父がこちらに向けた黒々とした目は怒っているのか、果ては何を考えているのか見当がつかず、頼る先を間違えたかと今更になって後悔がちらついたが、すぐにこのひとくらいしか頼れないのだと考えるのを止めた。

 しばらく走ったあとにただ黙っているのも良くないと、ありがとうございますと感謝を述べても叔父は、ん、と音楽にかき消されそうな音を出すだけで、あとはなんの反応も示さなかった。恙なく吐いた嘘だったけれども、騙している以上、嘘が明るみになれば無事では済まない。その恐怖は未だ消えずに頭を支配している。叔父がどうするかは計り知れないけれども、疑念を抱かれているなら解かなければならなかった。

「なんで来てくれたんですか」
「変なこと聞くね、お前。自分で呼んだんじゃないか」
「でも普通来ないでしょう」

 俺がそう言うと叔父は微かに鼻を鳴らして、可愛い甥っ子の頼みだからねと茶化して言う。これでは叔父が素直に来た理由がわからない。だが、このひとは本心を出すつもりもなければ、俺が何をしたって喋るつもりもないのだろうことは察しが付く。これ以上何をやっても無駄なら、早々に諦めた方が無駄な労力を使わずに済む。あとは血縁の年上だからというなんの保障にもならないものに縋るしかない。

「煙草、吸わないんですか」
「母さんに怒られるからね。まだ臭いもキツく腐り始めてないし」
「意外と律儀なんですね」
「怒られるのが面倒なだけだよ。お前とおんなじでね」

 瞬間、心臓が跳ねる。俺が、怒られるのが嫌で――そんな、子供じみたしょうもない理由で嘘を吐いているのを、叔父は知っているのだろうか。俺は公序良俗に反することが嫌いで、周囲と諍いを起こすのを良しとしないで、長いものには巻かれる主義で、ただ平穏に生きていたいだけで……そう聞こえの良いことを並べたとして、行きつく先は保身でしかない。

 ヒステリックな母に怒られる。いつでも正しくあろうとする父に見放される。周囲から奇異の目で見られる。そういう、他人から疎外されることが嫌で、己の性質を嘘で繕っている。

 怒る、というのは最も顕著に疎外感を出す感情表出の方法だ。それがどういう理由であろうと、俺に対して負の感情があるのが目に見えて分かる。

 それよりも――怒られるのが面倒、と言ってしまえば身も蓋もないが、何を言っても逆らえば納得しない母は特に、怒らせたくない。母に、他の人間に、気づかれぬうちに嘘に嘘を重ねてその通りの言動をすれば、いつか本当になって、俺は無害でなんの懸念も持たれない人間になることができた。

 だから、どうしても怒られるということは、避けたかった。

「お前、案外酔わないね。こっちに来るときいつもダメになってるのに」

 いつの間にか見慣れた大きな看板がある通りに差し掛かった。吐き気はない。先輩の車に乗ったときもそうだったのだが、これは父の車がボロで、運転が乱暴なのが良くないのだと改めて気づく。叔父の静かな運転では、こんな状況でなければ眠気に襲われていただろう。兄弟でこんなにも違うものなのかと、一人っ子である俺にはあまり検討のつかない問いが覗いた。

 五時を過ぎた空はもう明るい。これでは埋めるにしても、なにもかもが見えてしまう。叔父はともかく、祖母にはなんと言い訳するのが正しいか。俺が逡巡していると、もうすぐ家の門が見えてくるというところで叔父が助け舟を出した。

「もう夏だろ。そろそろ兄さんたちも来る時期だ。なんとなくでいいから先に来る気分になったとでも言っておいたら。俺もまたお前送る手間が省けるしね」

 深夜に呼び出したのは若気の至りでなんとかなるだろとため息交じりで言う。俺は謝りつつ、それに従うことにした。

   *

 家に着いたとき、祖母はすでに起きていて、叔父に深夜の無断外出についてちくちくと小言を言っていた。それをおとなしく聞いていたと思った叔父はふとこちらを見たかと思うと不服そうな顔をしていて、俺は流石に悪いことをしたと祖母にあやまったのだが、叔父にとってはなんの足しにもならなかったらしい。だが俺を置いて二人で屋内に入っていったあと、すぐに出てきた祖母はなんだか神妙な顔をして俺を見て、叔父はといえば、不機嫌から一転して、いつもの目的のわからない含みのある笑みを浮かべていた。

 和解が成立したのならばなにも気にすることはないのだが、堂々と庭の倉庫からシャベルを持ち出す叔父を見て、祖母も死体に関する何かしらを知っていることは見当がつき、言い訳を考えるまでもなかったのなら先刻の助け舟は母に対してそうしろということだったのかと思い至った。

