お嬢様とヒツジとの哲学的口論「元号って意味あるの?」
〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。
マイ「次の元号が『令和』に決まったけどさ、そもそも、この元号っていうのは、存在する意味あんの?」
ヒツジ「存在する意味は、どの天皇の世かを示すっていうことだろう」
マイ「いや、だからさ、そのどの天皇の世かを示すことにどんな意味があるのよ。昔だったらともかくとしてさ、天皇って、日本の象徴なんでしょ。そんな象徴に過ぎない人の世を示すことなんかに何の意味も無いじゃん。元号なんて別になくたっていいんじゃないの?」
ヒツジ「なくたっていい、か」
マイ「そうでしょ?」
ヒツジ「なくたっていいってことと、だから、なくそうっていうことは同じことじゃない」
マイ「同じことでしょ」
ヒツジ「いや、違うだろ。たとえば、お前、ペンをめちゃくちゃ持っているよな。シャープペンだけじゃなくて、蛍光ペンとかボールペンとか鉛筆とか、いろいろ。全然使っていないペンもあるだろ」
マイ「あるわよ。それがどうしたの?」
ヒツジ「その全然使っていないペンの中には、もうこれから一生使いそうもないペンもあって、もしも使わないとしたら、それはなくたっていいペンってことだ。だから、そんなもん捨てちまえってオレが言ったら、お前、どうする?」
マイ「それは…………分かったわ、認める。なくたっていいっていうくらいじゃ、なくしちゃえってことにはならないってことね。じゃあ、意見を変えるけどさ、元号っていうのは『なくたっていい』っていうものじゃなくて、『なくした方がいい』ものだと思う」
ヒツジ「どうして?」
マイ「過去のことを考えるときに、不便だから。平成くらいだったらまあ分かるけど、昭和○年とか言われてもさ、いったい、それが今から何年前なのかすぐには分かんないでしょ。もしも、元号しか無いって言うなら仕方ないけどさ、西暦があるんだから、もう西暦でいけばいいじゃん」
ヒツジ「そう言えば、元号制定の差し止めを求める訴訟が、東京地裁に起こされたらしいな」
マイ「やっぱり同じこと考える人いるんだ!」
ヒツジ「そのようだな。彼らの主張理由は中々面白いんだが、それについては置いておくとしてだ、お前は、不便だからなくした方がいいと言うわけだな」
マイ「そうよ。不便なものは無い方がいいじゃん」
ヒツジ「お前、箸とフォーク、どっちが便利だと思う?」
マイ「え、なに?」
ヒツジ「箸とフォークだ。ものを食べるとき、どっちが便利だと思う?」
マイ「どっちって……それは、まあ箸かな」
ヒツジ「フォークは箸と比べると不便なんだな?」
マイ「まあね」
ヒツジ「だったら、フォークなんてなくしちまってもいいってことだな?」
マイ「そんなことにはならないでしょ」
ヒツジ「なぜ? 不便なものはなくした方がいいとお前は言ったじゃないか」
マイ「それは、だって、話が違うじゃん。そもそも、フォークっていうのは、洋食を食べるためのものなんだから」
ヒツジ「洋食という文化に付随するものだと言うんだな」
マイ「そうよ」
ヒツジ「だったら、元号だって、日本文化に付随するものなんだから、なくしちまえばいいなんていう話にはならない道理じゃないか。西暦があるんだから元号をなくせ、というのは、箸があるんだからフォークをなくせというのと、同じようなもんだ」
マイ「…………なにか、おかしい気がする。あんた、わたしのこと騙そうとしてない?」
ヒツジ「お前を騙して何の得があるんだ」
マイ「質問を変えるけど、あんた、元号肯定派なの?」
ヒツジ「肯定派でも否定派でもない。ただ、現に存在するものには、その背後に歴史というものがある。伝統と言ってもいい。伝統をしょったものは、そうそう簡単に廃止することなんかできないんだ」
マイ「その伝統が理不尽なものでも?」
ヒツジ「理不尽と言うが、伝統というものには理屈は無いんだ。あえて言えば、伝統であることがそのまま理屈なんだ」
マイ「何を言っているの?」
ヒツジ「たとえば、日本では年上の人間は敬わなくてはならないという伝統がある。これは、中国の儒教という教えから来ているらしいが、まあ、細かいことはどうでもいい。たとえば、お前は、学校で3年生の先輩に向かって、タメ口をきいたりはしないよな?」
マイ「するわけないじゃん」
ヒツジ「なぜかと言えば、年上の人間は敬わなくてはならないことになっているからだ。しかし、だ。百歩譲って、教師や親なら敬えというのも分からなくもない、お前に何かを教えたり、お前を養ってくれたりするわけだからな。しかし、3年生の先輩なんていうのは、お前よりも一歳早く生まれてきただけじゃないか。知識も経験も大して変わりない。どうして、そんなやつを敬わなければならないんだ?」
マイ「わたしも、ちょっとそう思うことはあるんだけど、まあ、決まっていることだから仕方ないかなって」
ヒツジ「それが伝統の力なんだ。ずっと続いてきたということが、今もこれからも続けるべき理由になる。伝統であることがそのまま理屈だと言ったのは、そういう意味だ」
マイ「ちょっと待ってよ、その流れで行くとさ、いったん伝統になったものはいつまでも続くことにならない? それはおかしいでしょ。現になくなった伝統だってあるんだし」
ヒツジ「まあ、そうだな。その伝統だとどうしてももう時代にそぐわないとか、あるいは、外部からの力づくの干渉があったときには、伝統は変更を余儀なくされる。たとえば、昔は中学生男子は丸坊主だったが、それは時代にそぐわないということで変わった。あるいは、戦前は天皇が現人神だったが、戦争に負けて他国の圧力によって、天皇は神ではなく人間だということになった」
マイ「そういう究極的なところまで行かないと、変わらないってこと?」
ヒツジ「そういうことだな」
マイ「じゃあ、元号はまだそういう究極的なところまで行ってないから、続くってことね?」
ヒツジ「そういうことになる」
マイ「年末の大掃除みたいにさ、もういらないからっていう感じでポイポイ捨てられれば面白いのに」
ヒツジ「年末の大掃除でポイポイ捨てられるものっていうのは、言い換えれば、その気になればいつでも手に入れられるものってことだ。伝統はそういうわけにはいかないのさ」
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