春日権現験記絵 序

春日大明神は輝く満月の如来であるが、成仏へのたゆまぬ求道の光を包み隠し、求道を続ける菩薩となり、本来の姿を隠している。ひたすらに、この国を守る神としていつもこの国をとりかこむ四つの海の安寧をおまもりくださっている。天津彦天皇が初めて高天原におりたった時、邪悪な神がさまたげなさったので、天から宝剣を投げ、邪神を誅殺なされた。

大汝命と事代主命が、天照大神を危うい状況に落とし入れなさったのであるが、経津主命と武甕槌命を追討の使いとして送られ、大汝命と事代主命はその国を去る時、経津主命と武甕槌命に国を治める矛をさしあげた。

天照大神が天岩戸にお隠れなさった時には、岩戸をおしひらいて、この国の闇を照らし、全ての民の憂いを平穏になさった。

その後、天照大神と児屋根尊の繋がりは深く、伊勢大新が春日大社の第四殿に姿をあらわされになっている。

このようなことがあり、伊勢神宮の五十鈴川の流れは、悠久の秋の景色を映しながら、今にいたる天皇家95代の位も穏やかであり、三笠山から吹く山おろしも永遠であると言われ、摂関家への人民に対する信頼も厚い。

もとを尋ねると、昔、この国では、悪鬼邪神が始終あばれまわり、都も田舎も心落ち着くことがなかったので、武甕槌命がこの事態を愁い、陸奥の国にある塩竈浦に下向なさった。邪神たちは、武甕槌命の霊威をおそれになり、逃げるものもいれば、お従いになるものもいた。その後、常陸国の社から鹿島にお移りなさった。最終的には、神護景雲二年(768)春、法相宗を擁護するために、三笠山におうつりなさって、例えようもない麗しい春の桜とお戯れになり、言い尽くしようもない秋の月を詩歌にし愛でなさる。「この国には、山野は多いけれども、月の光の素晴らしいことは三笠の山に並ぶものはない。桜の麗しさも春日野に勝る所はない。この花や月を愛でましょうぞ。」と経津主命と児屋根尊の神々に申し上げなさったので、同じ年の冬、両神々も春日の地にお越しになってから、霊験あらたかであり、ご利益もあらたかである。そういうことであるので、いにしえから今日に至るまで、春日大明神の霊験が表れ、目にすることができるお話を、出来事の起こった順番は正しく並べることはしないが、絵にして表して人々の心を励まそうと思う。

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