お嬢様とヒツジとの哲学的口論「間違ってても、伝わればいいじゃん!」

〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。

マイ「あー、ムカつく! 今日、国語の授業の時にさ、作文で、『満天の星空』って書いたのを、先生が間違いだって指摘してきたんだよ! 確かに、『満天』っていうのは『空いっぱい』って意味だから、満天の星空っていうと、空いっぱいの星空ってことになって、間違いだけどさ」
ヒツジ「間違いを正してもらって、一つ利口になったんだから、別に腹を立てることもないだろう」
マイ「先生の言い方が嫌みっぽかったの! それでも、完全にわたしが間違っているなら受け入れるしかないけど、でも、満天の星空って、完全な間違いとは言えないでしょ。意味は分かるし、みんな使ってんじゃん!」
ヒツジ「意味は分かるし、みんな使っていても、間違っているものは間違っているだろ」
マイ「じゃあ、絶対、使っちゃダメだって言うの!?」
ヒツジ「オレはそんなことは言ってない。使い方が間違っているということと、それを使っていいかどうかというのは、別の問題だ」
マイ「どういうことよ? 間違っていたら、使っちゃいけないってことになるハズでしょ?」
ヒツジ「満天の星空が間違った表現だということは言葉の意味から疑い得ないことだ。これは認めるな?」
マイ「それは認めているわよ」
ヒツジ「しかし、だからといって、使ってはいけないということにはならない。満天の星空という表現が、表現規制に引っかかっているわけじゃないからな。使っても、罰せられるわけじゃない」
マイ「でも、今日みたいに、間違っているって言われて責められるじゃん」
ヒツジ「それはしょうがないだろ。事実、間違っているんだからな。ただ責められるのが嫌なら、こう言い返してやれよ。『間違っているかもしれないけど、こっちの方がよく使われているから、わたしはこちらの使い方をします』ってな」
マイ「そんなこと言ったら、余計怒られそう」
ヒツジ「満天の星空とよく似た間違いとしては、頭痛が痛い、馬から落馬する、雪辱を晴らす、などがあるな。本当の問題は、これらが間違っているなんてことじゃない。間違った言葉なのに、どうして意味を伝えることができるのかってことだな」
マイ「どういうこと?」
ヒツジ「満天の星空っていう言葉で、ある情景を思い浮かべることができる。ということは、間違った表現が、正しく状況を伝えているわけだ。それは、どうしてなのか。今度間違いを指摘されたら、そこんところを質問してみたらどうだ? 『ある表現が間違っているのに意味が通じるとしたら、それは正しいって言えるんじゃないですか?』って」
マイ「さらに怒られそう……でも、確かに、そう言われると、ちょっと変だよね。間違った言葉なのに、どうして意味は伝わるんだろう」
ヒツジ「一つにはそれほど間違っていないからということがあるだろうな。『満天の星』と『満天の星空』じゃ、『空』って言葉があるかないかの違いだけだからな。それと、また一つには、お前や世間が、『満天の星』という正しい使い方を知らず、『満天の星空』という間違った使い方しか知らないからだろう。『満天の星空』しか知らないなら、空いっぱいに星が広がっている様子を、そう表現するしかないし、そう受け取るしかない」
マイ「そのうち、『満天の星空』の方が正しくなるっていう可能性もあるでしょ? みんな使っているんだからさ」
ヒツジ「たんに多くの人がそう使っているっていうだけじゃ、ある表現の正しさはびくともしない。多くの人が、現に『満天の星空』と使っていても、それは、どこまで行っても、間違った使い方であって、正しい使い方にはならない。『満天の星空』が正しい使い方になるのは、『満天の星』という使い方を全くしなくなったときだな」
マイ「そんなことあるの?」
ヒツジ「『負けず嫌い』という言葉があるだろ。これは、元々は『負け嫌い』という言葉だったらしい。よくよく考えてみると、『負けず嫌い』っていうのは、おかしな表現だよな。これじゃあ、負けないのが嫌い、つまり、勝つのが嫌いってことになっちまう。その意味では、間違った使い方だ。しかし、今は、負けるのが嫌いという意味で、『負けず嫌い』を使うことはあっても、『負け嫌い』を使うことはないだろう。こういうときに、誤用が正しくなったと言うことができるんだ」

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