お嬢様とヒツジとの哲学的口論「体罰はやっぱりダメでしょ!」
〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。
マイ「聞いてよ、ヒツジ。東京の町田市の高校で起こった暴力事件を受けてさ、今日、先生への態度とか、SNSの使い方とかを、みっちり2時間にわたって指導されることになったんだよ。指導って言うかさ、ほとんど説教でさ。なんで、あの事件で、関係の無いわたしたちがこんなに怒られなくちゃいけないの? それこそ、その風景を動画で撮影してやりたかったよ!」
ヒツジ「お前たちがああいう連中の予備軍だと思われているってことだろ」
マイ「腹立つ! あんなことするわけないじゃん!」
ヒツジ「お前の中学校って生徒は何人くらいいるんだ?」
マイ「一学年200人くらいだから、まあ、600人くらいじゃないの」
ヒツジ「600人も生徒がいたら、ああいうことを考えるヤツが2,3人いたって、おかしくないだろ。だから、学校側も早めに手を打ったってことだ。実際、今回の件に関しては、全国の教師たちは戦々恐々としているだろうな。明日は我が身だと思ったんじゃないか?」
マイ「ちょっと待ってよ。あんなことするのは、ほんの一握り……っていうか、普通あんなこと考えないって。先生を挑発してわざと殴らせて、SNSにあげようなんてさ」
ヒツジ「問題は現に生徒が考えるかどうかってことじゃなくて、SNSっていう技術があれば、それが可能だっていうそのことだな。実際に考えるかどうかじゃなくて、考えることができる、簡単に実行することができるっていうことが恐怖じゃないか。そもそも、お前らのような中高生なんていうのは、まだ人というよりは多分にサルに近い存在だからな。何をするか分かったもんじゃない。教師も教師で大変なんだ」
マイ「誰がサルよ! わたしたちは、もうちゃんと言葉が通じる、先生と同じ人間だよ。話せば分かるし!」
ヒツジ「話せば分かる? じゃあ、お前は、あんな、教師を挑発してSNSに動画をあげるなんていうヤツとも話せば分かると、本当にそう思っているのか?」
マイ「それは……まあ、あの子たちとは無理かもしれないけど」
ヒツジ「教師から見れば、あいつらもお前らも変わらないってことだ」
マイ「なによ、それって、わたしたちのことを個人として見ていないってこと!?」
ヒツジ「お前、確か、この前、学校のボランティア活動の一環として、幼稚園に園児の面倒を見にいったよな」
マイ「それが何よ?」
ヒツジ「そのとき、お前は、関わった園児一人一人を、個人として尊重したか?」
マイ「それは……だって……幼稚園児はまだ子どもじゃん」
ヒツジ「だから、教師からすれば、お前たちも同じようにまだ子どもなんだよ。子どもが悪いことや危ないことをしたらどうする? 子どもがストーブに手を近づけようとしたら? 決まっている。それはしてはいけないことだと教えるために、思い切りその手を打ちすえてやるんだ」
マイ「今回のあの先生の体罰はそれに当たるってこと? 挑発した子が殴られたことは自業自得だと思うけど、でも、それでも体罰はダメでしょ?」
ヒツジ「確かにな、体罰、つまり、暴力は許されない。暴力は悪だ。これは間違いない。ただ、問題はそんなことじゃない。なぜ、悪であるのにも関わらず、暴力が振るわれたのか、それが本当の問題なんだ」
マイ「……どういうこと?」
ヒツジ「今回のあの教師の暴行に関しては、賛成意見と反対意見がある。しかし、賛成意見を言うヤツは、暴力が悪であるという認識が足りないアホだし、反対意見を言うヤツは、暴力が悪だという当たり前のことをただ言うだけで何かを言った気になっているバカだ。問題は、当否を明らかにすることなんかではなく、暴力が悪であるにも関わらず、なぜ現にそれが行われたのかというところにある。そうでなければ、同じ問題を防ぐことはできない道理じゃないか」
マイ「なぜ行われたかって……先生が挑発されてキレただけじゃないの?」
