時間は未来から過去へと流れる!?

時間は、過去から未来ではなく、未来から過去へと流れている!

……と言われて、「え、何言ってんの?」て思う方もいれば、近頃、ちょこちょこ聞く話なので、「あ、なるほど、あの話ね」と思う方もいるかもしれない。

過去の積み重ねが今を作っていて、それが未来を形作る、という考え方が従来の時間に関するものだったのだけれど、どうもそれは違うのではないか、未来に対するイメージが先にあって、そのために今が存在するし、それによって、過去が変わってくるのではないか、というようなお話である。

たとえば、過去に「いじめ」を受けた、それによって今、「引きこもり」になっていて、こんな状態じゃこれからの未来、「お先真っ暗」という人がいたとする。

過去「いじめられた」→今「引きこもり」→未来「絶望」

という具合。

しかし、この考え方を全くやめて、まずは未来へと目を向けることにする。これからなりたい自分、未来でしたいことをイメージする。たとえば、未来において、「外向的になって、世界一周旅行をしたい」ということをイメージしたとする。

そうすると、今「引きこもっている」のは、世界一周旅行の準備をするためということになって、この引きこもっている状態を利用してがっつり勉強したり、資金を集めるためにネットビジネスをしたりするためにあることになる。過去の「いじめ」も今「引きこもっている」状態を作るためのもので、それは結局は、世界一周旅行をするための準備をするためにあったんだということになる。

つまり、こんな感じである。

未来「世界一周旅行をする」→今「引きこもっている」→過去「引きこもり状態を作るためにいじめられた」

この考え、どうだろうか。なかなか面白い。過去があったから今があってそれが未来を決めると考えると、もう過去を変えることはできないわけで、ほぼ自動的に未来が決まってしまうような感じになる。対して、未来のイメージを先にすれば、現在の意味づけも、さらには過去の意味づけも変わってくるわけで、より自由な感じがする。

しかし、これは本当なのだろうか。

すぐに出てくる疑問として、仮にそうだとした場合に、未来に抱くイメージというのはどこから現われたのだろうか、というものがある。具体例の引きこもりの彼もしくは彼女は、どうして、「世界一周旅行をしたい」と思ったのか? 何の脈絡もなくいきなり、「そうだ、京都に行こう!」みたいなノリで、「世界一周旅行に行こう!」なんてことにはならないだろう。必ず、それは現在や過去との関連性の中で抱いた欲求のはずである。たとえば、今「引きこもり」だから、「広い世界を見てみたい、よし、どうせなら、世界一周旅行に行こう!」とか、あるいは、過去に世界一周旅行のテレビ番組なんかを見て興味を持ったとか。

とすれば、未来に抱くイメージというのは、現在や過去に原因があるわけだから。

今「引きこもっている」→未来「世界一周旅行をする」→今「引きこもっている」→過去「引きこもり状態を作るためにいじめられた」

ということになって、時間が循環する(?)ことにならないか。

現在なりたい自分を未来に投影するとしても、そのなりたい自分自体が、現在や過去の影響を受けていると考えざるを得ないとすると、結局は、現在や過去が未来を作ることと同じ事になるような気がする。

「過去」と「今」という言い方自体に、過去が先にあって、今が後にあるという形式は崩せないのではないか。そのことと、過去の積み重ねによって今が全て決まってしまう、ということは別のことである。いじめは引きこもりの原因かもしれないが、引きこもり続ける原因にはならない。彼もしくは彼女には、引きこもりをやめる自由がある。今の行動で未来が変わる。そう言えばいいだけのような気がする。

時間が未来から過去へと流れるという言い方は、今、行動する意志を引き起こすための方便に過ぎないのではないだろうか。そうだとすると、面白かった話も大した面白味もなくなるが、さて。

読んでくださってありがとう。もしもこの記事に何かしら感じることがあったら、それをご自分でさらに突きつめてみてください。きっと新しい世界が開けるはずです。いただいたサポートはありがたく頂戴します。