 言いくるめるべきは俺の母だと気づいていたのか。それなりに猫を被るのが得意な母でも、叔父には本質が見えていたらしい。もしかすると、俺が小さいころか、その前の、父と母が出会ったころには叔父に見せていたのかもしれない。理解していて、それに対するフォローをする気があるのなら面倒にならなくていいと、俺は差し出されたシャベルを受け取る。

 そそくさとブルーシートを担ぎつつ山を登る叔父は、相変わらず細く見えるくせに体力はあるようで、シャベルしか持っていない俺よりも軽快な足取りで進んでいく。周囲が明るいために上りやすいとはいえ、俺は去年の、叔父が死体を埋めているのを見たときと同じように、また途中で息が切れてしまった。だが、今度は置いて行かれることはなく、ときたま振り返ってはあからさまに面倒そうに眉を顰めた顔で見られる。ついていきたいのはやまやまだけれども、体力がないのは今どうすることもできない。ブルーシートから覗く先輩の明るい髪を見ながら、早く登山を終わらせたい気持ちと、できるだけ山奥に埋めたい気持ちとが拮抗していた。

 叔父が立ち止まった、少し開けた場所に出た頃には、俺はもうシャベルを杖代わりに使う始末で、叔父が先輩の死体を放り投げた時点で地面にへたり込んでしまった。それを見た叔父はため息を吐き、

「体力つけなよ、つけてて損はないよ」

 こういうこともできるしねと、俺から奪い取るようにして手に取ったシャベルを地面に突き立てて言う。

「したくありません」
「性格悪いんだね」

 心底愉快そうに笑った叔父に、このひとが俺の本質に気づいているかどうかは置いて、取り繕う必要はないのではないかと、穴を掘る彼を座ったまま見た。 

「また死体が落ちてきたらどうするつもりなの」
「もうしないです」
「死体が出るたびにこんなことしてたら面倒だしね」
「じゃあなんで叔父さんは埋めるんですか」
「うん、目障りだし。臭いも気になるからね、あれなかなか取れないんだよ。丁度いい埋める場所もあるし。東京って無いよね」

 手際よく掘り進める叔父は、手を止めることなく続ける。

「まあ、そうないと思うよ、。お前がやんなきゃね。どうせ事故だろ、まあどっちでも良いけどさ」
 驚いて叔父の顔を見る。叔父はこちらを見ることもなく、一旦手を休めたかと思うとポケットから出した煙草に火をつけた。

「分かってたんですか」
「バレないとでも思ったの。嘘吐くのって案外大変なんだよ」

 言うこと聞かせたいだけのヤツには効くだろうけどねと煙を吐き出して言う。

「あとねえ、大きめの嘘は大事なところにとっておくのが良いよ。馬鹿正直に生きたってろくなことないけどさ、嘘重ねたらいつかどうにもならなくなるからね」

 自分は俺にとって無害という主張だろうか、それにしたって判断材料が少ない。これが本当の死体だということに気づいても、埋めてくれているというのは信用に値する行為なのだろうか。夏の夜、叔父が死体を埋めているのを見たときの、なんの抵抗も見せない彼の姿が脳裏を過る。この人も感覚がバグってしまっているのだろうか。死体に対して、死体を埋めることに対して。なら他の不良行為は許してくれるのだろうか。
 俺は何もわからなくなって、叔父に掴みかかった。

「アンタに何が分かるんですか」

 胸倉を掴んでも叔父はびくともしないで、それどころか咥えた煙草を俺に向けないように風下に持ち直して、いつもの笑みで俺を見ていた。

「何も知らないよ。他人だから」
「じゃあなんでこんなことするんだ」
「頼まれたからね、埋めるしかない。お前の人生なんか親でもないから知ったこっちゃないし、ケチつけるつもりもない。その代わりなんの責任も取らない。お前が選んだんだろ、これは」

 先輩の死体を足蹴にして、白い肌に映える赤い唇の隙間から八重歯を見せる。口元は笑っているくせに歪められた目は相変わらず昏いままで、俺は二の句が継げなかった。体力つけた方が良いって言ったろと俺を引きはがして、また煙草を咥えなおし、作業を続ける。

 もう俺は何もできず、立ち尽くしたままそれを眺めるだけだった。やけに楽しそうに、鼻歌交じりに穴を掘る叔父は、もはや俺の理解できるものではない。

 太陽が脳天を焼くころになると、ひと一人を埋めるには十分に思える程度の穴ができていた。見えなくなっていく先輩を見ながら、俺はいよいよ自分の選択に自信が持てなくなっていた。

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