女の子とウサとの哲学的会話「幽霊って、いるの?」

〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。

サヤカ「幽霊って、いるのかな?」
ウサ「いると思う?」
サヤカ「わたしは信じてはいないけど、でも、いるっていう人がいるからさ」
ウサ「そもそも、あるものがいるっていうのは、どういうことだろうね。どういう状態なら、『いる』って言えるんだろう」
サヤカ「見ることができたら、じゃないかなあ」
ウサ「うん、大体はそう考えていいね。でも、それを見ているのが一人だけだったら、その人の見間違いってこともあるよね」
サヤカ「じゃあ、たくさんの人がいっぺんに見ることができたら、いるって言っていいの?」
ウサ「うん、でも、それが一回だけじゃなくて、何度か起こる必要もあるね。一回くらいだったら、たくさんの人がいっぺんに見間違うこともあるかもしれないからね」
サヤカ「じゃあ、たくさんの人がいっぺんに、何度も見ることがあったら、それはもういるって言ってもいいんだね?」
ウサ「うん、でもね、もしも、その何度も見たことがあるたくさんの人たちっていうのが同じ人たちだとしたら、それはもしかしたら見間違いを起こしやすい人たちだっていう可能性もあるよね」
サヤカ「えーっと……ていうことは、たくさんの人たちがいっぺんに、何度も見る必要があって、そのたくさんの人たちっていうのは、違う人たちである必要があるのね?」
ウサ「うん、もしも、そういう例があったら、それは『いる』って言ってもいいと思うわ」
サヤカ「うーん……それでも、わたし、自分の目で見てみないと信じないと思うなあ」
ウサ「信じるっていう言葉はとても不思議な言葉ね」
サヤカ「えっ、何が不思議なの?」
ウサ「だって、たとえばね、そこに鉛筆があるでしょ? この場合、『そこに鉛筆がある』とは言っても、『そこに鉛筆があると信じる』とは言わないでしょう?」
サヤカ「うん、だって、鉛筆あるもん」
ウサ「でも、もしもね、この部屋が真っ暗で、机の上に鉛筆があるかどうか分からないときには、『そこに鉛筆があると信じる』って言うかもしれないよね?」
サヤカ「うん」
ウサ「つまりね、『あると信じる』って言うことは、『あるかどうか分からない』っていうことを言っているのと同じことになるのよ」
サヤカ「あっ、本当だ! っていうことは、『わたしは幽霊がいると信じる』って言うのは、『幽霊がいるかどうか分からない』って言っているのと同じなんだ。信じているのに、そうなのかどうか分からないなんて、変なの」
ウサ「この『信じる』っていう言葉を使うときは気をつけてね。『信じる』って言うことで、『それについては分からない』って言うことだけじゃなくて、だからそれについてはもう考えないって言うのと同じことになるときがあるからね。『幽霊がいることを信じる』って言うと、『幽霊がいるかどうかは分からないから、もうそのことについては考えない』って言うのと同じことになって、考えが止まっちゃうことになることがあるのよ」

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