少女とクマとの哲学的対話「語らずに想う、語らずに考える」
〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
クマ「何読んでるの?」
アイチ「『蜻蛉日記《かげろうにっき》』だよ」
クマ「蜻蛉日記か。藤原道綱の母という平安時代の才女が、夫である藤原兼家との結婚生活を書いたものだね。面白い?」
アイチ「面白いよ。兼家さんが浮気ばっかりして、それを作者が嘆いているんだけど、平安時代の貴族だから、その嘆き方も風情があるんだよね」
クマ「嘆き方に風情があるか。まあ、嫌み一つ言うのでも、和歌を詠んでやるわけだからね」
アイチ「内容も面白いんだけどね、これを書いているとき、作者はどういう気持ちだったのかなって、それを想像するのが面白いの。蜻蛉日記って、普通の日記みたいにリアルタイムに書かれたものじゃなくて、晩年に、それまでの日々を振り返って書かれたものなんだって。これを書いているときさ、作者は、ただ昔をなつかしむ気持ちで書いたのか、それとも、どうしても夫のことが許せなくて恨みの気持ちで書いたのか、そういうことを想像しているとね、古文の向こうに作者が見えるような気がしてさ」
クマ「文章を書くことそれ自体は冷静な意識が無いとできないけど、書こうとするその思いは冷静である必要は無いからね。いや、むしろ情熱的である場合が多いんじゃないかな。どうしても夫のことを許せなくて恨みの気持ちから書いたってことも十分に可能性があるね」
アイチ「もしもそうだったとして、書くことで、心晴れたのかなあ」
クマ「どうだろう。書くことで、心晴れたかもしれないし、あるいは、書くことで、ますます心乱れたかもしれない。文章にすることで、終わったことにすることができて、穏やかになることができたかもしれないし、逆に、文章にすることで、当時のことを鮮明に思い出すことができて、あらためて腹が立ったかもしれないね」
アイチ「ねえ、クマ。藤原道綱の母は、書いたわけだよね。でもさ、当時の貴族の女性がみんな日記を書いていたわけじゃないでしょ? 同じような境遇にあっても、書かない女性もいたわけだよね。その人たちは、どういう気持ちだったんだろう」
クマ「うん、当然、書かない女性もたくさんいただろうね。その人たちがどういう気持ちだったのか。これに関しては、書いている女性の気持ちを推し量るのでさえ難しいわけだから、いっそう難しいことになるね」
アイチ「やっぱり、悔しかったり、怒ったりしたはずだよね」
クマ「そうだろうね。でも、もしかしたら、藤原道綱の母だけが、特別で、他の女性は、夫の浮気なんて全然気にもしていなかったかもしれないね」
アイチ「どうして書かなかったんだろう」
クマ「さあねえ、単純に能力の問題かもしれないし、あるいは、その気がなかったのかもしれない。書いたからって、現実が変わるわけじゃないからね。ただ、書いていないからといって、その人の気持ちがなかったということにはならない」
アイチ「書いていないけど、想いはあった」
クマ「うん。そういう人の想いがね、実は、歴史を作ってきたんじゃないかな。ボクらは、つい書かれたものにばかり目が行きがちで、書かれてあるものがすなわち歴史だと思ってしまうけれど、そうじゃないんだ。書かれていない想いというものがあって、しかも、書かれていないものの方が、書かれているものよりも多いのであれば、そういう書かれない想いこそが、世界を動かしてきたんだって、言えるんじゃないかな」
アイチ「沈黙の歴史だね?」
クマ「そうさ、語られない想い、語られない考え、こういうものにボクらは、もっと思いを致さなければいけない。語られた現実は、現実全体の一部に過ぎない。語られていない現実を見るとき、ボクらは初めて現実全体を見ることができる。ところで、じゃあ、どうやって、語られていない現実を見ればいいのかって、もちろん、沈黙することによってだよ」
アイチ「自分も沈黙することで、同じように沈黙している人の想いや考えを知ることができるんだね?」
クマ「うん。今の人は語りすぎるよ。むやみと語ることがいいことだと思っている。語ることで、現実が変わると思っているんだね。どっこい、そんなことにはならないんだ。語ることなんかで変わりようが無いもの、それを現実と呼んでいるんだからね。みんな、たまには沈黙して、現実のゆるぎなさを感じた方がいいと思うね」
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