【創作小説】還る道

前作「かくしごと」の続きです。完結。


 あれから二年が経って、何事もなく大学生活を過ごしている。無事に内定も貰って、あとは卒業に必要な単位を無事に取得するのみになった。つまり、俺が心霊スポットに不法侵入したのも、叔父が先輩を埋めたのも、咎められることなく平穏に過ごせていたということだ。相変わらず死体は降ってきたけれども、汚いものを見せられる以外実害はなく、叔父に連絡を取ったことはない。

 初夏のすでに夏らしさを呈する青空から熱を浴びせられている。肌寒かった朝の空気はどこへ行ったのやら、半袖で十分なほど熱されて、風通しの悪いリクルートスーツでは逃げ場がないせいで体力が奪われていくばかりだ。縁側に座り込むと、生ぬるい熱が伝わってくる。

「相変わらず体力ないね」

 頭上から降ってくる声は相変わらず抑揚の少ないもので、違うところとえば、いつもの派手な柄のシャツではなく黒ずくめなところだ。この場に居る人たちは、コピペしたように黒いスーツか、紋付を着ている。叔父も倣って、俺もそうだ。叔父の真っ黒な目は喪服に溶け込んで、陰に居座られると色白が際立ってさながら幽霊である。今日の主役は叔父ではないのにと、まじまじと見ると彼は首をかしげて見つめ返してきた。色の強いものよりも、こちらの方が似合っているように思う。

 仏間では葬儀の準備が着々と進んでいる。両親はもちろん、見知らぬご近所が出たり入ったりを繰り返していた。俺は倉庫から必要なものを持ってくるように命じられていたが、思った以上の重労働で――やはり俺の体力がないせいだとも思うが――一先ず頼まれたものはやったので、次を頼まれないうちに逃げて、一時の休憩と自分に言い聞かせて離れた縁側に座り込んでいた。

「アンタはなにもしなくていいんですか」

 あてつけのように言えば叔父は口角を上げて、

「俺はお前らが来る前に準備したから良いんだよ。だいたいね、こっちだとあらかた近所のひとたちがしてくれるんだ。しかも喪主は兄さんだし。俺はお役御免ってこと」

 と言いながら隣に座った。しばらく足先でつっかけを弄っていたかと思えば、喪服の黒が熱を集めるのか足を摩りながら膝を抱える。気怠げに息を吐いた叔父からは線香の匂いがした。

「ばあちゃん、この間まで元気だったって聞いたんですけど」
「そうだね。案外あっけないもんだよ、ひとが死ぬときって」

 俺もそれがいいけどさ、そうもいかなそうだよねと以前より幾分か隈のひどくなった気のする目元を三日月に細める。相変わらず、感情の読めないひとだと思った。笑っているはずなのに、腹の底に何かを押さえつけているような気がしてくる。

 サボりがバレて両親に連れ戻されるまで、他愛のない話をした。死体の話題など、掠りもしなかった。何事もなかったように、甥と叔父として――ただの離れた血縁として、距離感を図り切れないままの会話だった。

   *

 葬儀は恙なく進行し、眠気を堪えた読経に説法を乗り越え、通夜振る舞いも済むと両親は早々に部屋へ籠った。明日も早いからと振舞われた酒を何本も開けていたせいでふらついた足で向かったから、今ごろは一発殴っても浅く刺しても起きない程度には熟睡しているだろう。参列者もすでに引き払っている。俺はやけに冴えた頭をどうしたものか対処しかねて、ひとり仏間に向かった。いつもと違う環境というのは、それがいくら毎年のように来ていた場所であっても寝付けないものだ。

 仏間に繋がる襖を開けると、寝ずの番をしているはずの叔父の姿はそこにはなかった。つけたばかりであろう長さの残っている線香から延びる細い筋がゆらゆらと彷徨っているだけだ。俺は叔父を探して縁側に出る。必要以上に家を歩いたのはいつぶりだろうか。子どものころに探検だと言って方々見て回った記憶はあるが、いまだにどこがなんのための部屋なのか全ては把握しきれていなかった。

 電気をつけるわけにもいかないので、月明かりを頼りに進む。それなりに権力のある家だったとは聞いたが、納得できるほどの広さがある。今では草木がいくらか生えているだけの庭も、昔は庭師を入れるほど賑わっていたらしい。いつだったか、玄関の隣に植わっている椿は祖母のお気に入りなんだと教えられた記憶がある。世話をしていたのは叔父なのだろうかと、綺麗に整えられた庭木を見て考える。叔父にもお気に入りがあるのだろうか。メッセージアプリのアイコンになっている花を思い出し、辺りを見回してもそれらしい花はない。

 角を曲がったところで、先に叔父が佇んでいるのが見えた。縁側に胡坐をかいて、煙草をふかしている。叔父が吐き出すたびに、広がる紫煙が夜闇に溶けていった。俺に気づいたらしい叔父は視線だけこちらに寄越したが、それも一瞬だけですぐに逸らしてしまう。

「こんなところで吸っていいんですか」
「うん、もう怒るひといないしね。この家も俺が貰うことになってるからどこで吸おうと俺の勝手」

 ひらひらと煙草を挟んだ長い指を振った叔父が背にしている部屋は殺風景で、整頓された本棚と箪笥に、机の上にパソコンが置かれているのが目につく程度で、あとはなにもない。

