少女とクマとの哲学的対話「『時間=命』と仕事」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
春日東風……noteを利用している物書き。

春日東風「以前に、【『時間=命』と作品の有料化】、というタイトルで、お話ししたことを覚えていますか?」
アイチ「そんな話したっけ?」
春日東風「…………」
クマ「ボクは覚えているよ」
春日東風「その話と関連があるのですが、今日は、『時間=命』という考え方と仕事についてお話ししてみたいのですが」
アイチ「あんまり興味が湧かなそうな話題だなあ」
クマ「まあ、そう言わず、聞いてみようよ、アイチ。キミもこれから社会に出れば、なにがしかの仕事をしなければいけないわけだから、もしかしたら、そのとき役に立つかもしれないよ」
春日東風「よく、こんな風に言われますね。『仕事というのは時間を売ってそれをお金に換えることだ。時間というのは命であり、つまり、仕事をすることにおいて、人は命とお金を交換しているのだ。この交換をできる限り効率化することが、命を大切にするということであり、もっと言えば、このような交換をせずに済むようにすることが大事だ』と」
クマ「うん、まあ、そんなことがよく言われているよね」
アイチ「別に間違った筋じゃないと思うけどなあ」
春日東風「こういう考え方には、一つ欠けている視点があるんです。そうして、それこそが、人生を考えるときに決定的に重要な視点なんですよ」
アイチ「なんなのそれ?」
春日東風「そんな風にして、単位時間当たりの仕事の効率を上げたり、まったく仕事をせずに暮らせるようになったとしても、それでも、人は死ぬということです」
アイチ「でもさあ、人は死ぬっていうことが分かっているからこそ、残りの人生の時間をできる限り大切にしたいと思って、『時間=命』っていう考え方を取っているんじゃないの?」
春日東風「人生の時間を大切にするということは、具体的に言うと、どういうことでしょうか?」
アイチ「どうって……そんなこと考えたことないなあ」
クマ「それは、人生の意味について考えることだろうね。なんやかや、がんばったりがんばらなかったりしているこの人生の根本の意味について考えるということが、人生の時間を大切にするっていうそのことだろう」
春日東風「その通りです。いくら仕事の効率を上げたり、仕事をせずにお金を稼げるようになったりしても、そうして自由になった時間を、さらなる仕事やただ享楽のために使っていたのでは、それこそ命の無駄遣いではないですか。この点についての意識が、上のような仕事論には完全に欠けているのです。ただ時間を作ることが重要だという考えは、ただ生きることが重要だという考えと何も変わりません」
クマ「そもそも人生の意味について先に知っていないと、人生の時間が大切だなんてことも、本当は言えないことになるよね」
アイチ「あのさあ、二人が言っていることとは全然違うことかもしれないんだけどさ、わたしは働いたことがないからさ実際に働いてみないと本当のところは分からないんだけど、働いている時間も、好きなことをしている時間も、同じように過ぎ去るわけだから、だったら、どっちの時間も同じように大切なんじゃないかな」
クマ「ボクはそのアイチの感覚は正しいと思う。働いている時間は価値が低く、好きなことをしている時間は価値が高いなんてことはないんだ。どちらも同じ、過ぎ去って還らない時間なんだからね。どうして、みんなそういう感覚を持たないかっていうとね、時間というものを切り売りできるようなものだと思っているからなんだ。そして、どうせ売るなら高く売りたいと思っているからなんだな」
春日東風「浅ましいことだと思います。いえ、もちろん、わたしは、単位時間あたりいくらという単純労働を称揚しているわけではありません。しかし、人生の時間、すなわち命をできるだけ高くお金に換えたい、それだけでいいという考え方にはちょっとついていけないところがありますね。そうやって、ただ命をお金に換えることに一体どんな意味があるのでしょう」
クマ「一生懸命そんなことをしていても、人はいずれ死ぬ。いや、いずれのことじゃないかもしれない。だったら、そんなことをする前に、まず、人生の意味について考えてみるべきだろうね」
アイチ「生活に余裕が無いと、そういうことも考えられないんじゃないの?」
春日東風「しかし、何のための余裕のある生活なのか、ということが問題なのですから、話はやはり逆なのではないでしょうか」

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