女の子とウサとの哲学的会話「人間は幸せになるために生きているの?」
〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。
サヤカ「学校の先生が言っていたんだけど、人間は幸せになるために生きているんだって。でも、これ本当かなあ」
ウサ「サヤカちゃんが、幸せを感じる時ってどういう時?」
サヤカ「うーん……ケーキを食べている時とか、宿題が終わったときとか、新しい服を買ってもらった時とか、かな」
ウサ「じゃあ、サヤカちゃんは、そういうことをするために生きている感じがする?」
サヤカ「そんなことないと思う。だって、そんなこと、いっつも考えているわけじゃないし」
ウサ「そうなの?」
サヤカ「そうだよ。いっつもケーキ食べたいとか、いっつも宿題終わらせたいとか、いっつも新しい服買ってほしいとかさ、他の幸せを感じることだってそうだけど、そんなことばっかり考えて生きていないよ。そういうことは、生きている中でたまに起こることで、そのときに幸せだって感じるだけだもん」
ウサ「そうだとしたら、先生が言ったことは間違っていることになるね」
サヤカ「うん……でも、じゃあ、どうして先生はそんなこと言ったんだろう?」
ウサ「間違っていることが分からなかったか、それとも、分かっていてそれでもあえて言ったのか」
サヤカ「えっ、間違っていることが分からなかった場合はしょうがないけど、分かっていてあえて言ったんなら、それってウソをついたことにならない?」
ウサ「そうなるね」
サヤカ「どうして、そんなウソをつく必要があるの?」
ウサ「それはね、サヤカちゃんたちを幸せにするためよ」
サヤカ「どういうこと?」
ウサ「人間は幸せになるために生きているっていうことを言うことで、今幸せじゃない人も幸せにすることができるの。サヤカちゃんたちの中に、今幸せじゃない子がいてもね、人間は幸せになるために生きているって教えることで、その子を幸せにすることができるのよ。先生はそのために言ったのね」
サヤカ「ウサ、言っていることが全然分からないよ。だって、今、幸せじゃない人は、幸せじゃないわけでしょ。その人が、どうして幸せになるの?」
ウサ「ここに今幸せじゃない人がいるとするよね。その人にね、『人間は幸せになるために生きている。あなたも幸せを目指して生きましょう』って言ってあげるの」
サヤカ「それで? それだけじゃ幸せにならないじゃん」
ウサ「うん、それだけじゃね。でも、そこでね、もう一言付け加えるのよ。『幸せを目指して生きているだけで、あなたは実は幸せなんですよ』って」
サヤカ「幸せを目指して生きているだけで、幸せ?」
ウサ「そうよ。人間が幸せになるために生きているのなら、幸せを目指した時点で、人間としての正しい生き方をしているわけだから、それだけで実は幸せだ、ということになるの」
サヤカ「……ウサ、でもそれって、ただのごまかしでしょ?」
ウサ「そうなんだけど、こういうごまかしを必要とする人がいるのよ。どういう人か分かる?」
サヤカ「……不幸な人」
ウサ「そう。不幸な人は、幸せじゃないことで不幸なんだけど、このごまかしを行うと、ただ幸せを目指すことによって、すぐに幸せになることができるの。だから、不幸な人には、こういうごまかしが必要なのよ」
サヤカ「わたしはやだな。だって、そんなの本当のことじゃないもん。それなら、不幸なままの方がいい」
ウサ「わたしは、サヤカちゃんの考え方に賛成だけど、でも、覚えておいてね。すごく不幸な人には、こういうごまかしがね、とても必要なの。こういうごまかしをしないと生きていくことがとても難しいほど不幸な人っていうのがこの世の中にはいるのよ」
サヤカ「ねえ、ウサ、わたしはそれでもやっぱり、そういうごまかしをするくらいなら、不幸な方がいいよ。だって、本当のことを知らないで生きていたって、しょうがないもん。本当のことを知らないで幸せだったとしても、それって、ウソの幸せでしょ」
ウサ「ウソの幸せでも、それを幸せだと感じ続けることができたら、本当の幸せになるんじゃないかな?」
サヤカ「ウソは、絶対に本当にならないよ。だって、それがウソってことだもん。わたしは本当のことが好き。だから、わたしは、どんなに不幸になっても、幸せを目指せるから幸せなんて、そんなごまかし、絶対にしない!」
ウサ「うん、サヤカちゃんなら、それができるかもしれないね」
サヤカ「ウサ、もう一度確認しておきたいんだけど、人間は幸せになるために生きているわけじゃないよね。ただ生きている中で、たまに幸せなことが起こるだけなんだよね?」
ウサ「そうよ。でも、そのたまにをね、もっと増やすことはできるよ」