ヒツジ「教師が挑発されてキレたから暴行が為されたとすれば、今後、このような暴行が為されないためには、教師は生徒から挑発されてもキレないようにする必要があることになる。これは可能かどうか」
マイ「……無理っぽいね。先生だって人間なんだし。挑発されたら、キレることもあるよね」
ヒツジ「あるいは、そもそも教師に対して挑発行為をしないような人格を、生徒において育てる必要がある」
マイ「……うーん……それも、どうなのかな。そういう風にしようとしても、やっぱり、教師を挑発するような生徒っていうのは、出てくるんじゃないの?」
ヒツジ「だとしたら、この件は解決が不可能ということになる。挑発する生徒がいて、挑発に乗った教師がいて、両者をどうにもできないのだとしたら、今後も同様の事件は起こるだろう。そうして、不可避的にそのようなことが起こるとしたら、それは自然現象と同じことで、そもそも問題ではないとも言える」
マイ「何言ってんの!? 体罰はやっぱり問題でしょ! だってさ、もしもだよ、今回だって、先生が暴力を振るったことで、振るわれた生徒が一生治らないような怪我を負ったらどうするの!?」
ヒツジ「どうするも何も、その教師が責任を取ることになるだろうな。都立の高校ってことだから、都も一緒に責任を負うことになるな」
マイ「責任を取るって……お金で解決できないような怪我だったら、どうするの!?」
ヒツジ「責任を取るってことは、近代社会においては、金で埋め合わせるということでしかない。少し話がずれてきているようだが、体罰それ自体が許されるかどうかという話と、今回のような挑発行為があったときでも体罰無しで済ますことができるかどうかという話は、区別しておくべきだ」
マイ「だから、挑発行為があったとしても、やっぱり体罰は良くないって言ってるの」
ヒツジ「しかし、お前は、挑発行為があったときに、教師も人間だから、それに乗ってしまうことがあることを認めただろう」
マイ「それは……そうだけど……でも、許されることじゃないでしょ?」
ヒツジ「あの教師が許されると思ってやったかどうか、それは本人に聞いてみないと分からないが、いやしくも人を教える身であれば、暴力が許されないことくらいは分かっているだろう。それが分かっていてやったのだとしたら、事は許されるかどうかなんていう話じゃないんだ。社会的に許されなかったとしても、彼が個人的に許したんだろう」
マイ「…………わたしが、先生に高望みしすぎてるのかな。体罰がどうこうってことよりもさ、生徒の挑発行為に対しても、毅然とした対応をしてほしいって、そう思っているのかも」
ヒツジ「前にも同じことを言ったかもしれないが、教師というのは、別に人格に優れていないとなれないというわけじゃないからな。そこまで求めるのはやはり酷だろう。一つ現実的な対策としては、監視カメラの導入だろうな。生徒の言動の一部始終をチェックするわけだ。そうすれば、今回のようなことが起こったときも、あとから監視カメラの映像をチェックしてもらえることを期待して、冷静を保てるかもしれない」
マイ「そんなの最悪じゃん!」
ヒツジ「生徒が動画を撮っているのに、学校がそれをしてはいけないというんじゃフェアじゃないだろう。まあ、学校に監視カメラを入れることに関しては、予算の問題や、当然に生徒のプライバシーの問題もあるし、教員自体にも反対する声が大きいようだから、なかなか進まないらしいけどな」
マイ「よかった」
ヒツジ「本当にいいことなのかどうかな。学校というのは、他の空間にもまして閉鎖的な空間なんだ。中で何が為されているか、外からはほとんど分からない。今回の事件なんていうのも、こうして明らかになった分、まだマシだと言える。明らかにならない事件が、学校内ではいくらでもあるんじゃないか?」
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