「この部屋入ったことないです」
「だろうね、俺の部屋だから。入らせたことないもの」

 兄さんも散らかすから入れないよと煙を吐き出すついでか溜息交じりかで言って、叔父は長い足を放り出すように組み替えた。俺はその隣に腰かける。叔父は緩めていたネクタイを解いて、その場に投げた。

「ばあちゃんどこに埋めるんですか」
「ん、あっちの山にある寺だよ。行ったことあるだろ」

 叔父は緩やかに腕を持ち上げたかと思うと指を裏山とは逆の方向へ向ける。

「あんま覚えてないかもしれないけど。兄さんたち墓参りサボるからな」

 ついでにさっきの坊さんはそこのひとだし兄さんの同級生だよと付け足す。

「こっちに埋めないんですね」

 俺が裏山を見ると叔父は嘲るように笑って、

「だって落ちてないじゃないか、寧ろ母さんだったら浄土に行けるよ。……どうせなら、来迎でも見られれば良かったんだけどね」
「あのパレードみたいなやつですか」
「風情の無いこと言うな。まあ合ってるっちゃ合ってるけどさ」

 叔父は喉を鳴らして笑う。それからこちらをじっと見て、

「落ちたってね、お前みたいに隠さ埋めないよ」

 死んだらちゃんと焼いて墓に納めるんだよと諭すように言う叔父に瞬間的に怒りが湧いて、俺は咄嗟に畳の上に黒い蛇のようにとぐろを巻いて置かれていたネクタイを掴み、叔父の首に絡めて押し倒す。先輩を埋めたときのように押し止められるはなく、叔父はおとなしく倒れた。鈍い音と共にしたたかに頭を打ったらしく、僅かに顔を歪める。だがそれ以上抵抗しようとしない叔父にまた腹が立って、俺は馬乗りになってそのままネクタイを強く引いた。

 叔父の喉からう、だかぐ、だか判別のつかない音が漏れる。ほくろのある口元が唇を嚙んでいるせいで歪んだ。うっすらと笑っているように見えたのは、気のせいか。俺はそれでも力を緩めないで、叔父の首を絞め続けた。

 ひとの首を絞めるのは、相応の技術と筋力が必要らしい。どこかに躊躇いがあったせいかも知れない。本気で殺そうとは思っていなかったとも思う。俺の力では完全に絞まっていないようで、叔父は苦しむ素振りは見せつつも気を失う気配はなかった。しばらくそうしているうちに、突然気が抜けた俺は叔父を解放した。

 咳き込んで起き上がる叔父を、ぼんやり見ていた。自分が何をしたのかはよくわかっている筈なのに、現実感がない。手に食い込んだ爪とネクタイの感触はいまだに残っているが、錯覚で見えた幽霊に塩を撒いたような虚無感だけがあった。叔父は辛うじて手にあった煙草を庭に向かって放り投げる。赤い光が弧を描いて地面に落ちた。

「危ないだろ、木造だから燃えたらお釈迦だよ」

 俺は叔父の顔を見られないでいた。叔父は出し抜けに俺の胸倉を掴んで引き寄せ、無理矢理顔を上げさせる。

「やるんだったら一思いにやれよ」

 今度は欠片も笑っていない。怒ってもいない。煙草の淀んだ匂いに包まれ、月影よりも深い黒に見つめられて、俺は何を返すこともできなかった。呼吸がままならなかったからか濡れた眼球の、表面だけが前髪の隙間から入る月明かりを反射している。叔父は意気地なしと吐き捨てるように言ってから俺を突き放した。

「眠れないんだったら線香の番しな、暇つぶしにはなるよ。若いんだから一晩寝なくたって平気だろ」

 立ち上がった叔父の後ろを慌ててついていく。仏間と続く部屋で、叔父も俺も何を話すわけでもなく、ただ叔父がやけに眩しい月明かりの下でページを捲る音があるだけだ。月のせいで一層白く見える首に、うっすらと纏わりつく赤がこびりついて離れない。

   *

 目覚めは最悪だった。畳の上でいつの間にか寝ていたらしく、体の節々が痛んだ。おまけに起こされ方というのが、頬を抓られ頭を小突かれてだったので、普通に呼んで起こしてくれればいいものをと叔父を見れば昨日の無表情はなく、馴染みの愛想笑いよりも意地の悪さを湛えた顔で八重歯を見せて笑う彼に昨日の仕返しだよと言われると目を逸らすしかなかった。

 焼骨を持った叔父の後ろ姿を追っていると、どこか心許なさを感じる。それは背丈の割に細身だからか、昨日の――あの、どこか縋るような目を見たからか。

 仕事があるからとあとを叔父に丸投げした両親に連れられて車に乗り込むまでの間も、叔父は必要以上に喋らなかった。昨日は眠らなかったのだろう、さらにひどくなった隈で縁取られた目は虚ろだ。叔父に挨拶をしようと車の窓を開けると、彼はおもむろに近づいてきて、

「気が向いたらおいでよ。駅までなら迎えに行ってやるから」

 とだけ言う。俺ははいと短い返事をして、父がいつの間に仲良くなったんだと笑うのを遠くで聞いた。

 バックミラー越しに見える叔父は手を振るでもなくこちらを向いて突っ立っていて、車のスピードが上がるにつれて見えなくなっていく。

 俺は何か不安が過って、もうしばらく関わる予定のないはずの叔父に会う口実を必死になって探した。

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