サヤカ「どうやって?」
ウサ「今あるものに感謝することによって、だよ。たとえば、サヤカちゃんは、今お母さんがいて、いろいろサヤカちゃんのことをしてくれているよね。ご飯作ってくれたり、お洗濯してくれたり」
サヤカ「うん」
ウサ「サヤカちゃんは、お母さんに感謝してる?」
サヤカ「うーん……どうかなあ、してないことはないと思うけど……でも、お母さん、口うるさいからなあ」
ウサ「でも、もしもお母さんが死んじゃったら、それはすごく寂しいことだし、いつも普通にしてくれていたことがありがたいことになるでしょ?」
サヤカ「それは……うん、そうなると思う。いくら口うるさくても、もし死んじゃったら、すごく寂しいし、これまで色々としてくれたことに感謝すると思う」
ウサ「もしも今すぐ死んじゃったらって考えてみれば、今からでも感謝できるんじゃない? お父さんに対しても同じだよね。そういう風に今あるものに感謝できれば、幸せを増やすことができると思う」
サヤカ「…………ねえ、ウサ、言っていることは分かるんだけど、それってやっぱり難しいと思う」
ウサ「どうして?」
サヤカ「だってさ、お母さんもお父さんも、そんなに早く死なないもん」
ウサ「明日交通事故に遭うかもしれないよ」
サヤカ「そうだけど……それだって、そんなに可能性が高いことじゃないでしょ。ウサが言っているのは、こういうことと同じだと思う。わたしはグリーンピースが嫌いで自分からは食べないけど、もしも食べるものがグリーンピースしか無くなったら食べるしかないっていうのと。でもさ、食べるものがグリーンピースしか無くなったらなんて、そんなこと普通起こらないから、わたしはグリーンピースを嫌いでいられるんだから、普通起こらないことが起こったらなんて想像って、してもあんまり意味ないんじゃないかな」
ウサ「ふふっ、サヤカちゃんの言う通りよ。幸福を感じるためには、今ここにあるものに感謝してみましょうっていうことがよく言われるの。今ここにあるものがもしも無くなったらって想像してみましょうってね。でも、普通は今あるものがすぐに無くなったりしないからこそ感謝しないわけだから、それがもしも無くなったらっていう想像は、できないことはないけど、かなり難しいことになるね。だから、これもやっぱりね、また別のウソなの。不幸な人を手っ取り早く幸せにするためのね。あなたは自分のことを不幸だと思っているかもしれないけど、気がついていないだけで、本当は、色々と感謝すべき素晴らしいものを持っているんだから、実は幸せなんですよってね」
サヤカ「それで幸せを感じたとしても、それってウソの幸せでしょ?」
ウサ「そうだね。一瞬はそれでよくても、長くは続かないんじゃないかな。心から感謝しているわけじゃなくて、幸せになるために感謝しているんだから。そういう感謝は続かないでしょうね。でも、中にはね、その感謝の気持ちを長く続かせるために、何が起こっても『ありがとう』って言う人もいるようだけど」
サヤカ「え、何が起こってもって……嫌なことが起こっても、『ありがとう』って言うの?」
ウサ「そうだよ。晩ご飯にグリーンピースが出てきても、『ありがとう』。後ろの席の男の子に髪を引っ張られても、『ありがとう』」
サヤカ「そんなのおかしいよ! そんなの全然、ありがたくないもん!」
ウサ「うん、そうなんだけど、それをあえて『ありがとう』って言うことで、一見嫌なことだと思えることの中に、何かしら感謝すべきことがあるんだって、思うことができるのね」
サヤカ「……わたし、『ありがとう』っていう言葉は、心からそう思ったときだけ使いたい」
ウサ「わたしもそれがいいと思うな。『ありがとう』だけに限らず、言葉は心からそう思ったときにだけ使うのがいいと思う。日本には、言霊《ことだま》っていう考え方があってね、これは普通、言葉にしたことが現実になることだって考えられているんだけど、わたしはそうじゃないと思うの。言霊っていうのはね、言葉に対する態度が、そのまま生きることにつながっているっていうことを表しているのよ。ありがたくもないときに『ありがとう』って言うことは、本当は自分ではそうは思っていないことを口に出すごまかしを行っているってことだから、そういう人は、ごまかしの人生を送ることになるっていうことになるの」
サヤカ「わたしはそんなの嫌……もしも幸せになれなくても、本当の自分の人生を生きたい」
ウサ「うん、その言葉がサヤカちゃんの心から出た本当の言葉なら、必ずそうなると思うよ」
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