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少女とクマとの哲学的対話「クラムボンの正体」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

アイチ「クマ、クラムボンって知ってる?」
クマ「知ってるよ。宮沢賢治の『やまなし』っていう童話の中で、蟹の兄弟が話題にしている存在だよね」
アイチ「そうそう」
クマ「そのクラムボンがどうかしたの?」
アイチ「今日学校でちょっと話に出たのよ。あれって一体何だったんだろうって」
クマ「ふうん。それで、どんな結論になったの?」
アイチ「色んな意見が出たんだけどね。たとえば、アメンボとか、プランクトンとか、小魚とか、光とか、泡とか……でも、結局は、解釈しちゃいけないんじゃないかってことに落ち着いたの」
クマ「解釈しちゃいけない?」
アイチ「うん。クラムボンが何なのか、様々に想像できるところにこそ価値があるんだから、何か一つに決めちゃいけないんじゃないかって」
クマ「すごいね。そんなところに落ち着くなんて、みんな、立派な教育者になれるんじゃないの。アイチも、そう思ったの?」
アイチ「わたしはね……みんなの前では言わなかったけど、クラムボンは、ただ、クラムボンなんじゃないかって思うの。クラムボンっていう存在なんじゃないかって」
クマ「ああ、ボクもそう思うね」
アイチ「じゃあ、そのクラムボンってどういうものなんだってことになるけど、クラムボンってこういうものなんだって言うことはできないと思うの。だって、語られていないんだから。かぷかぷ笑ったり、殺されたりすることくらいしかね。だから、それ以上は語らないのが正確なんじゃないかな」
クマ「それ以上語ることはウソになるからね」
アイチ「あとね、『そもそもクラムボンは蟹の言葉なんだから分かるはずがない』って言う子もいたけど、だとしたら、クラムボンが何かなんていうこと自体が問えないんじゃないかな」
クマ「その通りだね。蟹の兄弟が使っている言葉は、ボクらが使っている言葉なわけだから、クラムボンが何なのか、ボクらには理解できるはずだよ、語られていればね」
アイチ「わたしね、あることがそのものであることは分かるんだけど、そのものがなんであるかが分からないようなものっていうのが、あると思うんだ。ううん、思うっていうより、それを時々感じて、考えてるの。……まあ、考えても分からないんだけどね」
クマ「世の中の人は、なかなかそういうことに耐えられないね。分からないことに耐えられない。そうして、自分勝手な解釈をして分かった気になって、落ち着こうとする。でも、それって、とても勿体ないことじゃないかな。『クラムボンは泡だ』なんていう解釈をしてしまえば、そのとき、クラムボンの神秘は消えちゃうんだよ」
アイチ「クラムボンがクラムボンじゃなくなってしまうっていうことだね」
クマ「その通り」
アイチ「『クラムボンのことは解釈しちゃいけない』っていう意見の場合は?」
クマ「同じことさ。『色々な想像ができるから解釈しちゃいけない』っていうのだって、ただの解釈じゃないか。クラムボンはただクラムボンなだけだよ。それ以上でもそれ以下でもないというのが、正確なところさ」

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