少女とクマとの哲学的対話「人を叩く時はまず自分をかえりみよ」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
カスガ……アイチのクラスメートの男子。

カスガ「南青山に児童相談所が建設される問題に関して、ワイドショーで、『児童相談所が自分の家の近くに来たら引っ越す』という趣旨の発言をした女性の芸人がいたんだけど、本当に不見識極まりないことだ! こういうくだらない意見を電波で垂れ流すことは罪悪だとさえ思う! きみはどう思う、アイチ?」
アイチ「……自分の意見をわたしの前で垂れ流すことをどうして罪悪だって思わないんだろう……」
カスガ「何か言ったかい?」
アイチ「ううん、別に……それで何? その発言の何が問題なの?」
カスガ「何って、いいかい? 児童相談所っていうのは、問題の抱えた児童のケアに当たるための施設で、重要なものなんだよ。それを、まるで、よろしくないもののように言っているから問題なんじゃないか」
アイチ「児童相談所が実際にどうであっても、その女性がそれをどう感じているかとはまた別の話なんじゃないの?」
カスガ「それが不見識だっていうことなんだよ。彼女は、児童相談所をまるで不良少年の更生施設みたいに考えているみたいなんだ。そこに通う子が、児童相談所付近で悪さをするかもしれないというようなことまで言っているんだからね」
アイチ「だったら、そう教えてあげればいいんじゃないの。あなたの考えていることは、実際とは違っていますよって」
カスガ「いやしくもね、人前で発言をするなら、そんなことはあらかじめ自分で調べておくべきなんだよ」
アイチ「そんなこと言ったって、知らないものはしょうがないんじゃないの? いくらワイドショーに出ているからって言ったって、そこで取り扱われる全ての問題について知識があるわけじゃないだろうから」
カスガ「仮に知識が無いことについて黙認するとしよう。そうして、仮に彼女が考えているとおり、児童相談所が不良少年の更生施設で、それがあると治安が悪くなる可能性があるとしよう。でも、だからと言って、その必要性が認められる限りは、それをおとしめるような発言はつつしむべきじゃないか」
アイチ「うーん……そうかなあ。それって、そんなに悪いことかなあ。必要性が認められても、それが嫌だっていうことは割と普通にあると思うけどなあ」
カスガ「たとえば、なんだい?」
アイチ「たとえば、ゴミ処理施設とか。ゴミ処理施設の必要性は認められても、自分の住むところの近くに来られるのは誰だって嫌なものじゃない?」
カスガ「きみは、児童相談所とゴミ処理施設が同じだって言うのか!?」
アイチ「そんなことは言ってないよ。今言っているのは、必要性が認められても、だからと言って、自分のすぐ近くにあってほしくないと思うものの話をしているんだから」
カスガ「むむ……しかしね、児童相談所に通う子どもの気持ちを考えたら、やっぱり、ああいう発言はできないはずだろう!」
アイチ「ちょっと待ってよ、なんか論点がずれてるんじゃない? 今は、児童相談所が忌み嫌われるものだっていう仮定のもとで、話をしているんだから。だいたい、その仮定をしたのは、カスガでしょう」
カスガ「……はっ! 確かに、そうだ……ぼくとしたことが……」
クマ「どうやら、カスガくんは、どうしても彼女の発言が許せないみたいだね。その感情が先にあるから、彼女の発言を否定する結論に持っていこうとしているんじゃないかな」
カスガ「認めるよ、ヌイグルミくん。でも、このぼくの『許せない』という感情が正当なものであるということは、きみだって認めてくれるだろう?」
クマ「感情はただ感情であるだけで、正当も不当もないよ。キミがそう感じたんなら、それを否定することなんて誰もできない。ただ、共感を得るかどうかとはまた別の話だけどね。少なくとも、アイチは共感していないみたいだし」
アイチ「うん、してない」
カスガ「どうしてしないんだ。世間では彼女の意見の不見識さに対して、怒りの声が渦巻いているのに。もちろん、ぼくは世間がそうだから、それに合わせているわけではないよ」
アイチ「だってさ、さっきのゴミ処理施設の話に戻るけど、もしも、わたしの住んでいるところのすぐ近くにゴミ処理施設ができるっていうことになったらさ、まあ、必要なものだからいざそうなったらじたばたはしないとは思うけど、できれば他のところに作ってもらいたいとは思うもん。もちろん、児童相談所はゴミ処理施設とは全然違うかもしれないけど、その女性は、児童相談所を危険なものだって思っているんでしょ。それなら、危険なものを避けたいと思うのは、むしろ当たり前の気持ちなんじゃないの?」
カスガ「それは……いや、しかし……」
クマ「彼女の発言に関しては、問題をはっきりと二つに分けた方がいい。一つは、児童相談所に関する事実誤認の問題、もう一つは、社会全体が必要としている施設を身近に置きたくないという心情の問題。まあ、でも、このどちらの問題に関しても、ボクはそこまで非難する必要は無いんじゃないかと思うね。もうすでに、アイチが言っている通り、事実誤認なら教えてあげればいいし、心情の方の問題は誰だって多かれ少なかれそういう気持ちがあるだろうから」
カスガ「……ううむ、頭では納得できるような気がするんだけど、どうも心がざわざわとして落ち着かない」
クマ「それはね、彼女の発言を自分のこととしてとらえていないからだな」
カスガ「どういうことだい? 彼女の発言を自分のこととしてとらえるって。だって、彼女の発言は彼女が為したものであって、ぼくがしたことじゃないじゃないか」
クマ「人の振り見て我が振り直せ、という諺があるだろう? もちろん、彼女の発言はキミがしたことじゃない。でも、彼女の発言と同様の行いをしている可能性があるだろう。キミだって、何かに対して事実誤認しているかもしれないし、社会全体にとって必要性があるものを忌避しているかもしれない。本当にそんなことをしていないと断言できる者だけが、彼女を非難できるんじゃないかな。それが、彼女の発言を自分のこととしてとらえるっていうことだよ」
カスガ「むむ……」
アイチ「あんまりネットは見ないけど、今って何か発言すると、すぐに叩かれたり、その結果炎上したりするよね」
クマ「他人の発言を批判することくらい簡単なことは無いからだ。しかも、何らかの大義名分、今回の場合は児童のためかな、それがあれば、批判は正義の振る舞いになる。批判している人は、さぞ気持ちいいことだろうと思うよ。ボクなんかは、批判の内容に関わらず、寄ってたかって一人の人を取り囲むということに対して、醜悪さを感じるのだけど、どうも、表現の自由とか、民主主義とか、社会的弱者保護とか、そういう美名のもとで行動すると、人はその種の醜悪さを感じなくなるようだね。ボクは、今回の彼女の発言に対して支持はしないけれど、彼女よりも、彼女の発言について自分のことを省みずにただ批判する人、それに喝采を送る人の方にこそ、よっぽど嫌悪感を覚えるね」

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