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女の子とウサとの哲学的会話「心って、どこにあるの? 3」

〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。

ウサ「もしも人間そっくりに作られたロボットがいたとして、体の中身は実は機械でできているんだけど、普通の人間と同じようにコミュニケーションが取れるし、悪口を言われたら怒るし、ケーキを食べたら『甘い』って言うとしたら、そのロボットには、心があるって言えると思う?」
サヤカ「えっ……言えないよ。だって、ロボットなんでしょう? 中身は機械なわけだから、心なんてあるわけないじゃん」
ウサ「中身が機械だってことが絶対に分からないとしたら、どう? そしたら、人間と区別がつかないわけだから、心があるように振る舞っていたら、心があるって言っていいんじゃないかな」
サヤカ「でも、本当は機械なんでしょう? 本当は機械だったら、心なんて生まれるわけないよ」
ウサ「そう? 確かに、その人間そっくりのロボットを分解してみても心なんていうものは取り出せないかもしれないけど、それは人間を解剖してみても心なんていうものは取り出せないのと同じことじゃないかな」
サヤカ「それはそうだけど……でも、やっぱり、おかしいと思う。だって、ロボットが人間そっくりに振る舞ったとしても、それってそういうプログラムを人間がセットしただけでしょ?」
ウサ「それを言ったら、人間だって、そういうプログラムを神様からセットされているだけかもしれないよ」
サヤカ「わたし、神様なんて信じてないもん」
ウサ「神様じゃなくてもいいのよ。生まれたときに、そういうプログラムがセットされたって考えてみて」
サヤカ「そんなプログラムなんてセットされていないと思う。だって、人間は自由でしょ?」
ウサ「たとえばね、サヤカちゃんは、身長が5メートルになる可能性ってあると思う?」
サヤカ「ええっ!? そんなのあるわけないよ!」
ウサ「だとしたら、人間の自由には限界があることになるよね。感情とか感覚にもそういうことが言えるでしょう? たとえば、悪口を言われたときに楽しい気分になったり、ケーキを食べたときに辛い味を感じたり、することは普通は無いよね。そういう風に、限界を定めたものをプログラムと呼ぶとしたら、どうかな」
サヤカ「うーん……」
ウサ「セットしたのが人間なのかそうじゃないのかっていう違いはあるけど、プログラムがセットされているっていう点で同じだとしたら、そのプログラムに従って、ロボットも人間も心ある振る舞いをしているわけだから、どっちにも心があるって言っていいんじゃない?」
サヤカ「でも、ロボットなのに心があるなんて、やっぱりなんかおかしい……」

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